日下部保雄の悠悠閑閑

ラリーに再デビュー

久しぶりの参加となった丹後半島ラリーのスタートシーン。土曜日のレッキを踏まえて、初のペースノートに挑戦! 8時にスタートして3時ごろには終わる

 最後にラリー車のハンドルを握ったのは、たぶん1989年の三菱・スタリオンだったと思う。当時はラリー車の改造規制が厳しくなり、シートやハンドルの交換、ロールバーの取り付けも、サスペンションスプリングの交換もできなくなったころだ。車両の改造範囲が狭くなったことだけではないけれど、長年ラリードライバーを続けて心の疲れもあったんだと思う。下がったモチベーションはどうしても上げることができず、ラリーを追いかけることから離れた。でもラリーに愛着を持っているのは変わらない。今でもWRCは気になるし、全日本も時折KYBチームに帯同して現場の空気を吸っている。

 今年、全日本の現場で声をかけてくれたのがエムリットの友田さん。ここからは前回の続き。2ペダル車でラリーを楽しもうというコンセプトでマッスルラリーチームを結成。スケートの金メダリスト、清水宏保選手も乗っていたヤリスCVTを走らせている。清水選手とは先輩、後輩の仲だという。確かにマッスルだ。

 目指すはラリー・ジャパン! 最初は「何を言っているんだろう??」と思ったが紆余曲折の上、神輿に乗ってみることになった。

 しかし課題山積。本格的なペースノートは使ったことがない。奴田原君に相談してペースノートの作り方をアドバイスしてもらったが、奴田原君はちょっと心配になったらしく「日下部さんが作るんだよ!」という言葉が一番心に残った。そう、ドライバーが走りやすくするためのノートだ。自分で作るのだ。それ以来、コーナー間の距離感やコーナーの角度、深さなど日頃の運転でも予習することにした。

 実戦はJAF中部近畿地方選手権の丹後半島ラリー。2024年まで全日本だったラリーだ。美しい丹後半島のコースは参加者の評判も良い。しかも参加台数は近年のラリチャレ効果で70台以上の出走がある。エントリーリストを見ると何と清水和夫君の名前があった。D-SPORTのサポートで、コペンだ。むむ、ダイハツと言えばボクの古巣。ちょっとむずがゆい。

清水和夫選手と。チェックポイントラリー世代以来のラリー仲間。当時パワーがなかったスバル4WDでターマックラリーで入賞したのは大金星で驚いた

 まず、金曜日にチームと合流。全員ベテランで多士済々である。コ・ドライバーはベテランの奥村久継さん。わざわざ赴任先の台湾から来てもらった。何て豪華なチームだろう! 早速レッキの練習をして奥村さんから実戦での注意点を教わる。ウーム、想像通り一筋縄ではいかないなぁ。

初コンビを組むコ・ドラの奥村久継さんと。SS前に

 土曜日のレッキで初めて作ったペースノート(2回ゆっくり走って情報を伝えるとコ・ドラがノートにする)を頼りに日曜日の本番に臨む。

 SSは5km前後が6つ設定されている。今日の第一目標はペースノートに慣れること。SSでは奥村さんがコーナーと距離の情報をシンプルに伝えてくるが、最初は耳には入ってこなくて有視界走行に近くなる。どうしても思い切りが悪い。

 ヤリスにはスポーツCVTが搭載され、高回転で維持できる。上りはシフトせずに楽で速いが、まだまだドライバーの課題も大きい。

 コ・ドラの指示が耳に残り始めたのはSS3ぐらいから。ベテランらしく上手にリードして少しずつ先の情報も伝えてくれる。おー絶妙です!

 4分前後の6つのSSはあっけなく終わってしまった。SS中に気づいたのは路面に残るブレーキ跡がまるで自分のラインと違っていること。短いSSでも1分以上早い上のクラスとはいえ、とても自分にはできないと舌を巻く。ペースノートもまだまだ改良の余地が多く、自作ながら、一方で信用していない自分もいる。が、とにかく面白かった36年ぶりのラリーだった。

 さて、清水和夫コペンとは勝ったり負けたり、というより自分のことしか頭になく、気づいたら最終SSで3秒やられて逆転されてしまった。さすが昔からターマックの速さもピカイチの清水マイスターだ。正直ちょっと悔しい(笑)。

なぜか本番では後ろになった清水コペンとSS待ち

 支えてくれたチームの皆さん、ありがとうございます! 次に向けて進みましょう!

記念すべきチームの集合写真

 もう1つ嬉しかったのは、SS前にヘルメットをかぶる際に落としたサングラスが奇跡的にHQに届いたこと。どなたか分からないけど拾ってくれた心優しいラリークルーと主催者に深く感謝です!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。