日下部保雄の悠悠閑閑
ラリーに再デビュー
2025年9月1日 00:00
最後にラリー車のハンドルを握ったのは、たぶん1989年の三菱・スタリオンだったと思う。当時はラリー車の改造規制が厳しくなり、シートやハンドルの交換、ロールバーの取り付けも、サスペンションスプリングの交換もできなくなったころだ。車両の改造範囲が狭くなったことだけではないけれど、長年ラリードライバーを続けて心の疲れもあったんだと思う。下がったモチベーションはどうしても上げることができず、ラリーを追いかけることから離れた。でもラリーに愛着を持っているのは変わらない。今でもWRCは気になるし、全日本も時折KYBチームに帯同して現場の空気を吸っている。
今年、全日本の現場で声をかけてくれたのがエムリットの友田さん。ここからは前回の続き。2ペダル車でラリーを楽しもうというコンセプトでマッスルラリーチームを結成。スケートの金メダリスト、清水宏保選手も乗っていたヤリスCVTを走らせている。清水選手とは先輩、後輩の仲だという。確かにマッスルだ。
目指すはラリー・ジャパン! 最初は「何を言っているんだろう??」と思ったが紆余曲折の上、神輿に乗ってみることになった。
しかし課題山積。本格的なペースノートは使ったことがない。奴田原君に相談してペースノートの作り方をアドバイスしてもらったが、奴田原君はちょっと心配になったらしく「日下部さんが作るんだよ!」という言葉が一番心に残った。そう、ドライバーが走りやすくするためのノートだ。自分で作るのだ。それ以来、コーナー間の距離感やコーナーの角度、深さなど日頃の運転でも予習することにした。
実戦はJAF中部近畿地方選手権の丹後半島ラリー。2024年まで全日本だったラリーだ。美しい丹後半島のコースは参加者の評判も良い。しかも参加台数は近年のラリチャレ効果で70台以上の出走がある。エントリーリストを見ると何と清水和夫君の名前があった。D-SPORTのサポートで、コペンだ。むむ、ダイハツと言えばボクの古巣。ちょっとむずがゆい。
まず、金曜日にチームと合流。全員ベテランで多士済々である。コ・ドライバーはベテランの奥村久継さん。わざわざ赴任先の台湾から来てもらった。何て豪華なチームだろう! 早速レッキの練習をして奥村さんから実戦での注意点を教わる。ウーム、想像通り一筋縄ではいかないなぁ。
土曜日のレッキで初めて作ったペースノート(2回ゆっくり走って情報を伝えるとコ・ドラがノートにする)を頼りに日曜日の本番に臨む。
SSは5km前後が6つ設定されている。今日の第一目標はペースノートに慣れること。SSでは奥村さんがコーナーと距離の情報をシンプルに伝えてくるが、最初は耳には入ってこなくて有視界走行に近くなる。どうしても思い切りが悪い。
ヤリスにはスポーツCVTが搭載され、高回転で維持できる。上りはシフトせずに楽で速いが、まだまだドライバーの課題も大きい。
コ・ドラの指示が耳に残り始めたのはSS3ぐらいから。ベテランらしく上手にリードして少しずつ先の情報も伝えてくれる。おー絶妙です!
4分前後の6つのSSはあっけなく終わってしまった。SS中に気づいたのは路面に残るブレーキ跡がまるで自分のラインと違っていること。短いSSでも1分以上早い上のクラスとはいえ、とても自分にはできないと舌を巻く。ペースノートもまだまだ改良の余地が多く、自作ながら、一方で信用していない自分もいる。が、とにかく面白かった36年ぶりのラリーだった。
さて、清水和夫コペンとは勝ったり負けたり、というより自分のことしか頭になく、気づいたら最終SSで3秒やられて逆転されてしまった。さすが昔からターマックの速さもピカイチの清水マイスターだ。正直ちょっと悔しい(笑)。
支えてくれたチームの皆さん、ありがとうございます! 次に向けて進みましょう!
もう1つ嬉しかったのは、SS前にヘルメットをかぶる際に落としたサングラスが奇跡的にHQに届いたこと。どなたか分からないけど拾ってくれた心優しいラリークルーと主催者に深く感謝です!





