日下部保雄の悠悠閑閑
湧駒荘とメダリスト
2026年2月16日 00:00
冬は旭川に長逗留することが多い。
旭岳にある湧駒荘をベースキャンプとしていた時代は、気温が低く路面が安定する夜中にタイヤやサスペンションのテストをした。ドライバーはクルマの中にいるのでまだよいが、メカニックは大変だ。下手に十字レンチ(まだコンパクトな電動インパクトがなかった)に触ろうものなら手に張り付いて離れなくなる。何しろ氷点下30℃の世界だ。ホイールから外したナットを凍結した雪の上に置こうものなら熱で雪の下に沈み込んでしまい、探すのに大騒ぎだ。過酷な環境の中だったが懐かしい思い出だ。
さて、今は冬季オリンピック。その湧駒荘と縁の深い人の名前を聞いた。2014年の冬季オリンピック、ソチでスノーボード・アルペンの銀メダリスト竹内智香さん。子供のころからスキー/スノーボードに打ち込んできたが、7回目のオリンピック連続挑戦となる今年のミラノ・コルティナでは予選突破ならず、引退を発表した。しかしやり切ったというコメントが清々しかった。
女子スノーボード・アルペンの第一人者として竹内智香さんが切り開いてきた道は挑戦者たちに受け継がれている。これからはスノボを通じてオリンピックの魅力を伝えることに専念するという。スノボに全力で向かった選手としての姿勢にぶれはない。尊敬する人生の歩みで今後も活躍に期待したい。
そう、竹内選手は湧駒荘の娘さんでした。われわれが夜中、雪と格闘していた頃はまだ乳幼児、旭川市内で育てられていたのでその顔を見たことはない。コロナ禍前のスノボのシーズンオフに湧駒荘を訪ねたときは偶然にもフロントに立たれていたので、ミーハーにも写真を撮ってもらった。
そんななじみのある冬の旭川は、寒冷で雪も豊富にあることから自動車やタイヤメーカーのウィンターテストコースが多い。しかし近年は雪や気温が安定しないことが多い。確かに四半世紀前までは氷点下が当たり前。早朝にダイヤモンドダストを見ることも少なくなかった。空気中の水蒸気が凍って結晶になり舞う様子は夢の中にいるようだった。氷点下15℃以下で日の光と無風が紡ぎ出す世界だ。
旭川に「−41℃」というお菓子がある。旭川で1902年(明治35年)に記録した最低気温にちなんだもので、日本で観測された最低気温記録だ。確かに数年前までは早朝、氷点下10℃を下まわることも少なくなかったが、この冬もそこまで寒くないし、そもそも平均して雪が少なくなっているように感じる。遅く降って早く溶ける。日本の気象の変化を実感する。
それでも日本は湿気を含んだ大量の雪が降る特殊な地形のある国。ときおり思い出したように大量の雪も降る。氷上性能に優れたスタッドレスタイヤやABS、トラクションコントロールの進化の重要性が変わることはないだろう。




