日下部保雄の悠悠閑閑

湧駒荘とメダリスト

雪が少ないと思っていたら、急に降り出した雪は見る間に視界をさえぎった

 冬は旭川に長逗留することが多い。

 旭岳にある湧駒荘をベースキャンプとしていた時代は、気温が低く路面が安定する夜中にタイヤやサスペンションのテストをした。ドライバーはクルマの中にいるのでまだよいが、メカニックは大変だ。下手に十字レンチ(まだコンパクトな電動インパクトがなかった)に触ろうものなら手に張り付いて離れなくなる。何しろ氷点下30℃の世界だ。ホイールから外したナットを凍結した雪の上に置こうものなら熱で雪の下に沈み込んでしまい、探すのに大騒ぎだ。過酷な環境の中だったが懐かしい思い出だ。

 さて、今は冬季オリンピック。その湧駒荘と縁の深い人の名前を聞いた。2014年の冬季オリンピック、ソチでスノーボード・アルペンの銀メダリスト竹内智香さん。子供のころからスキー/スノーボードに打ち込んできたが、7回目のオリンピック連続挑戦となる今年のミラノ・コルティナでは予選突破ならず、引退を発表した。しかしやり切ったというコメントが清々しかった。

 女子スノーボード・アルペンの第一人者として竹内智香さんが切り開いてきた道は挑戦者たちに受け継がれている。これからはスノボを通じてオリンピックの魅力を伝えることに専念するという。スノボに全力で向かった選手としての姿勢にぶれはない。尊敬する人生の歩みで今後も活躍に期待したい。

 そう、竹内選手は湧駒荘の娘さんでした。われわれが夜中、雪と格闘していた頃はまだ乳幼児、旭川市内で育てられていたのでその顔を見たことはない。コロナ禍前のスノボのシーズンオフに湧駒荘を訪ねたときは偶然にもフロントに立たれていたので、ミーハーにも写真を撮ってもらった。

お世話になった湧駒荘の由来。2019年に訪れたときは、偶然、竹内智香さんにお会いできた。このミラノ・コルティナオリンピックで引退を決めた。この人らしいやり切った清々しい引退コメントだった

 そんななじみのある冬の旭川は、寒冷で雪も豊富にあることから自動車やタイヤメーカーのウィンターテストコースが多い。しかし近年は雪や気温が安定しないことが多い。確かに四半世紀前までは氷点下が当たり前。早朝にダイヤモンドダストを見ることも少なくなかった。空気中の水蒸気が凍って結晶になり舞う様子は夢の中にいるようだった。氷点下15℃以下で日の光と無風が紡ぎ出す世界だ。

雪の夜の旭川の交差点。交差点はブラックバーンになりやすい。ときとしてこんなところをよく止まれるなと感じることがある

 旭川に「−41℃」というお菓子がある。旭川で1902年(明治35年)に記録した最低気温にちなんだもので、日本で観測された最低気温記録だ。確かに数年前までは早朝、氷点下10℃を下まわることも少なくなかったが、この冬もそこまで寒くないし、そもそも平均して雪が少なくなっているように感じる。遅く降って早く溶ける。日本の気象の変化を実感する。

旭川市内の温度計。まだ氷点下6℃でこれからもう少し下がる

 それでも日本は湿気を含んだ大量の雪が降る特殊な地形のある国。ときおり思い出したように大量の雪も降る。氷上性能に優れたスタッドレスタイヤやABS、トラクションコントロールの進化の重要性が変わることはないだろう。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。