日下部保雄の悠悠閑閑

ペースノートあれこれ

クルーによって作り方は違うが、これはわれわれのペースノート。SS2/6(Inabu/Shitara)シンプルに作られており、コ・ドラの奥村さんがラリー終了後に渡してくれたもの。貴重な財産です

 コ・ドライバー。副操縦士。レッキでクルーが作ったペースノートを適時、正確に読み上げるのはよく知られている。ペースノート作りはクルーによって異なる。レッキ終了後、インカービデオでペースノートを修正確認するクルーも少なくない。

 最初にペースノートの作り方を教えてくれたのは奴田原文雄選手。NUTAHARA RALLY SCHOOLで使っているペースノートの教本を送ってくれた。ヌタちゃんからのアドバイスでクルマのステアリングに左右8段階のマークを付けてコーナーの角度をイメージし、距離は見てパッと分かるように歩いているときに歩数を確認するようにしたおかげで、ペースノートがイメージできるようになった。

 実際にラリーで組んでくれた奥村久継さんも田中直哉さんもベテラン。ペースノート初心者がいかに楽に走れるかを優先して読み上げてくれたおかげで本番までには大分耳に慣れた。

 レッキは同じコースを2回走って精度を上げていく。奥村さんは1回目で作ったペースノートを2回目で修正してほぼ終了。田中さんはレッキ終了後に念のためにビデオで確認していたようで、その作業量はかなりのもの。ドライバーが作業に加わるかはクルーによって異なり、奴田原選手はかなり念入りにペースノートを確認していると聞く。

 2人のコ・ドラともペースノートビギナーが混乱しないためにシンプルで、徐々に情報量を増やしてくれた。コーナーの角度や形、幅、路面やストレートの距離が主な要素だが、それだけでも随分と楽に走れるものだ。耳慣れしてくるとさらに複雑な情報も入れられるはずだが、最初から情報テンコ盛りのペースノートだったらきっと混乱していただろうと思う。気遣いがありがたかった。

 2025年のラリー・ジャパンでは、パワーステージを前にした「リ・グループ」で、優勝することになるオジェ選手が長い時間をかけてペースノートを確認し、コ・ドラは冷えたタイヤのために小さなボンベでエア圧を上げていた。クルーで真剣にラリーに向き合っているのを垣間見た思いだ。レッキが終わったらさっさと寝てしまった自分とは大違いである。

 コ・ドラのおかげでラリーウィークは普段よりよほど規則正しく健康的な生活を送れ、最後の豊田スタジアムに帰ってきたときは「もう終わっちゃうの?」と楽しいだけだった。

 1.5リッターのNAエンジンのヤリスは2ペダルのCVTだったのでハンドルとブレーキに集中できたことも大きかったと思う。

 ところで、2025年のラリー・ジャパンではFIAから痛いペナルティをもらった。レッキ中の速度違反である。SSの中はすべて60km/hの速度規制があり、ラリー前のブリーフィングでも注意されていた。レッキ中もGPSで監視され、速度を超えるとタブレットにダウンロードしたアプリからブザーが鳴るようになっている。しかしこのとき、タブレットはバッグの奥深く沈んでいたのに気が付かなかった。

 ペナルティ発生場所はSS10&11のMt. Kasagi(同じコースを2回走る)である。フライングフィニッシュ後のストレートで気が抜けたのか、1回目は15km/h、2回目は14km/hオーバーし、この日のレッキが終わってからHQに呼び出された。

 1回目は375ユーロ、2回目は700ユーロの罰金をコース委員長から言い渡された。20万円近い罰金は最初は0が1つ多いかと思ったが、現実は厳しい。振込先を指定されており、システマチックな流れでスタート前までに払うようにとのお達しである。ニコニコしながら説明してくれたFIAのスタッフの言うとおり、ホントに簡単に振り込みできてしまった。FIAは合理的で厳しいのである。

 Mt. KasagiはDay3でエンジンオイルが沸騰してストップした因縁付きのSSだったとは、その時は知る由もなかった……。

 2026年は5月に早まったラリー・ジャパン2026も終了し、リザルトを見ながら2025年のラリーの資料を引っ張り出したときに、パラリと出てきたのが「INSTRUCTIONS FOR PAYMENT OF FINES」でした。忘れまじ、罰金!

FIAからの罰金通告書。SSレッキ中の速度違反による痛いペナルティ。翌日からはタブレットがドライバーの前に置かれた。制限速度を超えるとピピと鳴ってました
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。