日下部保雄の悠悠閑閑
彩雲の復元が進む河口湖自動車博物館・飛行館
2026年8月31日 08:05
毎年、河口湖詣でが続いている。8月だけオープンする河口湖自動車博物館・飛行館である。ここ数年は艦上偵察機「彩雲」をコツコツと復元中。毎年どこまで進んでいるのか楽しみだ。
入口から入ってすぐ右側にレストア中の胴体とエンジンが置いてある。磨かれたジュラルミンの胴体の長い風防にプレキシガラスが入り、誉エンジンのカウリングと胴体をつなぐカバーも加わった。
彩雲が運用されはじめたころ、すでに搭載されるべき機動部隊は壊滅し、空母のエレベータに乗るように前後を切りつめた機体と垂直尾翼後端を前傾させた工夫も無駄になってしまったが、戦闘機を振り切れた飛行速度を持つ彩雲は日本特有の機種である高速偵察機の最後を飾る名機だった。現在も残っているのは米国に保管されていた夜戦型が知られているが、公開されている機体は河口湖だけだと思う。
全長11.12m、全幅12.5mの細くて繊細な機体はどこか儚げだ。「こんなに細いんだ」と見るたびに感動する。長い風防の中はがらんとしているが、操縦、偵察、電信の3名の搭乗員が配置されるシートや機器の土台が残っている。ここに精密な航空機用カメラ、大型無線機、航法に必要な機材が入っていたはずで、3名の搭乗員の動きを想像してみる。
空冷星形18気筒エンジンは戦争後期の2000馬力級エンジン。戦闘機の紫電改や攻撃機の銀河にも積まれている。
零戦、隼など、陸海軍機に広く使われていたのは1000馬力級エンジン。星形14気筒の栄だ。軍用機にとっての重要な整備性がよく広く使われていた。
興味深いのは両エンジンともボア×ストロークは130×150mmと共通なこと。18気筒の誉は35.8リッター、14気筒の栄は27.86リッターの排気量だった。
外径はほぼ同じ1150~1180mm。誉はコンパクトな分、熱対策の空冷フィンが細かく植えられており、細部にまで手が届きにくい。これを整備するのは大変だっただろうと素人ながらにも分かる。戦争末期では素材や工作精度がわるく、輪をかけて油脂類も品質が落ちて本来の性能を出せなかったようだ。きちんと飛ばせる整備員の力はすごいことだ。
どうやっていたんだろう? と考えていたところで、誉好きな編集の方から誉の整備解説書のデータが送られてきた。こんなのあるんだ! さすが!
もう一機、館内にギリギリ納まっている一式陸攻も細部が整ってきた。さすがに翼は入らないので胴体だけだが、双発エンジンの攻撃機は想像以上に巨大だ。搭乗員は正規では7~8名。直径2mの胴体は太くて機内はゆったりしていた。デスクやシートなど装備品の一部が置かれたことで、搭乗員の動きを思い描くことができ、現実味が増す。
模擬の機銃も配置されて、収納や懸架方法も分かりやすくなった。操縦席には主と副の2名の操縦員が座り、右側操縦席の後ろに機長席があり指揮を執っていた。機長はパイロットが担うものだと思っていたが海軍は違うのかな。
また、偵察員はコクピット内に立って双眼鏡で周囲を監視している写真があるが、海軍だけに船の感覚に近いのかもしれない。
最大の弱点は攻撃機でありながら、乗員と機体の防御が全くなかったこと。特に4000kmにおよぶ航続距離を得るため、翼内に大型燃料タンクを配置したことで、焼夷弾を食らうとすぐに火を噴き、米軍にワンショット・ライターと揶揄された。
大戦初期でも昼間に戦闘機に捕捉されると全滅することが多く、あまりの被害に燃料タンクの上に砂袋を積んだ部隊まで現れた。活動はもっぱら夜間か薄暮になっていく。
後期型は防漏タンクなどの装備も進みロバスト性は増したが、それでも昼間の活動は危険なことに変わりはない。
8月は終戦記念日が15日にある月。81年前には確かにあった戦争を思い、ちょっとセンチにもなりました。








