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「豊田章一郎お別れの会」開催 豊田章男会長は、トヨタのものづくりと人づくりを継承していくことを誓う
2023年4月24日 20:38
4月24日、2月14日に亡くなったトヨタ自動車 名誉会長 豊田章一郎氏を送る「豊田章一郎お別れの会」が都内ホテルで開催された。お別れの会には、親族、友人、関係者が集い、献花が行なわれた。
豊田章一郎氏は1952年、トヨタ自動車創業者である父の豊田喜一郎氏の急逝により、父の意思を受け継ぎトヨタ自動車工業に取締役として入社。当時のトヨタはトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売に分かれていたが、1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併(「工販合併」)して誕生したトヨタ自動車の初代社長(自工としては第6代)に就任。トヨタ自動車を世界有数の自動車会社に育て上げた。
お別れの会では、冒頭に豊田章一郎氏の言葉が映像とともに流れ、トヨタ自動車 代表取締役 内山田竹志氏が弔辞をささげた。遺族代表のあいさつは、豊田章一郎氏の長男でありトヨタ自動車 代表取締役 会長である豊田章男氏が行なった。
お別れの会の冒頭、豊田章一郎氏の言葉
ものづくりの技術や技能は、多くの経験を通して、長い時間をかけて作られるものであります。実際に現場に立ちまして、自分の目で見て、自分の頭で考え、そして実際にものに触れて、手を油で汚し、自分自身の問題として取り組むことによりまして、つまり「現地現物」によりまして、初めて自前の技術と呼ばれるものが身に着くものであります。
弔辞 トヨタ自動車株式会社 代表取締役 内山田竹志
弔辞、豊田章一郎名誉会長、内山田でございます。ここに謹んでお別れのごあいさつを申し上げます。あなたは戦後の幾多の困難を乗り越えられ、トヨタ自動車およびトヨタグループを世界的な企業に育て上げた功労者であるとともに、その円満なお人柄や鋭い洞察力、卓越した指導力により尊敬を集め、 私たちの心のより所というべき存在でした。それたけに2月14日、突然の訃報に接し、私どもは悲しみこの上なく、今も残念でなりません。
あなたは1952年にトヨタ自動車工業へ入社されてから今日までトヨタの発展にご尽力され、日本の産業界のリーダーとしてご活躍されました。ものづくりを通じ、社会に貢献するという強い意思に、私どもは常に励まされ、挑戦する勇気をいただいていたように思います。1959年、あなたは建設委員長として、我が国初の乗用車専門工場である元町工場を完成させました。初代工場長を務められ、現地現物で品質管理を徹底し、トヨタの量産体制を確立されました。1970年代、厳しい排ガス規制、石油ショックによる未曽有の危機では、あなたが技術部の現場を回り、即断即決で開発を先導していただいたことで難局を乗り越え、新たな成長へとつながりました。
1981年にはトヨタ自動車販売の社長に就任され、翌年にはトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併を実現させました。人の輪を大切にされるあなたは、公販両者の社員は元より全国の販売店・取引先からも絶大な信頼を集めるところとなり、トヨタ自動車は一致団結して歩み始めました。
その後も経営者として豊かな国際感覚、強い責任感と実行力により、米国での現地生産体制の確立、テキサスプラントの販売開始など、誠に多くのご功績を残されました。
そして、あなたが大切にされ、体現された創業期から続く精神、「ものづくりは人づくり」の信念は、トヨタグループのあらゆる製造現場に継承されております。あなたは、こうした企業人の立場にとどまらず、日本の未来を見据え、幅広い分野でその指導力を発揮されました。
1994年には、第8代経団連会長に就任され、経済界の代表として魅力ある日本の実現に向け強い信念をもって規制緩和や税制改革などに取り組まれ、多くの成果を挙げられました。教育の分野では、ものつくり大学、海陽学園の設立、発展に尽力されるなど、社外においても「ものづくりは人づくり」を実践されました。
さらに2005年に自然の叡智をテーマとして開催された愛・地球博では、政府・地元とともに誘致に奔走され、開催決定後には2005年日本国際博覧会協会の会長として類いまれなるリーダーシップを発揮し、大成功に導きました。
21世紀初の国際博覧会は、「世界から人々が集う魅力ある日本の国づくりにつなげたい」というあなたの願いどおり、世界中の人々の大いなる交流の場となり、子供たちに夢と希望と感動を与える歴史に残るものとなりました。
そして私自身、名誉会長からは幸いにも多くのご指導を直接受ける機会に恵まれました。特に思い出深いのは、初代プリウス開発の際にいただいた、多くのアドバイス・ご指導でした。
当初、ハイブリッドシステムと並行して、燃費1.5倍の従来技術改良版との2本立てで開発していましたが、名誉会長から「君たちは1.5倍システムに逃げようとしているのではないか、そんなことではハイブリッドシステムを完成させることはできないぞ」と言われ、プリウスはハイブリッド専用車になりました。
また、開発がピークに差しかかった時期には、直接お電話をいただき、社内の対応体制が十分か心配もしていただきました。そして、役員になってからは、社外の経営者の方々とのお付き合いの仕方や、基礎研究の進め方など、直接多くのご指導をいただいたことは、私にとって大きな財産です。
いつもびっしりと書き込まれた手帳を見ながら、「○○さん知っているか? あそこは見てきたか?」とお話いただいたのをとても懐かしく思い出すとともに、もうこれらのご指導を直接受けることができないと思うと、大変寂しい気持ちです。
名誉会長、この辺りで永遠のお別れを申し上げなければなりません。これまで本当にありがとうございました。日本の未来を信じ、志高く歩まれたあなたのご意志は、次世代にしっかりと引き継いでまいります。
深い哀惜の思いを込めて、心からご冥福をお祈りいたします。どうぞ、安らかにお休みください。令和5年4月24日、トヨタ自動車株式会社 代表取締役内山田竹志。
遺族代表あいさつ トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 豊田章男
豊田章男でございます。遺族を代表いたしまして、ごあいさつを申し上げます。本日は、父、章一郎のお別れの会を開催いただきありがとうございます。また、多くの方にご参列いただき、誠にありがたく、恐縮の至りでございます。
父は生前、トヨタグループに支えられ、鍛えられて発展してきたのがトヨタ自動車だと申しておりました。父にとっては、グループそのものがトヨタでしたので、17社合同でこうした場を設けていただいたことを何よりも喜んでいると思います。
お別れの会副委員長のみなさまをはじめ、準備から本日まで運営にご尽力いただきましたみなさまには、大変お世話になり、あつく御礼申し上げます。
ただいま、弊社内山田代表取締役より、お心のこもった弔辞を賜りました。心より感謝申し上げます。
父はいつも仕事で忙しく動き回っておりましたが、家族との時間は大切にしてくれました。最後も博子に一緒にいてほしい、その言葉どおり母がみとり苦しまずに逝きました。
父が亡くなった2月14日は、偶然にも尊敬する豊田佐吉の誕生日でした。佐吉には8人の孫がいて、みんな仲がよく、いとこ会と称してよく集まっておりました。父がこの世に残された最後の1人でしたので、これからはみんなでその続きを楽しむのではないかと思います。
父も2人の子供、5人の孫、9人のひ孫に恵まれ、1人ひとりに愛情を注いでくれました。みんなが仲よくいることが、父の1番の望みだと思っております。
父は27歳で父親の喜一郎を亡くし、取締役としてトヨタに入社いたしました。常に責任者としての重責を果たしながら、「障子を開けてみよ 外は広いぞ」という佐吉の言葉どおり、まさに障子を開けて、「日本のトヨタから世界のトヨタへ」、その礎を築いたと思います。
父は人を信頼し、人の輪を大切にする人でした。その自伝を読みましても国内産官学、多くの方のお名前が出てまいります。
いつもこう申しておりました、「何事も1人でやろうとしてはいけない、みんなでやるようにしなければならない」。そんな父だからこそ、多くの人が集まり、支えてくださったのだと思います。そして、何よりも喜一郎の夢と志と心を実践し続けた人でした。
父は、「日本を豊かな国にしたい」という喜一郎の思いを受け継ぎ、さらに発展させ、「世界の人々が平和で豊かに暮らせる社会にしたい」という思いを強く持っておりました。その根底にあったのは、「現地現物」「品質は工程でつくり込む」「価格は市場で決まる」「絶えざるイノベーションへの挑戦」、そして全てを支える「人材の育成」という経営理念です。
忘れられない父の言葉があります。「新しいものをつくるために知恵を絞り、汗をかき、時間を忘れて熱中する。その瞬間が極めて楽しい。苦心した末にものが出来上がったとき、それを誰かが使って、喜んだり、助かったりしたとき、この上ない喜びと感動に包まれる。だから、もっと勉強し、働いてもっとよいものを作ろうと思う」。この言葉を胸に、トヨタグループ全員でもっと勉強し、働いて、もっとよいものを追求する。トヨタのものづくりと人づくりを継承していくことを誓います。
最後に、これまで公私にわたり、父をお支えくださったみなさまに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
豊田章男氏は父の言葉を紹介する段において、万感の思いを込めトヨタのものづくりと人づくりを章一郎氏に誓っていた。トヨタは現在、世界でも有数の自動車会社であり、日本経済を牽引する会社ではあるが、100年に一度という自動車の変革期にあるのも事実。豊田章男氏の「トヨタグループ全員でもっと勉強し、働いて、もっとよいものを追求する。トヨタのものづくりと人づくりを継承していくことを誓います」という言葉には、その変革期をみんなで乗り越えていく決意が込められているかのように聞こえた。