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新社名となったトヨタバッテリー出発式、影山剛士市長やトヨタ豊田章男会長があいさつ

トヨタバッテリー出発式であいさつを行なった、トヨタ自動車 豊田章男会長(左)、トヨタバッテリー 岡田政道社長(中)、影山剛士 湖西市長(右)

トヨタバッテリー株式会社出発式

 10月1日、プライムアースEVエナジー株式会社はトヨタ自動車の完全子会社となり、トヨタバッテリー株式会社へと社名変更を行なう。代表取締役社長は岡田政道氏が引き続き務め、静岡県湖西市にある新居工場において新社名・新体制の出発式が行なわれた。

 新社名・新体制の出発式は 岡田社長のほかトヨタ自動車 代表取締役会長 豊田章男氏、地元の影山剛士 湖西市長が来賓としてあいさつ。新社名となったトヨタバッテリーの門出を祝った。

湖西市のバッテリーパークに位置するトヨタバッテリー。新幹線からも見ることができる

 トヨタバッテリー 新居工場で生産しているバッテリは、ハイブリッド車向けで代表的な車種としては北米に輸出している新型カムリ ハイブリッドなど。2024年2月に第1工場の生産を立ち上げ、2024年4月から出荷開始。現在は年間21万台分のバッテリ生産能力だが、2025年9月には第2工場からの生産を立ち上げ、21万台+21万台の42万台に。さらに、2026年2月からは第3工場を立ち上げバッテリEV用も生産開始。こちらは8万台を予定しており、トータルで年間50万台のバッテリ生産工場となる。

 トヨタバッテリーでは、北九州空港至近の福岡県京都郡苅田町に九州工場も建設予定で、こちらでは2026年に発売予定と言われる新世代バッテリEV(ステップ3とも呼ばれる)用のハイパフォーマンス版次世代電池も生産していく。トヨタは、HEV、PHEV、BEV、FCEV、H2ICEとさまざまなカーボンニュートラル車両を用意し、ユーザーの要望に応えるマルチパスウェイ戦略を推進していく。

トヨタバッテリー 代表取締役社長 岡田政道氏あいさつ

トヨタバッテリー株式会社 代表取締役社長 岡田政道氏

 本日はお忙しい中、出発式にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。創業から今日に至るまで、地域、行政、トヨタの皆様方より多大なご支援をいただき心よりお礼申し上げます。

 本日、私どもはこの湖西の地で、トヨタバッテリーとして次の道への出発点を迎えました。ここ湖西市は、豊田佐吉翁に始まるトヨタグループの原点でございます。

 豊田会長は、この先人の歴史をとりわけ大切にし、今に伝え、未来につなげていく努力を続けられており、私どもには到底語りつくすことのできない想いを巡らせながら、この地における弊社を見守り、この度の完全子会社化とトヨタバッテリーへの社名変更をご決断いただいたことと存じます。本日、この歴史的な出発点を迎えられましたことに心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

 そして、その実現に向けては、トヨタの関係のみなさま方に多大なご尽力をいただき重ねてお礼申し上げます。

 湖西の地のみなさまに、「さすがは豊田の会社だ」と慕っていただけるよう努力してまいります。

 さて、自動車業界に目をやりますと、混とんとし、先を見通すことが大変難しく、短い間に様相が激変してしまうようなことも起こっています。世界の地域施策やカーメーカーの経営戦略も振れ幅の大きな変更を余儀なくされる例を目にする機会が増えてきました。そのような中で、マルチパスウェイ戦略を貫き通し、ぶれない軸として歯を食いしばっているトヨタに対し、この難しいかじ取りを、少しでも楽にできないか、それを電池で実現できないか、これが、私ども完全子会社の使命と考えております。

 ハイブリッド、プラグインハイブリッド、EV、さらには燃料電池車の2次電池としてマルチパスウェイ戦略に貢献することは言うまでもなく、トヨタが情熱を傾けて開発し続ける水素エンジン車に向けても、航続距離を伸ばし、水素タンクを小型化することに、電池の力で寄与できないか、全方位で支えたいと願っております。必要な選択肢を、必要な時に、必要なだけ用意するトヨタらしいものづくりを追求し、さらに、四半世紀にわたって「電池屋」として培ってきた“安全性と品質への信頼”という商品力は絶対の価値として今後も変わるものではありません。

 次に、私どもの歴史に目を転じますと、1996年に誕生し、「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーとともに誕生した初代プリウス用電池の生産を開始しました。その後トヨタが世界に先駆けたハイブリッド車によって続けてきたCO2削減の努力は、カーボンニュートラルという言葉のない時代からコツコツと積み重ね、世界に比類ない実績となっています。今年、その初期の円筒型電池の補給生産が終了し、終着と出発が重なり合ったことに歴史の因果のようなものを感じます。

 タスキはつながりました。この初代プリウス用の電池ラインは、初期のベンチャー精神に立ち返る場所として残し、後世につないでいきたいと思います。

 一つの役割を終えた象徴が円筒型電池ラインとするならば、新たな役割の幕開けとなる象徴が、本日お越しいただいているここ「湖西バッテリーパーク」と言ってよいと思います。その誕生前から、静岡県や湖西市のみなさま方から絶大なご支援をいただき、土地の取得、道路の整備など、円滑に進めることができました。

 影山市長様におかれましては、一貫して温かなご支援とご指導を賜り、トヨタバッテリー、湖西バッテリーパークと調和する「バッテリーロード」という名の道も整備していただきました。心よりお礼申し上げます。

 結びに、混沌とした難しい時代にあってもなお、地域やユーザー本位に考えるトヨタのクルマづくりに、電池事業を通じて貢献し、湖西の地に相応しい、ベンチャー精神に満ちた会社として成長していくよう、本日を出発点として、一層の精進を続けてまいりますことを誓い、挨拶の言葉とさせていただきます。

 ありがとうございました。

静岡県湖西市市長 影山剛士氏あいさつ

湖西市市長 影山剛士氏

 本日は、「トヨタバッテリー」の新たな出発を祝し、ここにご列席のみなさまとともに、湖西市を代表して心よりお慶び申し上げます。豊田佐吉翁のふるさと湖西市に新たに「トヨタ」の名を冠する企業が誕生することは、私たち市民にとっても大きな誇りであり、この上ない喜びです。この新たな門出にあたり、豊田章男会長、岡田政道社長をはじめ、関係者の皆様のご尽力に心から感謝申し上げます。

 今年は、豊田佐吉翁が無停止杼換式豊田自働織機、いわゆるG型自動織機を発明してからちょうど100年という記念すべき年でもあります。この画期的な発明は、世界中で称賛され、「マジックルーム(魔法の織機)」とも呼ばれました。そして、この偉業が自動車産業へと発展する基礎を築きました。その挑戦の歴史と、それを乗り越えた勇気に改めて敬意を表します。

 先日、市内企業の若者有志が参加したワークショップに私も出席させていただき、地域の歴史や産業の未来についてともに学び合う機会がありました。その中で、若者たちが「モノづくりのはじまりKOSAI」という提案をまとめました。

 この提案の背景には、湖西市が誇る長年の技術革新の歴史があります。特に、自然の力を活用し、動力化や自働化に進化してきた技術は、私たちの日常を豊かにする発明力に支えられています。そして、この発明力の源泉は、トヨタグループの創始者である豊田佐吉翁の「世のため人のためを想うモノづくり」の精神であり、今後も次世代に引き継がれていくべき重要なレガシーです。

 この精神は、「トヨタバッテリー」としても、今後の成長と革新の原動力となるでしょう。湖西市の若者たちが、この精神に基づき、地域の未来のモノづくりに貢献する提案をまとめたことは、まさにこの精神が新たな形で受け継がれている証です。

 また、豊田章一郎名誉会長は、湖西市に多大なご支援とご厚情を注いでくださいました。豊田名誉会長のご尽力に、改めて心から感謝申し上げます。名誉会長が残された思いと志は、今なお私たちの心に深く根付いており、湖西市の少年少女発明クラブが間もなく50周年を迎えることは、地域の子どもたちに夢と創造力を育む場を提供し続けた証であり、これからも湖西市に根ざしたモノづくり精神が次世代に引き継がれることを確信しております。

 結びに、湖西市は佐吉翁の「報恩創造」という言葉をまちづくりの基本理念に掲げています。この訓えを原点として、「トヨタバッテリー」が生産する電池の力とともに、地域と産業の未来を切り拓いてまいります。改めて、トヨタバッテリーの出発を心からお祝いし、みなさまのご健勝とご発展をお祈りし、トヨタの掲げる「まちいちばんの会社」とともに、「いちばんのまち」になるような、モノづくりを通じた人づくり、人づくりによるまちづくりを行い、湖西市がさらなる飛躍に向けてチャレンジを続けることをお誓い申し上げ、祝辞とさせていただきます。

トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 豊田章男氏あいさつ

トヨタ自動車株式会社 代表取締役会長 豊田章男氏

 豊田でございます。本日は新生トヨタバッテリーの出発式にお招きいただき、誠にありがとうございます。また、多大なるご尽力を賜りました地域のみなさま、行政のみなさまに深く感謝申し上げます。

 境宿工場から1kmほど離れた場所にひっそりとたたずむ石碑があります。豊田喜一郎が地元のみなさまからご要望のあった水田開発に協力したことを示したものですが、もともと喜一郎はその場所に「発動機」の工場をつくろうとしていたようでございます。「発動機を湖西で」というところに、「動力」の研究に明け暮れた父・佐吉に対する喜一郎の想いを感じずにはいられませんでした。

 若き日の佐吉は、明治23年に東京・上野で開催された内国勧業博覧会で見た蒸気機関や機械設備の性能とパワーに衝撃を受け、「動力」に興味を持つようになりました。このときに抱いた佐吉の「無限動力」への情熱が、後の動力織機の発明につながり、蓄電池にもつながってまいります。

 1925年、当時のお金で100万円、今で言うと100億円以上の懸賞金をかけ、佐吉は蓄電池の開発を推奨しました。条件は「飛行機に載せて、太平洋をひとっとび」できること。来年で100年を迎える今でも、世界にこれだけの性能を持つ電池はまだできていません。

 なぜ、佐吉は100年たっても実現できない、突拍子もない電池に懸賞金をかけたのでしょうか。そこには、2つのメッセージがあると思っています。一つは、動力源としての電池の可能性です。石油などの資源が乏しい日本ではエネルギー問題への対応が重要になると考えた佐吉は、水力で起こした電気を活用できる蓄電池に大きな将来性を見出したのだと思います。もう一つは、人の「考える力」が持つ無限の可能性です。佐吉は「永遠にできないものなどない」「どんな困難も、知恵と工夫で、必ず乗り越えられる」という信念を持っていました。だから、「できるはずがない」という周囲の声を押し切り、懸賞金を立て、次世代に夢を託したのだと思います。

 そんな佐吉を心から尊敬していたのが父の章一郎でした。父は1988年、豊田佐吉記念館を設立し、地域の人たちとの交流を大切にしました。湖西少年少女発明クラブの活動にも大変熱心で、子どもたちが夢に向かって挑戦する姿を、いつも温かく見守ってきました。たとえ、今の私たちにできないことでも、いつかきっと若い力でやり遂げてくれる。佐吉の懸賞金に通じる想いが、父の中にもあったのだと思います。生前、父は、造成中だった湖西バッテリーパークにも何度も足を運び、佐吉が後世に託した電池の工場ができあがるのを、心待ちにしておりました。トヨタの名を冠した新会社がスタートする今日この場に父がいたら何と言っていたでしょうか。

 今ここにいる私たちはみな、佐吉の夢の継承者だと思います。みなで心を合わせて、いつの日か、この湖西の地で、佐吉が夢見た電池を実現したい。そう思われる方は私一人ではないと思います。たとえ私たちの代でできなくても、ここには、発明やモノづくりの楽しさを知る子どもたちがたくさんいます。

 「新しいものをつくるために知恵を絞り、汗をかき、時間を忘れて熱中する。その瞬間が極めて楽しい。苦心した末にものができあがったとき、それを誰かが使って喜んだり、助かったりしたとき、この上ない喜びと感動に包まれる。だからもっと勉強し、働いて、もっといいものをつくろうと思う」。これは父、章一郎の言葉です。私は、「誰かの役に立ちたい」「世の中をもっとよくしたい」と願い、世代から世代へ受け継がれる人の情熱こそ、「無限動力」だと信じております。この情熱を継承していくことをお誓い申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。