タミヤ会長、F1取材の裏話などを語る 「田宮会長の取材紀行」 |
8月4日まで東武百貨店池袋店(東京都豊島区池袋)で開催中の「タミヤモデラーズギャラリー」。タミヤモデラーズギャラリーでは、タミヤの新製品や、恒例となったモデラーズコンテストの入賞作品が展示されている。その、モデラーズギャラリーで8月1日に「田宮会長の取材紀行」と題した講演が行われた。
タミヤの田宮俊作会長は、世界有数の模型メーカーとなったタミヤの立役者として知られている。古くからF1やスポーツカーの模型を出している関係で数々のチームをスポンサード。模型ファンでなくとも、モータースポーツファンであれば、タミヤの二つ星マークを付けたマシンを見かけた人もいるだろう。
講演は最近取材が厳しくなっていると言うF1取材の思い出話から始まった。田宮氏は「フェラーリ312B」の写真を指しながら、「昔は今ほど秘密主義ではなかった。今は秘密主義になってしまった」「フェラーリに関して言えば、エンツォ・フェラーリ氏が元気なころは、完成した模型を50~60個御大に贈ればよく、(模型化の際に発生する)ロイヤリティなども不要だった」と語り、自由な雰囲気の中で取材でき、模型化に関するハードルも低かったと言う。
F1チームのほうからサーキットのピットでは取材が大変だろうから、ファクトリーに来いと言ってくれ、部品単位にばらしてくれたり、部品の寸法まで測らしてたりするなど、今ではまったく考えられないほどのオープンな環境の中で取材を進めていたエピソードを多数語っていた。
水平対向12気筒エンジンを搭載する初のフェラーリF1、312B。いわゆる葉巻型のF1マシン。車名のBは水平対向エンジンの別名であるBOXER(ボクサー)を表す | 312B取材時のフェラーリファクトリーの様子。今では取材制限が厳しく、気軽にこのような写真を撮ることができないとのこと | 「ロータス72」の取材写真。フェラーリとロータスのファクトリーのみは、別格の大きさだったと語った |
1/20スケールのF1模型の第1弾「タイレルP34」に関しては、「当時フェラーリとロータスを除けば、F1のファクトリーはすべて小さなもので、タイレルのファクトリーも小さなものだった。タイレルのファクトリーは人が来ないように、材木屋さんの看板を出していた。ちょうど6輪のP34が出るときにタイレルから電話がかかってきて、その話を疑いを交えて聞いていたら『うたぐっているのなら、今すぐ見に来い』と言われたので、イギリスに飛んでいった。実際に見ると模型のアイテムとしては魅力的なもので、すぐにその場で契約をした。ただ、このP34はレースの結果はそれほどでもなかったが、模型に関しては大成功だった。当時のお金でロイヤリティを6000万円くらい払った。するとそれを聞いたマクラーレンやなにやらほかのF1チームから、どんどん話が入ってくるようになった。それでF1の模型を数多く出すことになった」と語り、それまでにも1/12スケールでF1を出していたタミヤが、多数のF1の模型を出していくきっかけになったと言う。
しかし、日本ではF1の模型は売れなかったとのこと。「F1の模型の売上げは8割がヨーロッパだった。タミヤは日本では(1/35スケールの)ミリタリーミニチュアシリーズなどが有名だが、ヨーロッパではまだまだ無名だった。(タイレルP34から始まった)自動車の模型が、タミヤをヨーロッパで有名にした。今でもタイレルのオーナーであったケン・ティレルの息子のボブ・ティレルとは交流があり、独ニュールンベルグの模型ショーなどでは、タミヤのブースを訪ねてくれる」と、タイレルP34の存在がいかにタミヤにとって大きなものであるか強く語っていた。
それらの人のつながりが、F1に限らず取材にとっては大切なものだと言う。飛行機や戦車の取材についても、人のつながりによって、とても普通では取材できないようなところまで入れてもらえることがあったと言う。ただ、F1に関しては、F1がビッグビジネスになってきたこともあって、事前取材ができにくく、そのため模型化する際にも発売タイミングが遅れてしまうとのこと。1年ごとにマシンが変更されるF1では、型遅れの模型を出さざるを得ず、そのような状況もあってビジネスとして成り立ちにくくなっていると語った。
飛行機や戦車の取材の裏話、取材をしたものの模型化できなかったトレーラーの写真など、数々の秘蔵の写真公開とともに開催された田宮会長の講演。このような取材の裏話をするのは初めてとのことで、タミヤモデラーズギャラリーを訪れた多数のお客さんも興味を持って聞き入っていた。
(編集部:谷川 潔)
2009年 8月 3日