初開催の「アジアン・ル・マン」、耐久レースでも激しいバトル |
10月30日~11月1日、岡山県の岡山国際サーキットで「アジアン・ル・マン・シリーズ」第1戦、第2戦が開催された。
アジアン・ル・マン・シリーズは、フランスのル・マン24時間レースのサブ・シリーズ。主催はル・マン24時間と同じフランス西部自動車クラブ(ACO)だ。1999年にアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)が、2004年には欧州でル・マン・シリーズ(LMS)が開始されており、アジアン・シリーズはこの岡山戦が初開催となる。またこのレースは、FIAのWTCC(世界ツーリングカー選手権)と併催となった。
■ル・マン24時間レースと同じレギュレーション
アジアン・シリーズは最長3時間または500kmの耐久レースを10月31日、11月1日の2回行う。車両規定はル・マン24時間および欧米のル・マン・シリーズと同じ。使用するのはLMP1、LMP2、LMGT1、LMGT2の4クラスのスポーツカーで、LMP1/2は2座のオープンまたはクローズドのプロトタイプカー、LMGT1/2は市販ロードカーをベースとしたもの。LMP1のみディーゼルエンジンの仕様が認められている。
エントリーリストにはル・マンシリーズのLMP1にも出場しているアストンマーチン・レーシングのローラ・アストン・マーチン[007](以下[]内はカーナンバー)や、コールスのアウディR10[14][15]、チーム・オレカ・マットミュット・エイムのオレカ・エイム[10]が名を連ねているほか、ALMSのLMGT2に出場しているレイホール・レターマン・レーシングのBMW M3[92]が初の海外戦に挑む。
日本からは東海大学の学生チームがクラージュ・オレカで出場することが話題を呼んでいるが、LMGT1/2にチーム・ノバのアストン・マーチンDBR9[61]やJLOCのランボルギーニ・ムルシエラゴ[68][69]、ダイシンのフェラーリF430[71]、ジムゲイナー・レーシングのフェラーリF430[85]といったSUPER GTのGT300クラスでおなじみのメンバーがエントリーしている。
ガルフカラーに[007]のカーナンバーが印象的なローラ・アストン・マーチン | ディーゼルターボマシンのアウディR10は2台エントリー | オレカ・エイム(前)とペスカロロ・ジャッド |
ALMSで活躍するBMW M3 | フォードGT VS アストン・マーチンDBR9などという戦いも見ることができる | GT300でもおなじみのダイシン・フェラーリF430 |
東海大学は唯一の学生チーム。ドライバーの1人、密山選手は東海大OB |
■番狂わせのスターティング・グリッド
30日に開催された予選では、LMSのレギュラーエントラントであるアストン・マーチンやコールス、オレカ・エイムが有利と見られる中、伏兵イギリスのドライソン・レーシング ローラ・クーペ・ジャッド(LMP1)[87]がポール・ポジションを奪取。
このチーム、クローズドボディーにブリティッシュ・レーシンググリーンのカラーリングのマシンが目立つのだが、それだけでなく、チームオーナーにしてドライバーのポール・ドライソン卿が、英国の現役閣僚(科学イノベーション担当大臣)という点でも興味深い。彼らのマシンはALMSに出走した際に大クラッシュし、リビルドされたものだそうで、このポールポジションを“大番狂わせ”と言っても失礼にはあたらないだろう。
第1戦スタートの31日12時30分は晴天。気温22度、路面温度25度と初夏のような気候の中、多くのファンがサーキットに押し寄せた。ローラ・クーペ・ジャッド[87]はローリングスタートを制し、1位で1コーナーを通過。ファステストラップを叩き出しながら、2位のペスカロロ・ジャッド[17]を引き離しにかかった。しかし常時点灯が義務付けられているヘッドライトが消え、21周目にピットイン。フロントカウルの交換中にトップグループから脱落した。
ポール・ポジションのドライソン・レーシング | ドライソン卿は一家揃ってグリッドに登場 | 2位以下を引き離し、もしやと思われたがヘッドライトのトラブルで後退 |
三つ巴のバトルはアストン・マーチンがリードしていたが…… |
■激しいトップ争い
その後はアストン・マーチン[007]、オレカ・エイム[10]、ペスカロロ・ジャッド[17]、アウディR10[15]が1秒差以内のトップ争いを繰り広げる。トップは何度も入れ替わり、LMGT1/2を巻き込んでの激しいバトルが続く中、レース1/3あたりからアストン・マーチン[007]がトップをキープ。
このまま[007]の勝利かと思われたレース終了10分ほど前、[007]はピットイン。フロントフェンダー上のエアアウトレットに問題があり、補修に時間を取られるうちにトップから脱落した。
スタートから3時間後、126周目にトップでゴールしたのはペスカロロ・ジャッド[17]。これにオレカ・エイム[10]、アウディR10[15]が続いた。期待の東海大は9位、LMP1クラス最下位で、LMP2の2台にも抜かれる残念な結果となったが、日本チーム最上位に贈られる「モチュール・トロフィー」を手に入れた。
LMP2はペスカロロ・マツダ[24]が優勝。だがもう1台のLMP2マシンであるクラージュAER[28]は、もっとも効率のよい走りをしたチームに贈られる「ミシュラン・グリーンXチャレンジ」を獲得した。
LMGT1はアストン・マーチンDBR9[61]とトップ争いを繰り広げたランボルギーニ・ムルシエラゴ[69]が優勝。LMGT2はポルシェ911 GT3 RSR[77]とのバトルをBMW M3[92]が制し、初海外戦で勝利を収めた。
優勝はペスカロロ・ジャッド。ドライバーはクリストフ・タンソーと中野信治 | LMP2を制したペスカロロ・マツダ | |
LMGT1はJLOCのムルシエラゴ。SUPER GTのようなポディウムになった | ポルシェとバトルを繰り広げたBMWがLMGT2ウィナーに | LMP1では最下位も、日本チーム最高位となった東海大。中央は林監督 |
■第2戦でもバトル
第2戦は翌11月1日、朝9時にスタートした。天気は、雲が多いものの晴れ。しかし雨になるとの予報が出ており、実際、レース中に雲が増え、ラスト数周で雨粒がぽつぽつと落ちてきた。しかし、完全なレインコンディションになることはなかった。
スターティング・グリッドは第1戦と同じで、スタート早々ローラ・クーペ・ジャッド[87]が逃げる展開も同様。しかし今日は15周目にアストン・マーチン[007]にかわされた。その後はオレカ・エイム[10]、ペスカロロ・ジャッド[17]、アウディR10[15]らとセカンドグループでバトルを繰り広げた。
40周目あたり、フォーミュラ・ニッポン・チャンピオンのロイック・デュバルのオレカ・エイム[10]と、中野信治がドライブするペスカロロ・ジャッド[17]が激しいバトルになったが、オレカ・エイム[10]が電装系のトラブルと、エアリストリクターにゴミがはさまったことでピット・ストップ。6位まで後退してしまう。
第1戦のトラブルでフロントカウルごとヘッドライトを交換したローラ・クーペ・ジャッド。交換後のフロントカウルは塗装されていないまま | 第1戦と同じく、ローラ・クーペ・ジャッドがトップで1コーナーに飛び込む |
結局、アストン・マーチン[007]が独走。[007]は終盤、燃料が足りなくなり、給油する場面もあったが、トップを守ったままゴールした。2位はペスカロロ・ジャッド[17]、3位は追い上げたオレカ・エイム[10]、ローラ・クーペ・ジャッド[87]は4位となった。ローラ・クーペ・ジャッド[87]はミシュラン・グリーンXチャレンジも獲得している。
なお東海大学は、グリッドに着くべくピットを出たものの、シリンダーヘッドのクラックが発見され、スタート直前に第2戦への出走をあきらめた。
LMP2は第1戦と同じくペスカロロ・マツダ[24]が独走。クラージュAER[28]はトラブルに見舞われたうえ、ピットレーン速度違反でストップペナルティが課され、総合19位でのゴールとなった。
LMGT1は若干の順位変動はあったものの、終始チーム・ノバのアストン・マーチンDBR9[61]がトップを走り、そのままゴール。日本チーム最高位のモチュール・トロフィーも獲得した。
LMGT2は終盤、第1戦の覇者BMW M3[92]がリードしたものの、80週目頃のピット・インでスターターがかからず、ガレージ入り。コースに復帰したが、その間トップに立ったハンコックのフェラーリF430GT[89]に勝利を譲ることになった。
優勝したアストン・マーチン。ドライバーのミュッケは、パルクフェルメにマシンを停めるとノーズにキスして喜びを表した | グリーンXチャレンジを獲得したドライソン・レーシング | チーム・ノバはLMGT1の勝利とモチュール・トロフィーを獲得 |
(編集部:田中真一郎)
2009年 11月2日