“雲に向かうレース”「パイクスピーク・ヒルクライム」リポート ゴールは標高4301m、150以上のコーナー、“世界一過酷なヒルクライム” |
塙さんがドライブする「ヨコハマEVチャレンジ」号、EV Sports Concept HER-02。三洋製のリチウムイオンバッテリーとACプロパルジョン製のモーターとコントロールユニットを搭載。タイヤは横浜ゴムのオン/オフロード兼用プロトタイプモデルを装着 |
米国コロラド州パイクスピーク
2010年6月22日~27日(現地時間)
「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」。これはアメリカで最も長い歴史を持つインディカー・レースに次いで古く、1916年から始まったヒルクライム・レースだ。その名の通り、山岳地帯のワインディングロードを1台ずつイッキに駆け上がり、誰が一番速いかを競うというものだ。今回は世界でも珍しく、歴史と伝統のあるこのレースを紹介したい。
パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムは別名「雲に向かうレース」と言われている |
■富士山より高いゴール
このレースは別名“雲に向かうレース”とも言われている。その理由は、パイクスピークの山の高さにある。目指すゴールは富士山の山頂(3776m)よりも高い4301mという標高。気象状況にもよるが、雲に向かって走り、雲を突き抜け、頂上で雲海を眺めることもあるそうだ。
またこれだけの高山かつ高所で行われることから、“世界一過酷なヒルクライム・レース”とも言われている。スタート地点の標高は2861m。そこから4301mの頂上を目指して20kmを走行する。その高低差は1400m。
当然ながら高所に行くにつれ酸素は薄くなり、酸素を必要とするドライバーはもちろん、ガソリンやディーゼルエンジンを搭載するマシンにはチューニング能力が求められる。また変わりやすい山の天気を敵にまわすことなく、上手く付き合って走らなければいけない。
さらにコース上は舗装路とダート路が混在し、コーナーが156もあるが、ガードレールはほとんどない。時としてドライビングミスが大きなアクシデントを招くことになるのは、想像がつくだろう。これほど自然相手の厳しい高山レースは、世界中でもここしかないそうだ。
パイクスピーク山頂の標高は4301m。富士山よりも高い | コース全長の20kmの間にはコーナーが156個もあり、舗装路とダートが混在する | クルマ以外でも「Pikes Peak Cog Railway」という歯車式登山列車で往復することもできる。急勾配を登り下りするため、歯車を使っているそうで、ちょっと珍しいのではないだろうか |
■大自然に挑む2人のサムライ
そんなレースに22年間も挑み続けている大ベテランの日本人がいる。“モンスター田嶋”こと田嶋伸博さん。田嶋さんは2007年に優勝してレースのワールドレコードを更新して以来、4連覇中。今年、総合優勝をすれば5年連続チャンピオンとなる。
また、彼が叩きだしたレコードタイムは10分01秒。今まで誰も10分を切ってゴールした者がいないここパイクスでは、10分切りに最も近い田嶋さんへの期待が高まっていた。ファンも多く有名人である。マシンはスズキ「SX4ヒルクライムスペシャル」。3.1リッターV型6気筒ツインターボエンジンが発揮するのは何と、910PS/90.5kgm。
そしてもう1人、昨年からEVマシンで参戦している塙郁夫さんだ。世界各地のオフロードレースに参加し、将来はロングディスタンス・レースにもEVで出場したいと言う。そこでEVの可能性を探るべく、昨年から自ら設計したマシンで参戦しており、横浜ゴムがEVタイヤの開発も兼ねてバックアップしている。
EVでの挑戦は、やはり大きな注目を集めていた。EVに酸素濃度は関係なく、バッテリーの容量的には20分の全開走行は可能だという。そこで今年はEVワールドレコード更新という、目に見えないライバルを意識しながら、パイクスの大自然を相手に挑んだのだった。
山の中腹あたりにあるブレーキチェックポイント。必ず一旦停止してレンジャーによるチェックを受けなければいけない |
■希有な高山コース、普段は一般開放
ところで、パイクスピークはロッキー山脈の一部の山で、コロラド州のコロラド・スプリングスの町を足元に置く。レースに使われる道路は「Pikes Peak Highway」と呼ばれる全長31kmの有料道路の、山頂から20kmの区間。普段は朝から夕方まで、山岳ドライブを誰でも楽しむことができるのだ。
レース日の日曜日は、この道路を1日だけ閉鎖して行う。ちなみにこの道路、これだけの高山の山頂をクルマで訪れることのできる、世界で2つしかない道路の1つだそうだ。現代のクルマなら酸素と燃料の調整は自動でやってくれるし、オフロード部分の道路整備も整っているから、普通のクルマで誰でも気軽に山頂に向かえる。が、人間はときに高山病になることもあるから注意は必要。実際に初めて頂上に立ったら、息が苦しかった。歩くだけでも大きく呼吸をしないといけない。それでも十分に酸素が吸えるかというと、少し物足りない。
山を降りる場合、クルマは高山ならではの安全チェックを受けなければいけない。それはブレーキチェック。山頂から戻ってくるクルマは全車、ブレーキチェックゲートで一旦停止し、スタッフのチェックを受けなければいけないのだ。そして問題があれば隣接するレストハウスの駐車場で、ブレーキの加熱をクールダウンしてから下山する必要がある。当然ながら皆さんエンジンブレーキを併用しながら、ゆっくりと慎重に山を降りていた。
山の頂上にはレストハウスがあり、お土産ショップやカフェ、それに酸素室も併設されている。ちなみに山頂のレストハウスで販売されているドーナツは名物。酸素が薄く気圧が低くても、軽くてモチモチとした食感があって美味しい。レース日は走行を終えたドライバーも、カフェでコーヒーやドーナツを食べながら休憩をしていた。
山頂からの眺め。パイクスピークは自分の足を使わずしてこの雄大な風景が見られるのだ | 山の天気は変わりやすい。この後、雪が降り出した | 今回のレースウイーク中に大きなアクシデントは伝わってこなかったが、土手から転げ落ちたり、路肩にはまったりすることはあったようだ |
約1週間のレースウイークは参加受付と車検から始まる |
■ユニークなテスト走行
話をレースに戻すとしよう。今年、88回目を向かえるこのレースは、6月22日(現地時間、火曜日)の車検からスタートした。今年は4輪は57台、2輪は107台がエントリー。4輪には8つのクラスが設けられていた。
初日に車検を受け、翌日から3日間かけてテスト走行と予選をし、土曜日のオフ日を挟んで、日曜日がレース本番というスケジュールであった。日曜日、レース本番のタイムアタックはたった1度きり。なのに、約1週間かけて行われるのだ。
コロラドの小さな町で行われタイムレースはオフィシャルも地元ボランティアだし、意外と軽く見る人もいるかもしれないが、運営面は想像以上にしっかりとしていた。そういうところが、長い伝統と歴史を持ち、多くのドライバーや観客を惹き付け続けるパイクスの素晴らしさなのかもしれない。
ところでテストの方法もちょっとユニークだ。20kmのコースをボトム(予選のためのタイム計測付)、ミドル、トップと3セクションに分け、2輪と4輪の参加車両も3グループに分けられる。そして各グループが3日間かけて、毎日異なる3セクションをテストし、コース全ての走行テストを行う。ただし3日間で3セクションを走ることはできるけれど、20kmのフルコースをフルテストすることはできない。先にも説明したが、フルコースを走れるのはレース当日の1アタックのみ。
一般利用客がこの道路を利用できるのは、朝9時以降。山頂で朝陽が昇るところを見られるのはトップセクションのテスト走行をゴール地点で待つ者のみ。貴重な朝陽の写真(お天気がよくてよかった……) |
テストがまたすごい時間から始まる。
走行開始は道路を一般開放する前の5時半~8時半。そこで参加者は毎朝3時半のゲートオープンに合わせてパイクスに向かう。これは朝というよりも夜中だ。過酷なレースはすでにここから始まっていると言ってもいいかもしれない。トラブルが起きれば、その区間のデータは取れなくなってしまうので、走行を終えてからのマシン整備も重要だ。
私は塙さんがドライブする「チームヨコハマEVチャレンジ」のテスト走行に、3日間同行させていただいた。朝2時~2時半にホテルを出発し、ゲートオープンを待つ。例えば初日のテストはトップセクションだったため、ゲートが開くと私は4時過ぎにゴール地点となる山頂に先に上がり、テスト開始を待った。いくら夏山とは言え、寒い……。
5時半にテストが開始になると、同じグループのビンテージクラスのクルマたちが次々と下から上がってきた。このテストのルールは、全車がゴールしたところで、一斉に下山し、再びセクションのスタート地点から1台ずつ走行するというのを繰り返すというもの。
夜明けとともに走行が開始されると、美しい山並みをバックに走るクルマたちがとても美しく見える。そこで悴む指先をハーハーと暖めながら、走るクルマを撮影しようと一瞬でも息を止めると、高山ではその後の呼吸を整えるのが大変だった。
私も大変だけれど、参加車両には1953年のリンカーンなどがいる。キャブレター調整とか、どうしてるんだろう……。このレースは、長年参加している経験豊富な人が強いのだそうだ。中には白い煙を吐きながらやっと上ってくるクルマもいたが、ムリもない。
3日間のテストが終った金曜日の夕方は、コロラドスプリングのダウンタウンでファンフェスタが開催された。代表的なチームがマシンやバイクとともに招待され、マシンを展示し、ファンサービスを行うのだ。日本人チームの2人も共にマシンを展示し、サインや記念撮影をひっきりなしに求められていた。
会場では他にも地元自動車ディーラーが売れ筋モデルの展示や、有志たちによる大学の学園祭のような飲食店の出展、アマチュアバンドのライブなどが行われ、来場者はお祭り気分を楽しんでいたようだ。
ファンフェスタではプレスリーになりきる人たちが笑いを集めていた | 山火事を防いだり消火活動を行う消防団の出店。ファンフェスタは地元のちょっとしたお祭りみたいだった | サインをする塙さん |
レース当日の朝。観客たちも制限はあるが、山に入り観戦できる。地元の人たちは毎年お気に入りの観戦ポイントがあるのだと話していた |
■シンプルなレースほどタイムを縮めるのは難しい
そして決勝当日。雲ひとつない夜明け前の空に月が浮かび、一見、天気はよさそうだったのだが、時間とともに崩れるという予報が出されていた。
出走順はあらかじめ決められていたが、予選で一番速かった人が順番を決める(変える)権利を持っているのだそうだ。その権利を持っていたのは今年も田嶋さんだった。
田嶋さんは5連覇はもちろんだが、今年はマシンの調子がよく、路面コンディションもよかったため、天気さえもってくれれば10分を切れると確信していた。そこで、出走順を予定よりも1クラス前に繰り上げることにしたのだった。
ゴール地点にまずやって来たのは、塙さんだった。EVは音がないから危ないということで、昨年から電子音を意図的に発しながら走行する。しかし、実際には音はあって、モーターのキーンという音は速度が上がるほどに高く大きく聞えるのだ。現代の乗り物にはない音と速さは、おそらく沢山の観客に新鮮な興奮と衝撃を与えたに違いない。
ラジオから聞えてきた塙さんのタイムは、13分17秒。これはそれまでのEVの記録14分50秒を1分以上縮めて、EVワールドレコードの更新となった。
今回、EVワールドレコードを塗り替えることはできたものの、後半のセクションでモーターの温度がリミットまで上がってしまい、最後は我慢の走行となってしまった。来年はフルコースで全開走行を目指すそうだ |
しばらくして今度は、田嶋さんが迫力あるエキゾースト音を轟かせながら現れ、あっという間にゴール地点を疾走していった。「10分切れたのか?」。ところがなかなかタイムが発表されない。実は走行中に計測器が脱落するというアクシデントがあり、タイムの集計に時間がかかってしまったのだった。
そして、田嶋さん本人も出演するラジオのライブ放送で発表されたタイムは、10分11秒。10分を切るという目標はまた来年へと持ち越されることに……。しかし、総合優勝とクラス優勝を獲得し、見事5連覇は達成できた。
山の頂上を目指して速さを競うパイクスのレースは単純で分かりやすいが、シンプルなレースほどタイムを縮めるのは難しいと2人の日本人は言う。実際、昨年はWRCのフォードのワークスチームがエースドライバーとともにこの山に挑んだが、泣かず飛ばずの結果に終っている。
小さな町で行われる大きな山への挑戦は、これからもきっと多くの挑戦者をとりこにし、観衆を惹き付けて止まないのだろう。
(飯田裕子)
2010年 7月 21日