小林可夢偉選手など多くのドライバーによるトークショーを開催
TMSF 2010 グランドスタンド裏&記者会見編

さまざまなイベントが開催された、富士スピードウェイのグランドスタンド裏

2010年11月28日開催



 富士スピードウェイ(静岡県駿東郡小山町)で11月28日に開催された「トヨタ モータースポーツフェスティバル 2010」(以下、TMSF)。レーシングコースやショートサーキットでのプログラムのほか、グランドスタンド裏の特設ステージでは、レーシングドライバーらによるトークショーを開催。そのほか、関連メーカーによる展示や物販が行われており、多くの来場者が思い思いに楽しんでいた。

 本記事では、レーシングドライバーらによるトークショー、各種の展示、またTMSF終了後に報道陣向けに行われた記者会見の模様をお届けする。

メインステージは、さまざまなショーを開催
 グランドスタンド裏に設置されたメインステージにおいては、トヨタ所属のドライバーやチーム監督などによるトークショーが行われた。

TMSFアニバーサリートークショーに登場したかつての名ドライバーたち。左から片山右京氏、星野一義監督、近藤真彦監督、黒沢琢弥監督、ZENTセルモ監督の高木虎之介監督

 「TMSFアニバーサリートークショー」では、過去にトヨタのレーシングカーに乗って活躍した往年のドライバーや監督が登場した。参加者は、元F1ドライバーの片山右京氏、フォーミュラ・ニッポンでトヨタエンジンを利用しているチーム・インパルの星野一義監督、同じくフォーミュラ・ニッポンでトヨタエンジンを利用しているコンドウ・レーシングの近藤真彦監督、チーム・エネオス・ルマンの黒沢琢弥監督、ZENTセルモの高木虎之介監督の5人。

 なかでも、日産のエースを長年勤めてきた星野氏が「トヨタの星野です」と冗談をかますと、事情を知っている会場に詰めかけたファンは大受け。また、片山氏が「今年久々にテレビをつけたら、マッチがレコード大賞の歌唱賞を受賞しているのを知ってびっくりした。歌手だとは最近まで知らなかった」と現役時代と同じく際どいジョークを飛ばすと、それを受けた星野監督が「俺もレコード大賞狙ってるんだけど」と言うと観客は大きく沸いていた。

 このほか、現役時代の高木虎之介氏が最初に星野氏に挨拶に行ったときに「お父さんは元気?」(筆者注:高木氏の父親と星野氏は同じ時期に同じレースを戦っていたことがある)と言われたそうだが、デビューしてずいぶんたって全日本F3000で高木氏が星野氏を抜いて優勝を飾った伝説のレース(1995年の第9戦)でも、表彰式の後に同じように「お父さんは元気?」と聞かれたなどのエピソードや、片山右京氏が現役時代の黒沢琢弥氏が「ワニ」というあだ名でチームから呼ばれていたなどのエピソードが明かされた。


トヨタ所属のGT500、GT300ドライバーたちが集合

 2つ目のショーとして行われたのは、「SUPER GTドライバートークショー」。SUPER GTのGT500とGT300クラスに参戦する、トヨタ系のチームのドライバー16名が集合した。なお、RACING PROJECT BANDOHの2人(織戸学選手/片岡龍也選手)は同時期に行われていた別のイベントに出場していたため欠席となった。冒頭で、aprチームの松浦孝亮選手が若干遅れてくると、トヨタドライバーのリーダーとも言える脇阪寿一選手がお客さんへの謝罪を要望。松浦選手のお詫びという爆笑シーンからショーは始まった。ショーは、お互いのチームメイトに関する話題が中心となっていた。

 例えば、LEXUS TEAM LeMans ENEOSの伊藤大輔選手は、チームメイトのビヨン・ビルドハイム選手がデジタル関係に詳しく、新しいデジタル機器を買うときに相談していることなどを明らかにした。するとすかさず脇阪選手が「大輔はいっつも新しいデジタル機器買うときは、俺らにまず買わせて大丈夫だと思ったものだけを買うんです」と暴露し、伊藤選手がイメージ通り“石橋を叩いて渡る”性格であることなどを紹介した。

 司会はいたものの、ほとんど脇阪選手が仕切り、お客さんは笑いっぱなしの30分間となった。


aprの松浦選手(右)が遅刻して登場……お詫びする松浦選手。視線の先には脇阪選手がいる外国人選手勢は2列目に。通訳のやり取りなど、ちょっと大変そうだった

2人のF1ドライバーが、来年に関して語ったスペシャルトークショー
 「スペシャルトークショー」と題したステージでは、TDP(トヨタ・ヤング・ドライバー・プログラム)所属の2人のF1ドライバーである小林可夢偉選手と中嶋一貴選手が登場し、今年について、そして来年に関するトークを行った。

 小林選手はF1最終戦のアブダビGPのあと、ドバイの高級ホテルに宿泊してちょっとした休暇を楽しんだことを明らかにし、「チェックアウトするときに初めて知ったんだが、部屋の料金が1泊15万円だった! クレジットカードでなんとか払えたけど、払えなければ今頃ドバイで皿洗いしてましたよ」といきなり観客を爆笑の渦に。

 次いで、今年のベストレースは何かと聞かれると「みんな鈴鹿でしょと言うと思うが、自分的にはベストレースはトルコGP。あそこで生き残ったことが次へとつながっていった」と述べた。さらに、海外GPではどれを見に行くのがおすすめか聞かれると「迫力という意味ではシンガポールGP、ドライバーを近くに感じられるという意味ではオーストラリアGPがおすすめ。ただ日差しが強く、それだけには注意したほうがいい」と語り、世界中を転戦したF1ドライバーならではの感想を披露してくれた。

 中嶋選手には、このトークショーの前にエヴァンゲリオンカラーのフォーミュラ・ニッポンマシンをドライブした感想が聞かれた。「1年間レーシングカーをドライブしていなかったので、感覚を思い出すのが大変だった。やはりF1と比べると重量が重いというのが大分違うなというのが最初の感想だが、何よりもドライブするのが楽しかった」とほぼ1年ぶりのレーシングカーのドライブを十分に楽しんだ様子が伝わってきた。

 多くのファンが気になっているであろう来年の参戦については、「現時点では何も決まっていないのでお話できることはない。しかし、来年は必ず何らかのレーシングカーをドライブしたい」と述べ、レーシングドライバーとして必ず走りたいと強い気持ちが伝わってきた。

スペシャルトークショーに登場した小林可夢偉選手(左)と中嶋一貴選手(右)F1レースドライバーとして1年目のシーズンを終えたばかりの小林可夢偉選手今年はレースをドライブすることなく終えた中嶋一貴選手。このTMSFの翌日からのフォーミュラ・ニッポンのテストに参加した

LGDAヘルメットカラーリングコンテストのヘルメット贈呈式
 トヨタのGT500ドライバーの集まりであるLGDA(レクサス・ドライバーズ・アソシエイション)主催によるLGDAヘルメットカラーリングコンテストで、入賞したカラーリングをデザインした子供たちに対するヘルメットの進呈式もメインステージで行われた。

 このLGDAヘルメットカラーリングコンテストは、例年夏に開催しているLGDA夏祭りで行われたコンテストで、子供達の応募したヘルメットデザインがドライバーらにより選ばれた。選ばれたデザインはヘルメットにカラーリングされ、JAF GRAND PRIX FUJI SPRINT CUPのレースで実際にドライバーが利用していたのだ。

 LGDA代表である脇阪寿一選手によると、今回のコンテストはヘルメットメーカーであるアライヘルメットの協賛で実現したとのこと。アライヘルメットの関係者もステージに呼ばれて参加した。

ヘルメットをデザインした子供たちが、ドライバーとともにステージに呼ばれた協賛したアライヘルメットの関係者も壇上へ
LGDA代表の脇阪寿一選手がスピーチステージ脇には、ヘルメットのデザイン案と、実際のヘルメットが展示されていた

グランドスタンド裏ではタイヤメーカーなどが各種展示を
 グランドスタンド裏には、ドライバーのトークショーなどが行われたメインステージのほか、タイヤメーカーやブレーキメーカーなどの各種モータースポーツ関連企業による展示も行われた。

 なかでも目立っていたのは、ブレーキキャリパーメーカーとして知られるブレンボ(brembo)。ブレンボはSUPER GTやフォーミュラ・ニッポンにキャリパー(ブレーキパッドにより、ブレーキディスクを挟み込む装置)やブレーキディスクなどを供給している。それらの製品が展示されたほか、一般車などで利用されている鋳鉄製フローティングディスクと、レーシング用のCCM(セラミック・コンポジット・マテリアル)ディスクの重さの違いが体験できるコーナーなどが用意されていて、実際に重さの違いを確認することができた。

 日本ミシュランタイヤも、レーシングタイヤと市販車用のタイヤの重さの違いを確認できるコーナーを用意。実際に筆者もチャレンジしてみたのだが、市販車用のタイヤは重く、なかなか持ち上がらなかったのだが、レース用のスリックタイヤは軽々と持ち上げることができた。

 展示員の説明によると、レーシングタイヤのほうはタイヤそのものの重量も軽いのだが、ホイールもマグネシウム(市販用はアルミ)になっているため、それも軽量化に貢献しているのだと言う。なお、タイヤメーカーはこのほかにも、ブリヂストン、横浜タイヤ、ダンロップ(住友ゴム工業)がブースを出しており、それぞれ自社の市販用のタイヤやレーシング用のタイヤなどを展示していた。

 グランドスタンド裏には、地元物産の販売店や、「AUTOSPORT」などのレース雑誌のバックナンバーの即売会、年末ということもあり昨年のレースグッズなどがセールになっている物販ブースなどが設置されており、詰めかけたファンが熱心にお目当てのモノを探している様子が印象的だった。

ブレンボのブースに展示されていた、フォーミュラ・ニッポン用のキャリパーとディスクこちらはSUPER GT用レクサス LFA用のキャリパー。左がフロント(対向6ピストン)、右がリア(対向4ピストン)。周方向に配置したピストンの直径を変化させ、ブレーキ力を整えている
レクサス IS F用。左がフロントで、右がリアブレンボの重さ体験コーナー。CCMと鋳鉄製によるブレーキディスクの重さの違いを体験できる。黒いディスクがCCMだ
ミシュランのブースでは市販車用タイヤ(手前)とレーシング用タイヤ(奥)の重さの違いを体験することができたブリヂストンのブース横浜タイヤのブース
ダンロップのブース物販ブースではレース雑誌のバックナンバーの即売会が行われていた昨シーズン用のチームキャップは、セール価格で販売

TMSF終了後行われた記者会見

脇阪寿一選手は来年トムスにいない可能性も
 TMSF終了後には、参加したドライバーと、トヨタ自動車を代表してモータースポーツ部 部長 高橋敬三氏による記者会見が行われた。

 この会見では、主にTMSFの感想などが話されたのだが、ファンにとって興味がある内容として、脇阪寿一選手と中嶋一貴選手の来シーズンに関する質問が記者からなされた。

 脇阪寿一選手に関しては、同選手のブログで「多分、僕は来年トムスには居ないと思います。」(脇阪寿一Blog)という内容が発表されている。脇阪選手は来年について、「自分の中でいろいろ考えているが微妙な段階なので今はまだ発表できるものはない。今ちょっとフェラーリからオファーが来てまして、チームメイトはアロンソです(笑)」と冗談を交えて返答。トムス離脱も含めてさまざまな可能性を検討しているようだ。

 中嶋一貴選手は、「現状では、TMSF終了後の2日間にフォーミュラ・ニッポンのテスト走行を行うことしか決まっていない。自分としてはF1も含めた海外のレースを戦いたいと希望しているが、日本国内でやるということも選択肢の中には入っている。ともあれ来年も走らないという選択肢はあり得ないので、レースドライバーとして活躍できるところでドライブしていきたい」と述べ、国内レース復帰も選択肢に入れつつ、海外でのオファーもよく検討して、来シーズンの活動を決めていく。

 小林可夢偉選手に対しては、最終戦のアブダビGP終了後の週末に、ヤス・マリーナ・ベイ・サーキットで行われたピレリタイヤ(来年以降、F1に独占供給)を利用したテストの感想が質問された。

 小林選手は、「ピレリタイヤで走るのは今回が初めてで、F1のタイヤとなると簡単なことではないが、正直想像していたよりはわるくなかった。当初は2、3周もしたらなくなってしまうのかと思っていたが、タイムも思ったよりはわるくなかった。チームと話していてもこれはよい驚きで、ピレリはよい仕事をしていると賞賛している」と述べた。また、来年はチームのエースとしての役割が期待されるがという質問には、「2年目でこうした役目をもらうことはなかなかないので、本当の勝負は来年と言える。レース数が20戦に増えて体力的にも大変だが、ミスをしないことが大事で、それを1年間続けられるようにがんばっていきたい」と語り、ステディな走りでチームの信頼を獲得しながらさらなる上を目指していく。


来年はトムスにいない可能性もあると語る脇阪寿一選手中嶋一貴選手は、何らかのカテゴリーでのレース参戦を行うピレリタイヤの印象を語る小林可夢偉選手

トヨタ自動車 モータースポーツ部 部長 高橋敬三氏

 最後にトヨタの高橋氏に、トヨタ自動車の子会社で昨年までF1に参戦していたTMG(Toyota Motorsport GmbH)がHRTとの提携を打ち切ると発表したことについての質問がなされ、高橋氏は「ご存じのとおり昨年末でF1撤退を決めた段階でTF110という今年用の車を開発していた。それをHRT側から技術がほしいという話があったので提供すべく話を進めていたのだが、リリースのとおり破談になった。今後同じような形で、ほかに提供することがあり得るかと言われれば、1年間F1から遠ざかっているので正直難しいと思う」と言い、今後はTF110を他チームに提供するということはないだろうという認識を示した。

 TMGのリソースを利用して欧州で他のレースに参戦するという計画に関しては、「F1に変わるスポーツを探しているのは事実、技術的にはかなり煮詰まってきており、弊社の山科(山科忠 常務取締役)が以前述べたように10月には決めて発表する予定だった。急激な円高という新しい情勢の中でそれはなくなったと考えている」と語り、現時点ではF1に変わる新しい参戦カテゴリーは、決定していないと説明した。

(笠原一輝)
2010年 12月 2日