ニュース

レーシングドライバー山田真之亮の「2015 FIA-F4参戦記」

今年から始まったFIA-F4選手権に参戦しています

 FIA-F4選手権は、世界自動車連盟(FIA)が新たなエントリーフォーミュラカテゴリーとして提唱し、2015年から日本でもスタートすることになった新しいレースシリーズ。初年度となる今年はSUPER GTのサポートイベントとして1大会2レース制で開催され、日本各地のサーキットで全14戦が争われています。

 日本人に止まらず、世界各国から若手選手が集まるこのレース。Car Watchでは今年23歳になる「山田真之亮」選手に注目。第1戦、第2戦の岡山国際サーキットではリタイヤとなったものの、第3戦、第4戦の富士スピードウェイでは表彰台を獲得。現在ドライバーズランキングで3位となっています。Car Watchでは山田選手の活躍を、本人によるリポートでお伝えいたします。


 こんにちは。B-MAX レーシングチームからFIA-F4選手権に参戦している、レーシングドライバーの山田真之亮(やまだしんのすけ)です。Car Watchで僕のリポートを掲載していただけることになり、とても興奮しています。文章はあまり得意ではありませんが、みなさんにFIA-F4や僕のことをより深く知っていただけるチャンスだと思って、頑張って書いていきたいと思います。

 まずは、僕のレーサーとしての生い立ちからお話させていただきたいと思います。生年月日は1992年8月29日、身長175cm、体重57kgで血液型はA型。自分でもわりと真面目なほうだと自負しています(笑)。

 カートを始めたのは8歳のころです。実は、初めてカートに乗らせてもらったのは3歳のときらしいのですが、そのときの僕は怖がってしまって全然ダメだったようです。当時、父親がカートショップを経営していたので、そんなに早くからカートに触れられるチャンスがあったわけです。

 いつも父親のカートレースに一緒に行くうちに、8歳のときに「僕にもできるかな?」と思ってもう1度乗ってみたら、楽しかったんですね。意外とちゃんと走れてたし、なにより楽しかったので夢中になりました。それがレーサーになるきっかけでした。

 とくになにかを目指していたわけでもなかった自分は、大人の人たちからレースについていろいろなことを教わり、父のチームの一員としてカートの世界に没頭していきました。全日本クラスのレースにスポット参戦したり、海外のレースに出たりもしました。

 今年からF1レーサーとして活躍しているカルロス・サインツJr.選手とも、マカオのアジア・カートグランプリで戦いました。競い合って6位を走っていたときにエンジンが壊れてしまい彼には勝てなかったですが、いい勝負はできていたと思います。

 15歳までカートの世界で戦っていた僕でしたが、16歳になると父がフォーミュラに乗せてくれました。思ったとおりのドライビングができるようになるまで練習し、17歳で鈴鹿サーキットのレーシングスクール(SRS)に入校。SRS-Fは18歳で合格し、本田技研工業の育成ドライバーに選ばれたのです。

 18歳で自動車運転免許を取得すると、入門フォーミュラのFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)に参戦するようになりました。レースはいつもトップ10以内でゴールし、F1日本グランプリのサポートイベントでは、2位、3位と連続表彰台を獲得してルーキートップで2011年のシーズンを終えました。

 しかし、シーズンオフに自分の不注意で大きな怪我をしてしまい、2012年度のホンダ育成ドライバーから外れてしまいました。そのときはショックでしたし、レース活動を止めるしかありませんでした。それでもスポンサーさんからお声をかけていただき、スーパー耐久シリーズに1戦だけ参加して、3位表彰台を獲得しました。

 2013年のシーズン前にスポンサーさんからお話をいただき、スーパーFJシリーズに旧型マシンで参戦するチャンスを得ました。ほかのライバルたちが金曜日から走りこんでレースに臨んでいるのに、資金不足の自分はいつも日曜日の朝にサーキット入りしてぶっつけ本番という状態でしたが、4戦4勝して最終戦を待たずしてチャンピオンを獲得。ご褒美に参戦させてもらった日本一決定戦では金曜日から練習ができたこともあり、パーフェクトウィンで日本一に輝いたのです。本当に嬉しかったです、あの勝利は。

 そして迎えた2014年は、スカラシップを得てF4東日本シリーズに参戦。2位ばかりが続くレースで年間ランキングは3位。しかし、僕の走りを見てくれたSUPER GTドライバーの関口雄飛選手とマネージャーさんに声をかけられ、B-MAX レーシングのFIA-F4オーディションに参加させていただくことになったのです。結果は合格。晴れて今シーズンの自分がいます。

 FIA-F4は今年からスタートした新しいカテゴリーですが、カートの全日本チャンピオンやF3経験者、ヨーロッパでのF4チャンピオンなど強敵が多く、自分がどこまでいけるのか、走り出す前は正直なところ不安でした。でも、シェイクダウンテストから好タイムを連発できたので、勝てないはずはないなと自信を深めることができました。自分では、どんなマシンに乗ってもすぐにその特性をつかみ、タイムを出せる適応力の高さに自信があります。それはFIA-F4でも同じだったのです。

雨で迎えた岡山国際サーキットの開幕戦

開幕の岡山は雨のレース

 そして迎えた岡山国際サーキットでの開幕戦。僕にとって地元でのイベントだっただけに気合も入り、関口雄飛選手のアドバイスや指導もあって、トレーニング・セッションではトップタイムをマークすることができました。練習セッションで常にトップグループにいることで、ライバルやチームメイトにプレッシャーを与える存在でいられました。

 しかし、予選は天候のいたずらで、雨が降ってはいないものの、路面はウェットという難しい状況でした。セッション折り返し時点までトップに立ち、その後も上位5台が目まぐるしくポジションを入れ替えながらトップ争いをするなか、ラスト1分で1分44秒406でトップタイムをマーク。チェッカーフラッグが用意され、これで決まったなと思った矢先に3台のマシンが次々とタイムを更新し、結果は4位。セカンドベストタイムで決まる第2戦のグリッドは3位でした。

 記念すべきFIA-F4の開幕戦は、スタートでうまくポジションを取って3番手に浮上。しかし、3周目に多重クラッシュのためセーフティカーが入り、8周目までそのままの状態でレースが続きました。そしてセーフティカー解除の直後から、僕も含めた4台で激しいトップ争いを展開したのですが、12周目のダブルヘアピンで接触されて押し出され、サスペンションが壊れてしまいました。これは4輪レース人生で初のリタイアとなりました。接触してきた相手はレース後にペナルティの裁定が下されましたが、それで僕のレース結果がどうなるわけでもなく、こんな悔しいことはなかったです。

 日曜日の第2戦でも2周目にセーフティカーが入り、再スタートした直後に前を走るマシン2台が自滅してくれたことでトップに浮上。しかし、僕自身もブレーキバランスを調整しきれず、バックストレートエンドのヘアピンで無念のコースアウト。地元イベントで2戦連続リタイアという残念な結果でした。とくに第2戦では、トップに立った瞬間に「ぶっちぎってやる」と欲が出たのがいけませんでした(笑)。

リスタートで上位がコースアウト。トップに浮上した
「ぶっちぎってやる」と快走したものの……
直後のバックストレートエンドでコースアウト

連続表彰台を獲得した富士の第3戦、第4戦

 第3戦、第4戦は、僕にとって苦手な富士スピードウェイでのレースです。エントリー台数も38台に増え、より厳しい戦いとなりそうな予感でした。フリー走行では新品タイヤでのセットアップがいまひとつで、予選に向けて不安を抱えたレースウィークとなりました。

 しかし、予選ではトップタイムを何度も更新する走りを見せることができ、最終的には4番手、5番手で予選を終えました。スリップストリームが使えなかった予選での位置取りは今後の課題ですが、ストレートの長い富士では十分に勝てるポジションです。

 決勝に関しては、第3戦はかなり激しいバトルをしつつ、頭のなかでは冷静に次のレースを考えながらタイヤマネジメントをしていました。第4戦ではスタート直後の1コーナーで予期せぬコースアウトをしてしまい、8番手からの追い上げでしたが、そこからは15周フルプッシュ。第1コーナーで飛び出した以外には1度のミスもなく、本当に全力で駆け抜けたレースでした。

苦手の富士。第3戦はタイヤマネージメントをしながら3位表彰台を獲得
第4戦のスタート。大外から攻めたものの、コースアウトして8位に順位をダウン
フルプッシュの走りで3位まで浮上

 結果的に、富士でのレースは第3戦、第4戦とも3位入賞。表彰台に連続で立つことができました。練習走行での不安からしてみれば上出来のレースだったと思います。連続表彰台は、エンジニアやメカニックが必死になって頑張ってくれた結果ですし、僕自身、チームに恵まれたと思っています。

第4戦も3位表彰台を獲得。これでドライバーズランキング3位に!

 今回のレースで、自分は間違いなくトップを狙える位置にいることが再確認できましたし、なにより苦手な富士スピードウェイで結果を残せたことが今後の自信につながりました。

 第5戦、第6戦は8月8日~9日に富士スピードウェイで開催されます。次の富士では表彰台の一番高いところに立つつもりです。

(Photo:奥川浩彦/山田真之亮)