米国のF1チーム「USF1」の目論見(パート1)

USF1チームのロゴ

 2月24日(現地時間)に、アメリカのモータースポーツ専門チャンネル「スピードTV」は、「USF1」チームに関する番組を放映。これが同チームの事実上の体制発表となった。

 USF1はアメリカで興した新F1チームで、2010年のF1参戦を目指している。チームのスポーティングディレクターをピーター・ウィンザー、テクニカルディレクターをケン・アンダーソンがそれぞれ務める。

 ウィンザーは、オーストラリア育ちのイギリス人で、モータースポーツジャーナリスト。1980年代にはウィリアムズチームの広報・渉外を担当。1990年代からは、アメリカのスピードTVの前身だったテレビ局でF1の現地レポーターを務め、現在に至っている。また、近年ではF1の共同インタビューアーも兼任している。アメリカのモータースポーツファンにとって、ウィンザーはF1放送に欠かせない顔として有名だ。

 アンダーソンはアメリカ人エンジニアで、インディカー(IRL)の世界を経て1988年にF1のリジェチームのテクニカルディレクターに就任。その後またインディーカーの世界に戻り、チップ・ガナッシチームのための技術部門をイギリスに設立した。

 この会社がのちに「Gフォース」というレーシングカーメーカーに発展。同社は2002年にインディカーのシャシーを製造販売した。また以前は、フォーミュラ・ニッポンの車両も製造していた。近年のアンダーソンは、NASCARの「ハースCNC」チームのテクニカルディレクターをしていた。


F1版「スカンクワークス」を目指す

ピーター・ウィンザーがレポーターを務めるスピードTVのホームページ
 ウィンザーとアンダーソンは数年前からF1チーム設立の構想を話し合い、これが今回のUSF1チームの始まりだった。

 ウィンザーとアンダーソンは、新たなF1チーム構築を目指したという。それは次のようなものだ。

 現在の高コスト体質なチームではなく、低コストで効率のよいチーム。これについて、ウィンザーたちはF1版の「スカンクワークス」と表現している。スカンクワークスは、航空機メーカーのロッキードの、特別プロジェクトを担当した部門の名前だ。

 スカンクワークスは、アメリカ初の実用ジェット戦闘機「P-80」、超音速戦闘機「F-104」、最近ではレーダーに映りにくいステルス攻撃機「F-117」も開発、技術的に数々の成功を収めてきている。

 このスカンクワークスには、創設者のケリー・ジョンソンが掲げた14カ条というものがあり、そこには組織は少人数で小回りが利き、効率のよいものにすべきなどとある。

 USF1も、組織を肥大化させず、車体の設計開発も優秀なスタッフを必要最低限の人数として、小回りが利く、柔軟な組織にしようとしていると言う。

USF1のオフィシャルサイトとされているhttp://www.usf1.com/。現在はUSGPEという新しいページにダイクトされる。F1とフォーミュラワンの名称は、F1の興行団体であるフォーミュラワン・グループが所有する商標であるため、チーム名をUS Grand Prix Engineeringとするようだ

エンジンは米国外から
 エンジンについては、アメリカの自動車メーカーからの供給は、経験と技術蓄積の面でも、財務状況からみても、期待できない。そのためUSF1は、既存のF1参戦メーカーとエンジン供給の交渉にあたるという。

 だが、ウィンザーはこれについて楽観的だ。それは、USF1へのエンジン供給は、そのメーカーにとってアメリカでの自動車販売にとってよい効果になるからだとしている。

 現在はアメリカの景気後退から自動車の販売も激減し、これが世界中の自動車メーカーの販売と業績不振の要因になっている。それでも北米市場は、自動車メーカーにとって欠かせない市場だ。鉄道などの公共交通手段が少ないため、自動車による交通への依存率が高く、自動車の普及率も高いアメリカは、景気が上向いたときに再び魅力的な市場になるからだ。

 トヨタ、ダイムラー(メルセデス・ベンツ)、BMW、フェラーリはいずれもアメリカでの販売が業績の太い柱だ。ルノーだけは1980年代の販売失敗からアメリカ市場を撤退したままだが、グループ内の日産がアメリカでの販売を柱にしている。すると、どのメーカーもUSF1からのエンジン供給依頼を前向きに考えるようになるだろう。

不安はスポンサー獲得
 USF1にはさらなる追い風もある。というのも世界的な景気後退の中、少し前まではFIAのコスト削減案にことごとく反対してきたF1チームも、チームの存続を重視して、参戦・開発コストを削減しようと動き出したからだ。これで、小規模ながらも効率のよい組織たる「F1版スカンクワークス」なら善戦できる可能性が出てきた。

 昨年、撤退解散したスーパーアグリF1チームも、小規模ながら開発能力が極めて高い、効率のよいチームだったが、財力の差によって敗北していた。USF1が参戦を予定する2010年には、小規模なプライベートチームとって、以前よりも戦いやすい条件となるだろう。

 USF1チームにとっての不安は、スポンサーの獲得だろう。現状は「交渉中」で、スポンサーについては何も明確にされなかった。最大の不安は、アメリカが世界的な景気後退の震源地であり、市場が冷え切っている点だ。これでは、アメリカの企業からの支援獲得も楽ではないだろうし、アメリカでの販売を期待する国外企業からの支援獲得も難しい。

 元ミナルディF1チームのオーナーでオーストラリアの実業家でもあるポール・ストダートは、この景気状況からUSF1のスポンサー獲得を悲観的に見ている。ストダートは、昨年までチャンプカーのチームオーナーもしていた経験から、アメリカ企業がモータースポーツへの支援に冷ややかだともしていた。

 確かに、アメリカの企業や一般の考え方には、「モンロー主義」に通じるものが根強い。アメリカ本土でのこと、アメリカ人のことには興味を示すが、国外のこと、国外で起きること、外国人がやることには無関心になるというものだ。

 ストダートがチャンプカーで苦労したのもまさにこれだった。チャンプカーは、市街地や常設サーキットを使ったヨーロッパ型のレースが中心である上、ドライバーの大部分が外国人という構成だったからだ。必然的に、アメリカ国内が主体の、オーバルコースでのアメリカンスタイルのレースが中心で、大部分がアメリカ人ドライバーであるNASCARやIRLに、アメリカの関心は流れてしまった。

マルコ・アンドレッティ

アメリカ人ドライバー起用で支持を集める
 しかし、USF1はどうだろう。確かにF1は、戦う場は外国ばかりで、米国内では2007年を最後にUSGPも開催されなくなってしまった。だが、ドライバーがアメリカ人で、それが活躍できそうだったら、期待と支援は喚起できるかもしれない。

 ウィンザーは、USF1のドライバーの可能性として、インディカーで活躍中の若手マルコ・アンドレッティの名を例に挙げた。また、グレアム・レイホールも有力だ。

 マルコ・アンドレッティの祖父は、アメリカ人として2人目のF1ワールドチャンピオンのマリオ・アンドレッティだ。父のマイケル・アンドレッティは、1993年にF1に挑戦したものの、不遇のまま途中撤退になってしまった。

 グレアム・レイホールの父ボビー・レイホールも、1978年にF1に挑戦したが、マシンに恵まれないまま2戦だけで終わった。

 アンドレッティ、レイホールとも、父親はインディーカーで大活躍し、アメリカでは人気がある。とくに、ボビー・レイホールのアメリカでの人気と人望は、日本では想像できないほど高い。父の果たせなかった夢に息子が挑むというストーリーは、アメリカのメディアが動き、企業や一般の注目が集まるだろう。

 とくにレイホールは、昨年インディカー史上最年少優勝記録(19歳)を達成した伸びざかりで、市街地コースや通常のサーキットを得意としている。一昨年にはF1直下クラスのGP2参戦を目指していたほどだ。しかし、GP2のテスト参加は、悪天候で飛行機のフライトが遅れたためキャンセルとなり、現在はインディカーで戦っている。

 最近では、父ボビーが自己紹介するときに、「最近は“グレアムの父”と呼ばれている、ボビー・レイホールです」と言うほど、グレアム人気は高まっている。人気、資質、若さ、可能性は十分備えている。

グレアム・レイホール(左)と父のボビーグレアムはインディーカー史上最年少の優勝を達成した
ダニカ・パトリック

 このほか、ウワサとしてインディカー史上初の女性ウィナーとなったダニカ・パトリックらの名前も出ている。パトリックは以前ヨーロッパでのレース経験もあるうえ、USGPの際にマクラーレン・メルセデスでのデモ走行も果たしている。だが彼女自身は、このウワサを「うれしい」としながらも、現実的には受け取っていない。

 NASCARでトヨタのドライバーをしているカイル・ブッシュも、USF1に興味を示している。

 また、ウィンザーは「伝説的アメリカ人ドライバーの一族」という若手候補もいるとほのめかしている。ケン・アンダーソンは、元F1ドライバーであるダン・ガーニーの息子のエンジニアも勤めた経歴があり、ウィンザーともどもガーニー家とは仲良しである。ダン・ガーニーは、かつてF1チームを結成して戦った経験もあり、USF1には多くのアドバイスをしたという。

 アメリカのチームによるF1挑戦は、これまで成功した例はなかった。1960年代にダン・ガーニーが、オール・アメリカン・レーサーズというチームを結成し、イーグルというマシンで参戦したが、チャンピオン獲得には至らなかった。1970年代にもインディカーチームのペンスキーやパーネリ・ジョーンズなどが参戦したが、短期で撤退していた。

 例外なのは、第2次大戦前のグランプリレースの時代だった1921年に、当事の高性能自動車メーカーだったデューセンバーグのレーシングカー(インディカー)がフランスGPに参戦し、アメリカ人ドライバーのジミー・マーフィーが優勝したことぐらいだ。

 USF1は、チームの本拠地をF1の本場であるヨーロッパではなく、アメリカのシャーロットに置く。これで多くの人は「成功しない」と言うが、シャーロットの選択にはよい可能性がありそうだ。それは第2部で。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

(Text:小倉茂徳)
2009年3月5日