韓国GPはアジア太平洋圏のモータースポーツ発展の呼び水?

手探り状態で始まった韓国GP
 新規開催の韓国GPに向けて、大部分のチームが事前にできる限りのコース情報を入手して、シミュレーションを行ってきた。だが、重要な情報となる路面の舗装が開催直前まで行われていたため、路面の状態が細部まで分からず、走行初日から手探り状態で始まった。

 レースコースの舗装は、本来なら舗装完了から1カ月~1カ月半はそのままにしておくことが望ましいと言われる。だが、今回は工事完了直後の木曜日に、セーフティーカーとメディカルカーによる練習走行が行われた。そして、その翌日はF1が走り出した。

 P1ではまさに手探りの状態の中での走行となった。それでも、F1が走ることで次第に走行ライン上が掃除され、ラバーも乗ったことで、急速に路面状態はよくなっていった。この傾向は土曜日も続いた。幸い危惧された舗装の剥離は起きなかったが、縁石など改善が必要なところも出てきた。

 路面状態がどんどんよくなったとは言っても、それはマシン1台分の走行ライン幅だけで、ラインを外すと汚れた路面のまま。予選はピットアウトしてアタックするタイミングが、とても重要となった。とくに後半の区間が曲がりくねって渋滞が起きやすかった。

 そのため、「走行を妨害された」と不満を述べるドライバーが多くなった。スチュワードは大忙しになり、P3と予選で合計4通のスチュワード決定を出した。その大部分は、「問題なし」という裁定だったが、シューマッハーがバリチェロの走行を妨害した件は、けん責処分となった。

 予選はベッテルがポール、ウェバーが2番手で、レッドブルがフロントロウを独占した。ベッテルはエンジンへの負担を抑えるため、午前のP3の走行を9周だけにとどめていた。そして、予選最後のアタックに全てをかけた走りをした。ベッテルは抜群の集中力を見せた。

ベッテルの成長
 ウェバーは、Q3での1回目のアタックが他車の影響で満足いかなかったため、2回目のラストアタックでは2周連続のアタックを選択した。ブリヂストンのオプション(ソフト)タイヤは性能が長持ちし、2周アタックも可能だった。だが、最善のラップができるのはそのうちの最初のアタックラップだった。

 また、2周アタック分の燃料を積んだことで、1周目のアタックでは燃料の重さによる影響が出てしまった。続く2周目は燃料の重さでは楽になったが、タイヤのグリップからは最高の状態からわずかに落ちていた。

 かくして、ウェバーは0.1秒あまりの差がついたと思われた。ところが、予選後の会見でベッテルのコメントは、周囲を驚かせた。ベッテルは、最後のアタックで攻めすぎてミスを犯してはいけないと、後半区間では無理をしすぎない程度の走りにとどめて、きちんと好タイムで1周をつなげるアタックをしたというのだ。つまり、全力を出し切ったタイムではなく、もし全力を出し切ったら、さらに大差をつけていたということだった。

 これには、ウェバーも驚いたことだろう。今回のベッテルの無理をしないで着実に1周好結果で結ぶというやり方は、イタリアGPでアロンソがポールポジションを獲ったときと同じだった。これまでのベッテルは、速さを見せつける半面、ミスやトラブルでわるい方向に進むパターンもあった。だが、今回のやり方には、ベッテルのドライバーとしての成長と、チャンピオン候補として王道を歩むためのノウハウをまた1つ体得したように見えた。

 レッドブルに続く3番手はアロンソで、ウェバーとは0.1秒未満の差にとどめた。ここに、フェラーリF10の進歩と、2度のチャンピオン獲得経験があるアロンソのここ一番の集中力の高さがうかがえた。

 王座を争うハミルトンとバトンは、それぞれ4番手と7番手。マクラーレンは、鈴鹿では投入を見送った新たなリアウイングとFダクトに加えて、新型のフロントウイングなども投入したが、ライバルと比べるとやや精彩を欠いてしまった。

 一方、メルセデスのニコ・ロスベルクは、決して戦闘力が高いとは言えないW01で5番手につけ、持ち前の速さを見せた。

 日本人勢では小林可夢偉が12番手だったが、これはザウバーC29の性能のすべてを出し切った結果だった。

 山本左近もHRT F110の性能を出し切った走りをした。結果、予選でチームメイトのセナを上回る結果を出した。セナがフリー走行でトラブルで走行距離が重ねられないなか、山本は着実に走行を重ね、チームのためにセットアップをしっかりと出す作業もしていた。

雨ですべてが振り出しに
 決勝は天気予報どおり、雨だった。15時のスタートは、10分遅れでセーフティーカーの先導によるスタートとなった。それでも路面状態はひどく、3周でレースは一時中断となった。マシンを降りたウェバーとアロンソが協議し、ウェバーはレースコントロールへドライバーの立場を代表して連絡もした。その表情は、レース続行には否定的なものに見えた。

 この時点でレースが終了になれば、グリッド順でトップ10に本来のポイントの半分が与えられることになる。ポイントランキングで逃げる立場のウェバーにとっては、このまま終わった方が有利となる。対する追う立場のドライバーたちにとっては、レースを再開したい。しかも、レース距離の75%を走って、フルポイントを得たいというところだったはず。

 レースコントロールは天候の推移を見守り、雨脚が弱まったところで16時5分からレース再開へと判断した。49分間の中断ののち、レースは4周目から再びセーフティーカー先導でスタート、セーフティーカーの周回が重ねられた。その中、放送に乗った無線交信内容は、大部分が「状況は少しずつよくなっているが、まだ水しぶきがひどい」というものだった。

 そんな中、王座争いで追うしかない立場のハミルトンは「路面はどんどんよくなって、ドライになってきている。スタートしようよ!」とレース再開をうながす声をあげた。無線がレースコントロールに傍受されることを見越しての発言だった。一方、逃げる立場のウェバーは「そんなに変わってない」と、ハミルトンの説を一蹴する発言を無線で述べた。

 16時40分、セーフティーカーがピットレーンに退き、18周目から本格的なレースとなった。だが、まだ路面は滑りやすい状態だった。そして、20周目、2番手のウェバーがスピン。ウェバーはロスベルクを巻き込んで停まった。「自分のミスだった」とウェバー。これでセーフティーカーが23周目終了まで入った。

 レースは再開されるが、30周目にグロックとブエミが接触。グロックは12番手走行中で、ヴァージンにとって好結果を出すチャンスだったのだが、これも消えてしまった。これでまたセーフティカーとなり、多くがタイヤをウェットからインターミディエイトに換えた。

 35周目にレースは再開されたが、今度は日没時刻と明るさが問題となってきた。そんな中、レース距離の75%を超える42周目も終了。これで1位から10位までフルポイントが与えられることが確実になり、すでにリタイヤしたウェバーには都合の悪い状況となった。

 どんどん暗くなっていく中で、ベッテルは無線で「1コーナーのブレーキングポイントが見えにくくなっている」と報告し、レースの終了をうながした。これで終了すれば、ベッテルはトップで25ポイントが得られる。一方、3番手で追う立場のハミルトンは「まだ明るい。だいじょうぶだ」と無線で報告し、最後までレースをすることを望んだ。ここでも、立場によって異なる思惑がうかがえた。

 レース成立要件の42周から3周を過ぎた45周目に、ベッテルのエンジンがブロー。レースはイエローフラッグだけで続行。これでベッテルの0点も確定した。暗闇が迫るコース上をアロンソがトップで周回を重ね、そのまま規定周回数の55周を走り切った。2位はハミルトンだった。チャンピオン争い中の5人のうち、ポイントを獲得できたのはこの2人だけ。バトンはタイヤ交換のタイミングがわるく、下位争いに巻き込まれた結果、無得点の12位になっていた。

 結果、アロンソが231点でランキングトップに立ち、ウェバーが220点で2番手、3番手に210点のハミルトン、4番手は206点のベッテル。5番手は189点のバトンとなった。残り2戦となって、まだこの5人にはチャンピオンの可能性が残されているが、ベッテルとバトンには厳しい状況になった。

 半面、アロンソには有利な状況になりつつある。もしも、残り2戦で、レッドブルが1-2を決めても、ベッテル2連勝、ウェバーが2連続2位となると、アロンソが2連続で3位に入ればアロンソが最多得点でチャンピオンになれる。レッドブルもマクラーレンも、2人のドライバーにチャンスがあるうちは、チャンピオン争いをさせるとしている。だが、フェラーリはアロンソ1人に力を集中させ、チャンピオン挑戦権のなくなったマッサに支援役をやらせやすくなった。ブラジルとアブダビの、地球を半周する2連戦は目が離せないものになる。

 難しいコンディションとなった決勝でも、日本人は素晴らしい走りをした。小林は積極果敢なバトルで8位を獲得。山本は、15位で完走。着実にHRTチームの完走回数を増やした。順位ではチームメイトのセナに1つ先を行かれたものの、レースのベストラップでは、山本がセナよりも1秒近く速かった。ここでも、山本の上手さが光っていた。隣国日本のドライバーが活躍したことは、韓国GPと韓国のモータースポーツ界にとってもよい刺激になるだろう。

開催にこぎつけた韓国GPについて
 最後に、ギリギリで開催にこぎつけた韓国GPについても、少し触れておこうと思う。

 コースの最終査察が2度延期され、最終認証が与えられたのが日本GPの2日後。これ自体が異例で、本来の規定を逸脱していた。その半面、F1を韓国でやろう、やりたいという思いのようにも見えた。

 韓国GP開催の動きは、以前にもあった。1996年に韓国の中堅財閥であるセプン(世豊)グループが、今回の開催地の北隣のチョルラプクド(全羅北道)で韓国GPを開催しようとした。実際、セプングループとバーニー・エクストンは、1998年からの開催に向けた契約も交わしていた。開催地は、クンサン(群山)市だった。

 当時、ヨーロッパのサーキットで、セプングループの担当者と出会った。グループ内のF1プロジェクトの中核だったセプン・エンジニアリングの建築エンジニアで、新設予定だったサーキットのチーフデザイナーだった。アレックス・チャンというそのエンジニアは、アメリカに建築学で留学を経験した知性派であるだけでなく、誠実でとても好感がもてる人柄だった。そして、よいサーキットを造って、よいGPを開催したいという情熱でいっぱいだった。

 筆者はアレックスと親しくなり、サーキットでFIAの関係者やFOMの関係者との仲立ちもした。そして、1996年の日本GPには、アレックスとともにセプングループの会長も鈴鹿に来ていた。とても謙虚で誠実な人物だった。セプンの人たちは、韓国GP成功への夢を熱く語ってくれた。

 聞けば、チョルラプクドと、今回のF1が開催されたチョルラナムド(全羅南道)を含む、旧チョルラド(全羅道)は、韓国の近・現代史の中で政治的に取り残された時期があり、発展から遅れてしまった。そのため、ソウルなど大都市圏との格差がとても大きかったと言う。そこで、韓国GP開催を起爆剤として、地域に大きな発展を促したいというのだった。

 彼らの夢は壮大だったが、切実な願いでもあった。F1が地域開発や地域経済振興の起爆剤として期待されるのは、アメリカのロングビーチやフェニックスをはじめ、近年のF1開催地でもよくあることだ。

 だが、アレックスらセプングループとクンサン市の夢は、思わぬところからの力で1997年に頓挫してしまった。この年、アジア通過危機があり、為替相場のマネーゲームによってアジア諸国の通貨は軒並み打撃を受けた。なかでも韓国経済はIMF(国際通貨基金)の援助と影響下に入らざるを得ないほどの大きなダメージを負ってしまった。これでいくつもの財閥が解体され、セプングループもその1つとなった。彼らのF1プロジェクトも消えてしまった。アレックスとも以後連絡が途絶えたままである。

 韓国はその後、目覚ましい復興をしている。とくに、限られた資産を有効に活用して、先見性のある産業育成を行った。結果、電子産業や液晶などいくつかの産業分野で日本をしのぐ部分も出てきている。

 こうした勢いを受けるように、今回はチョルラナムドでF1開催の動きとなり、なんとか今回は実現にこぎつけた。開催直前まで工事が続き、周辺のホテル事情もわるく、評判はよくなかった。運営にも不手際があり、観客から、あるいは関係スタッフからの不満の声もあったと聞いた。建物の大部分も、韓国GP開催時は仮承認だったという。この建物の正式承認を受けるという公式理由で、11月最終週にこのサーキットで開催が予定されていたF3によるコリアスーパープリは来年に延期となってしまった。先行きは心配である。

 今回の韓国GP初開催をアレックスはどう思って見ただろうか? アレックスたちが語ってくれた韓国GP開催への夢と情熱を思うと、筆者の韓国GPへの見方はやや甘くなってしまう。

 いろいろと課題はあったが、まずは韓国GPの開催実現を祝福し、先はまだ困難はあるだろうが今後の開催継続を期待したい。


韓国GPの開催は日本にもメリットになる可能性も
 筆者が韓国GPに対してやや甘いと言われかねない見方をしてしまうのには、もう1つ別の理由もある。

 韓国のモータースポーツ界は、まだ発展し始めたところにある。韓国GPが呼び水になって、韓国のモータースポーツが発展していくことは、モータースポーツで多年の経験とアドバンテージをもつ日本のモータースポーツ界にとってチャンスにもなるだろう。

 とくに、最近はエンジンのホモロゲーション化とメーカー直接供給によって、卓越した技術力を見せるチャンスが少なくなったエンジンチューナーなど、日本のモータースポーツ界は、その優れた技術と豊富な経験をもとに仕事を増やせるはず。しかも、韓国や近隣諸国のモータースポーツレベルが上がれば、西ヨーロッパ諸国が相互にレベルアップして様々な選手権が成立してきたように、アジア・パシフィック選手権として相互に行き来しながら、より白熱したレースを実現し、ビジネスチャンスもより活性化するかもしれない。

 もちろん、我が国は、現在のイギリスのように豊富な経験とノウハウをもとにそのリーダーとしての地位をしっかり守らなければならないとも思う。アジア太平洋圏でのモータースポーツ発展は、日本にとっては歓迎してよいものなのではないだろうか。

URL
FIA(英文)
http://www.fia.com/
The Official Formula 1 Website(F1公式サイト、英文)
http://www.formula1.com/

バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/

(Text:小倉茂徳)
2010年 11月 5日