【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記

第36回:ボロボロの状態から、楽しむために再び走り出す

 2戦連続リタイアとなった前回の十勝ラウンド。それ以降、すべてがボロボロだった。積載車で北海道から連れられてきた相棒はメンテナンスガレージ・レボリューションでバラバラにされ、あらゆるパーツを交換。ドライブシャフトやデフまでもが損傷していたというから、走れずリタイアとなったのも頷ける。ただ、ラッキーなことにそのすべてがこのレースで準備されていた保険によってカバーできた。免責金額は20万円と高額だが、実際にはそれ以上の修理費用が必要だったのだから……。毎回2万8100円を掛け捨てというレース保険だが、今回初めて使ってみてそのありがたみが理解できた。2016年までの無保険状態だったら次のレースに出られていたか否か。考えるだけでも恐ろしい。

 もう1つボロボロになったのは、やはり精神的なダメージだ。2戦連続リタイアでかなり荒れたことは前回の記事をご覧いただければご理解いただけるだろうが、ハッキリ言って自分が自分でないような別人格になったことはお詫びしてもしきれない。各方面から応援の言葉もいただいたが、その一方でお叱りもあった。お叱りの内容は表彰台に向けて暴言を吐いたことはもちろん、レースのレギュレーションに対して記事に書いたことについて。やり過ぎだったことは申し訳なかったと思っている。ちなみに、富士では接触があったチームならびにドライバーに対して直接謝罪をした。納得して握手してくれたことに感謝している。

 十勝以降、正直に言ってしまえばレースもクルマも見たくないくらいに落ち込んだ。自宅にある86レース関係の写真やトロフィーはすべて処分。仕事でクルマに乗ることはあったが、それ以外では一切触れることもなかった。毎日のようにクルマとレースで頭がいっぱいだった生活は一気に吹き飛んでしまった。

 だから第7戦の富士も参加しようか迷った。こんな状態のままレースをしたところで、よい結果は見込めない。なにせ気持ちがしぼんでいるのである。エントリー自体は十勝戦が行なわれる前に締め切りがあったため行なっていたのだが、気分としては出たくなかった。

 けれども、その気持ちはある人の一言で変化した。それは、レボリューションの青木社長が「少しは楽しんでやろうよ!」と言ってくれたことだった。勝ちに対してとにかく貪欲で、酔っ払えば「ハッシーの走りはまだまだ認められない」と厳しい言葉をかけてくる人が、そんなことを言ってくれたのだ。それもキレイに蘇った86の前で。リアのサスペンションメンバーまで下ろして修理という大掛かりなことをやらされたにも関わらず、そんな言葉をかけられ、救われたような気がしたのだ。勝つことばかりに意識が行き、結果として最近は楽しむことを忘れていたのかもしれない。もう1度走りたい、そんな気持ちが蘇ってきた。

慎重な走行でレーススタート

 今回のGAZOO Racing 86/BRZ Race第7戦富士は、クラブマンシリーズだけで96台ものエントリー。東西から多くの人々が参加しやすい状況ということもあるかもしれないが、改めてここまで人気のシリーズになったことに驚きを感じる。しかも、今回の富士はスーパー耐久10時間と併催のため、金曜日に予選、土曜日に決勝という変則的な開催。サンデーレーサーのつもりだったがサンデーに走れず。チト腑に落ちないところもあるが、そんな状況にもかかわらず、参加者は休みを取って富士に訪れるのだから驚きだ。結果として練習走行は木曜日から参加することに。本当なら水曜日から富士入りしたかったが、予定がつかずで断念となった。

 練習走行を重ねてセットアップをしていけば、感触はそれほどわるくはない。クラッシュの影響も感じることなく、ブリヂストン「POTENZA RE-71R」も絶妙なグリップを発揮していた。おかげで練習走行中にはユーズドタイヤながら、自分が属する予選2組で2番手を獲得。これなら今回も上位争いをできそうだ。

もう1度走りたい、そんな気持ちで富士に挑んだ
予選2組4番手で終了し、決勝スタートは総合8番グリッドからとなった

 だが、予選はそう上手くはいかない。96台が2組に分けられて予選が行なわれるが、クリアラップがとにかくないのだ。前を空けて走ったところで、どこかでスロー走行しているクルマに引っかかってしまう。それがストレート上ならそれほどタイムロスはないが、コーナーの進入時にスロー走行しているクルマと出会ったらTHE ENDである。できるだけそうならないように、かなり慎重にアタックを始めてみるが、満足のいくクリアラップを見つけることが出来ず、結局は予選2組4番手で終わり、総合8番グリッドからの決勝スタートとなった。

 8番グリッドからのスタートはハッキリ言って致命的。しかも混戦が予測される順位だ。クラッシュだけは勘弁と慎重なスタートを切るが、案の定1コーナー先では前方で3台が絡むクラッシュが……。そこに巻き込まれないようにコース外まで避けてくぐり抜けるが、順位は結局スタートどおり。数台消えたはずなのに同じ順位とはこれいかに!? 接触を避けるためとはいえ、今回ばかりは避け過ぎたかもしれない。

8番グリッドからのスタートも、一時は5番手まで浮上

 しかし、その後は割と順調だった。決勝ではRE-71Rの熱ダレの少なさを武器に1台ずつ順位を上げ、気づけば5番手まで浮上していた。ミスをしないように、けれども諦めずに攻め続けた結果だったように思える。しかし、あと1周半というところで致命的なミスを犯してしまった。それは、ブレーキング競争で4番手を走るクルマを狙おうとインを刺した時だった。ブレーキングを遅らせず確実にインを突こうとしていたのだが、イン側の路面が予想以上にグリップがなくオーバーラン。前を走る886号車の河村選手を外に追いやりながら走る形になってしまった。結果として後続に河村選手と僕は抜かれる形に。接触こそなかったが、河村選手には申し訳ないことをしてしまった。その後は何事もなく6位でチェッカー。ようやく完走できたことはよかったが、ややスッキリしない終わり方となってしまった。

 レース後に河村選手には直接お詫びしてきた。そしてオーガナイザーからも「もう少し紳士的にオーバーテイクをしてください」とのお叱りを受けた。接触していないのでペナルティにはしないとの話だったが、ペナルティを取ってもらっても文句を言うつもりもないくらいの気持ちである。一瞬にして前回の十勝とは完全に逆の立場に立たされたのだ。以降のレースでは気を付けたい。

 こうして今回もまた色々とあったレースだったが、ひとまず無傷で完走できたことはよかったし、楽しいレースだと少しは思えるようになってきた。本当の笑顔を取り戻すためにも、次戦の菅生はもっと本気に、そしてもっと慎重に挑みたいと思う。

クラッチをご協賛いただいている小倉クラッチの小倉社長が、レースクイーンを引き連れてグリッドまで応援に来てくれました。また、アレコレ心配した友人達まで……。 みなさま、本当にありがとうございました!

橋本洋平

学生時代は機械工学を専攻する一方、サーキットにおいてフォーミュラカーでドライビングテクニックの修業に励む。その後は自動車雑誌の編集部に就職し、2003年にフリーランスとして独立。走りのクルマからエコカー、そしてチューニングカーやタイヤまでを幅広くインプレッションしている。レースは速さを争うものからエコラン大会まで好成績を収める。また、ドライビングレッスンのインストラクターなども行っている。現在の愛車は日産エルグランドとトヨタ86 Racing。AJAJ・日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

Photo:高橋 学