【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記
第12回:総走行距離約3000km。初のオートポリスに挑んだ結果はいかに?
(2014/11/8 09:50)
片道約1300kmの旅
「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もいよいよシーズン終盤。第9戦の舞台は九州のオートポリスで行われる。このサーキット、実は僕にとって生まれて初めて訪れる場所だ。東京から片道およそ1300km。アマチュアレーサーがおいそれと行けるようなサーキットじゃない。2013年だってその距離に圧倒され参戦することを断念した。だがしかし、今年はシーズンはじめにフル参戦と決め込んだんだから行くしかない!
けれども、そんな遠くに行くとなれば、当然ながら経費もかかるわけで……。そこで今回は初心に戻って、というわけではないが、メカニックをお願いすることなく、たった1人ですべてをこなすことにした。すなわち、メカニックもドライバーも、そして陸送もである。ナンバー付きレースなのだから、それも当然といえば当然の体制ともいえるが、周囲はドライバーのみが飛行機でひとっ飛び。クルマは積載車に積まれ、メカニックがそれを運転してくるような環境が当たり前の世界では、かなり異例なのである。我ながら情けなさ極まりない(笑)。ビンボーレーサーここにありである。
ただ、その代わりといってはなんだが、事前整備にはかなり力を入れてもらった。お世話になっているFAZZカーメンテナンスでその作業を見ていると、ロールケージの取り付け部が緩んでいたことが発覚。かなりヤレてるのね、なんて感心してしまったが、実はいつもこの辺りは緩んでいることが多いのだとか。それに加えて今回はインジェクターのシール部も交換した。実はコレ、走り込んでくるとシールがダメになり、エンジンがバラつくことがある。サーキットでそのトラブルが出たら自分では修理ができないため、転ばぬ先の杖的な処置というわけだ。
こんな微細なところまで整備しようと思ったのには訳がある。実は前戦の富士スピードウェイでの練習中に、エンジンがバラついて失速する症状に見舞われたのだ。その時の要因はイグナイターだったのだが、メカニックが交換する作業を見ていてゾッとしたのだ。火傷も覚悟で手を突っ込み、ゴソゴソと何時間もやっている。もしも1人できていたら……、完全にTHE END。レースに参戦することもできず、トボトボ帰るしかない状況に陥っていたに違いない。だからこそ、万全な整備をいつも以上に行ったのだ。
さらにはいつも悩まされるトルセンLSDもかつて使っていたものにスイッチした。実は今シーズン、すでに2つのトルセンLSDを購入して使っている。富士では新品を卸したわけだが、それをオートポリスで再び使うのはもったいないという判断を下したのだ。片道約1300km、往復すれば3000kmオーバーになりそうな今回のレースなら、マイルを稼いでしまったかつてのものを使って我慢すべき。イキのよいトルセンLSDは、経験もある最終戦の鈴鹿サーキットまで温存しておこうと考えたのだ。
こうしてオートポリスまでの片道1300kmの旅が始まった。ただ、全行程を一気に走る必要はなくなった。それはレース前に富士と岡山において、ラッキーにもお仕事の予定が入ったからだ。貧乏暇アリまくりで九州まで自走で行くハメになったオッサンを哀れんで、関係各所が気を遣ってくれたのだろう。道中で宿泊できる環境なら、九州まで行くのも苦ではない。業界関係の皆様方、この場をお借りしてお礼します。本当にありがとうございました! ま、そのうちの1つはCar Watchでのお仕事(86 TRD 14R-60の試乗)だったんですけれどね。
●インプレッション:TRD「86 TRD 14R-60」
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/impression/20141017_671939.html
人生初のオートポリス
そんなこんなでオートポリスに到着。すると、各チームは積載車からクルマを下して準備を始めていた。クルマを囲うタープを出し、いつものようにレース村は完成されて行く。だがしかし、我がチーム、というか友達のいない寂しいオッサンは、小さなテーブルと折り畳み式のイスを出すのみという軽装備。優雅なオープンテラスはアッという間に完成する。おかげで走り出すのも容易い。タイヤ交換さえ必要がない。
東京で新品装着してきたブリヂストン「POTENZA RE-11A 4.0」は、1300km走ってきたにも関わらず減りはほとんどない。レース用とはいえ、タイヤ温度がさほど上がらない一般公道を走る限りでは、摩耗はないに等しいのだ。だからこそ、荷物を下すだけで練習走行をすぐに開始できるのだ。
走行を開始すると、人生初コースとなるオートポリスがいかに難しいかが伝わってくる。TVで見た限りでは広大と思っていた1コーナーは圧迫感があるし、かなり周り込んでいることを確認。アップダウンが連続するコーナーも、制覇するには時間がかかりそうだと感じた。そんなわけだからタイムも振るわず、上位陣と比べると、2秒ほど水をあけられている。
これではマズイということで、当初計画していた走行時間(レースに出る人のために設けられた占有走行時間)では足りないと判断。慌ててオートポリスのサーキットライセンスを取得することにした。年に1回のレース、そして来年くるかどうかも保証されていないサーキットライセンスを取得するのはどうかとも思ったのだが、背に腹は代えられない。ただ、聞けば岡山と菅生もこのライセンスで走れるようになるというから、今後も少しは役に立ってくれるかもしれない。いずれにせよ痛い出費である。
2013年チャンピオン・山野直也選手によるオートポリス攻略法
そんな悩めるオッサンを救うかのようなイベントが開催された。ブリヂストンブースで開催されたそれは、2013年のチャンピオンである山野直也選手によるオートポリスの攻略法を伝授していただけるという有り難いプログラム。ブレーキングポイントやライン取り、そしてギア選択という一般的なものから、86ならではの乗り方やセッティング方法まで多岐に渡っていた。
そこでまず興味深かったのは、86レースの車両はブレーキをあまり残し過ぎないように走ったほうがよいという話。足まわりが柔らかく、フロント荷重がかかりすぎて曲がらないという現象が起こりやすいため、真っ直ぐのうちにブレーキを終わらせ、ターンインではブレーキを多めにリリース。アクセルのツキもよくないから、他のレーシングカーよりも早めにアクセルを開けたほうがよいというのだ。なんとなくは分かっていたが、丁寧な説明を伺っているうちに、なんだか頭もでき上がってきた。単細胞というか、影響されやすいというか、レクチャーだけで速くなった気になれるオッサンはかなりオメデタイ。
さらに面白かったのは、レコードラインを絶対に外さないように走れということだった。タイヤ戦争が過熱しているこのレースはタイヤカスが多く発生し、1回のレースディスタンスを終えただけで、スーパー耐久レースが終わった後のような状態にサーキット路面が変化してしまうというのだ。ほかのレースをさほど知らないから、路面がタイヤカスだらけになる状況が当たり前なのかと思っていたが、そうではないようだ。そういえば以前、セーフティカーが入った時にタイヤカスをしこたま拾って、再スタート時にまったくグリップしない状況に陥ったことがあったっけ。86レースならではの難しさがあるとは勉強になった。
こうして走行経験と知識を付け焼刃的に身に着けて迎えた予選。天候は曇り。今にも雨が降ってきそうなイヤな状況だった。台風19号が接近してきた影響によるものなのだろうが、風が強くて各チームタープが飛ばされないように畳んでしまうくらいの感じである。
セッティングをミスした決勝
ラッキーにもイチ早くコースインした僕は、いつもなら2周くらいウォームアップしてからタイムアタックに挑むのだが、フロントガラスにポツリと雨粒がついたのを見て、インラップから全開で走りタイムアタックに入った。ミスをしないよう、そして前日に山野選手から教えてもらったことを忠実に再現しようと走りをまとめた。すると予選はラッキーにも9番手を獲得! 後続は雨の影響が出てタイムが振るわずという選手が多くいたのである。
結果としてブリヂストンユーザー最上位。なんと、チャンプ山野選手の上に立ったのだ。まるで人生の運をここですべて使い果たしたかのようなこの順位。まさにビギナーズラックだ。たまにはこんなこともあるからレースは面白いし、40歳手前のオッサンになろうともついついのめり込んでしまうのだ。
ただ、同日開催の決勝レースは難しそうな雰囲気。雨が降ったり止んだりという曖昧な状況が続いたのだ。ウエットだと決め込んだチームは、クルマを持ち上げてウエットセッティングをしている模様。プリロードを緩め、アライメントや減衰力を見直しているそれを見て、僕も何かしらやらねばとも考えた。けれども1人でそれをやるには荷が重い。そう考えていた矢先に雨は止み、路面が乾き出してきた。これならドライと同じセッティングでもイケる!? イチかバチか、クルマをイジらずにスターティンググリッドについたのだった。
すると、それをあざ笑うかのように雨が降り始め、路面は即座にウエットに……。レースが始まれば山野選手をはじめとするプロの方々に次々と抜かれる始末。さらには後続でクラッシュした車両が数台おり、セーフティカーがまたもや導入されるなど、かなり波乱に満ちたレースになってきた。ハッキリいっておっかない! 初めてのコースでドライセッティングのまま走るなんて怖すぎるってもの。コース上に無傷でいることを最優先にするという、なんとも消極的なレースになってしまった。結果は21位。台風19号を恨むばかりである。ただ、予選グリッドがよかったのも台風のおかげなのだから、恨んでばかりもいられない。
第2レースが待ち構えていた!?
と、ここで終了したいところだが、僕には第2レースとなる東京までの耐久が残っていることを忘れてはならない。そそくさと後片付けを行い、東京まで約1300kmを走り出す。帰路には予定もなく、ノンビリ旅でもしようかとも思ったが、台風の接近がそれを許さない。何とか逃げ切り、無事に帰還したいものである。
そこで、ほぼ休憩することなくできるだけ走ろうと決意した。できれば徹夜で東京まで辿り着きたいところ。けれども、いつもより早起きした上に予選と決勝を走り切ったオッサンはヨレヨレでフラフラ。日付が変わった直後、岡山県内の瀬戸PA(パーキングエリア)にて、倒れ込むように助手席で眠りにつくことに。再び意識を取り戻したのは、翌朝7時30分のことだった。
起床してみると、身体は汗でベタベタ、背中や腰はガチガチ。きっと今の自分は見るも無残な姿であるに違いない。やはり宿を取るべきだったか……、なんて思っても後の祭りというやつだ。だが、1つだけツキがあった。それは瀬戸PAにはシャワーステーションなるものが完備されていたのだ。おかげで身体はスッキリ。マッサージ機のお世話にもなり、リフレッシュできたのだ。
この時点でヤツ(台風19号)は九州西部にいる模様。休憩さえしなければ勝ち目はある! 食料を買い込み、休憩は最小限に留めるという走りで夕方には東京に到着。第2耐久レースは無事に勝利を収めたのでありました。
移動とサーキット走行を含めた総走行距離はおよそ3200km。1週間に渡る仕事と旅と、ときどきレースは過酷だったし、結果は残念だったが、一生思い出に残りそうな気がする。自走ですべてを自らこなすのもわるくない、そう改めて思えたオートポリスの初レースだった。