自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」

第18回:モリゾウのニュル24時間挑戦を支えた同志STI辰己英治監督とモータージャーナリスト清水和夫氏の言葉

2009年のニュル24時間レース参戦メンバー

 ニュル24時間レースの挑戦は継続的に行なわれるようになったものの、当時は社内外からの風当たりも強く、活動はいつ終わってもおかしくない綱渡りの状況が続いていた。そんな中、豊田氏を奮い立たせ背中を押したのは、実は同じ過酷なニュルで一緒に戦っていた「仲間」の存在だった。

 時を1年前に戻そう。豊田氏が社長に就任する直前にドライバーとして参戦した2009年のニュル24時間。何とかコメント(当然レースの話ではないのだが……)を聞き出そうと日本の新聞・経済メディアがピットに殺到。しかし、インタビューはできず、その腹いせに同じ日本のチームであるSTI(スバル・テクニカ・インターナショナル)のピットへ押し掛けた。

「社長の道楽でレースに出ているのをどう思うか?」という意地悪な質問をぶつけた記者に対し、当時の監督の辰己英治氏(長年スバルの走りを支えた職人)と、ドライバーで国際モータージャーナリストでもある清水和夫氏は即座にこう一喝したという。

「クルマ屋の社長が、クルマの運転をして何がわるい!」

 この言葉はどこからか豊田氏の耳に届いたそうだが、「まさに『ありがとう』のひと言に尽きます。まわりの人間の多くが冷ややかな目で見ている中でのあの言葉、本当に嬉しかった」と振り返り、「どれほど救われ、勇気づけられたか」と語った。そして、「我々もこのニュルの活動を絶対に続けていかなければならない」と決心したそうだ。

長年ニュル24時間レースに挑んでいるSTIチーム(写真は2009年)

 そう、ニュルでもっといいクルマづくりという“志”を同じくする仲間の熱いエールが、GRの挑戦の火を灯し続ける決定打となったのである。

 ニュルの挑戦を継続させ、「人を鍛え、クルマを鍛える」取り組みが進む一方で、当時のトヨタ市販車は大きな転換期を迎えていた。

 2000年代後半、トヨタは世界販売台数No.1へと登り詰めたが、効率や数字が最優先された結果、2007年にはMR-Sの生産終了に伴いラインアップからスポーツモデルが消滅。それだけではない。徹底した原価改善(コストダウン)の波は、車体の構造やスポット溶接といった、目に見えにくい「走りの機能」までも削ぎ落としてしまっていた。

2007年に生産終了となったミッドシップエンジンレイアウトの2シーターオープンスポーツ「MR-S」

 それでもクルマは売れたが、クルマ好きからは「トヨタのクルマはつまらない」とソッポを向かれ、現場のエンジニアたちも「もっと走りのいいクルマを作りたいのに……」と強い葛藤を抱えていた時代である。

 そんな危機感から社内に生まれたのが2つの特命組織だった。それが 商品企画部の「BRスポーツグループ」と技術部の「BRスポーツ車両企画室」だった。「BR(ビジネスリフォーム)」とは、約2年の限られた期間で業務の変革やリノベーションを行なう特別組織。彼らに課せられたミッションは「今後のトヨタのスポーツモデルをどうするか?」だ。

 この時、スバルとの共同開発による本格FRスポーツカー「86」の企画が動き出していたが、より幅広いユーザーに走る歓びを届けるための新たなアプローチも模索された。それが、量産市販車に専用のチューニングを施したスポーツコンバージョンモデル「G's(G SPORTS)」だった。

 この「トヨタ“新”スポーツ戦略」は、東京オートサロン2010で発表されたが、その第1弾として世に送り出されたのは意外にもミニバンの「ノア/ヴォクシー」だった。「なぜミニバンからなのか?」と、当初は自動車メディアでさえも疑問視したが、その首謀者でもある成瀬氏には、「家族のためにミニバンに乗るお父さんや日常使いの人にこそ、走る楽しさを届けたい」という明確な思いがあった。

 量産ラインを外れた専用工程で、ボディに“スポット溶接の増し打ち”を施し、床下には剛性を高めるブレースを追加、専用サスペンションを装着。そうして仕上がったG'sは、従来のミニバンの概念を覆すハンドリングと高いボディ剛性感を実現した。

 市場やユーザーからは「運転が楽しくなった」「妻が進んで運転するようになった」と絶賛の声が届く。そして、この走りの劇的な変化に誰よりも目を丸くしたのは、他ならぬトヨタの量産開発チームだった。

「補剛やスポット増しをするだけで、クルマの走りはここまで化けるのか」

「原価低減で削っていたものは、クルマの基本性能として絶対に削ってはいけないものだったのではないか」

 目の前のG'sが見せつけた走りのクオリティは、量産エンジニアたちのモノづくりへのプライドに再び火をつけたのだ。

トヨタ「ノア Si G's」(2010年6月発売モデル)
トヨタ「ヴォクシー ZS G's」(2010年6月発売モデル)

「G'sでできるなら、自分たちの手で量産ノーマル車もよくしたい!」。

 量産チームの意識が変わり始めた。G'sの走りを体感した開発陣は、ベース車のマイナーチェンジや年次改良のタイミングを逃さず、ノーマルモデル自体の走りの底上げに乗り出したのである。

 構造用接着剤の塗布やスポット打点の追加、床下ブレースの標準採用など、以前であれば「コスト増」を理由に退けられていたような車体補強が、改良時のノーマルモデルへと次々にフィードバックされていった。

 その結果、のちに登場したモデルでは、「ベース車のボディ剛性がすでに十分に高いため、G'sであっても追加のスポット増しをする必要がなくなった」という逆転現象まで起きた。「やらなかった」のではなく、「最初からノーマルのレベルが高いため、やる必要がなくなった」のである。

 ニュル24時間の現場でライバルから受け取った「続けていかなければ」という強い決意。 社内のBR組織から生まれたG'sという挑戦。 そして、それに触発されて始まった量産車の走りの底上げ……。

 最初はバラバラに見えていたニュルのモータースポーツ活動と市販車開発は、G'sという架け橋によってつながり、やがてTNGA思想や現在の「GR」へと結実する 「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」 の大きなうねりとなっていったのである。

MORIZOと辰己英治氏は、今も強い絆で結ばれている(2025年のニュル24時間レースの現場にて)
山本シンヤ

東京工科自動車大学校・自動車研究科卒業。自動車メーカーの商品企画、チューニングパーツメーカーの開発を経て、いくつかの自動車雑誌を手掛けた後、2013年にフリーランスへと転身。元エンジニア、元編集者の経験を活かし、造り手と使い手の両方の気持ちを分かりやすく上手に伝えることをモットーにしつつ、クルマの評論だけでなく経済からモータースポーツまで語れる「自動車研究家」として活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、ワールド・カー・アワード選考委員、日本自動車ジャーナリスト協会会員。YouTubeチャンネル「自動車研究家 山本シンヤの現地現物」も運営中。