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「マクラーレン ホンダ MP4/6」などがツインリンクもてぎでテスト走行
ホンダコレクションホール「所蔵車両 公開走行確認テスト」開催
2016年10月15日 22:34
- 2016年10月10日 開催
- ツインリンクもてぎ 南コース
本田技研工業は10月10日、ツインリンクもてぎ(栃木県芳賀郡茂木町)内にあるミュージアム「ホンダコレクションホール」所蔵車両の走行確認テストを、ツインリンクもてぎ・南コースで実施した。この走行確認テストは所蔵車両の動態保存を目的としたもので、定期的に開催されて一般にも公開されている。
週末に2輪レースの最高峰カテゴリーである「MotoGP」のシリーズ第15戦 日本グランプリの開催を控えた3連休の最終日。空は一面に曇が広がり、ときおり薄日が差すという微妙な天候だったが、幸い雨が降ることもなく無事に開催された。路面コンディションはドライ。往年の名車の走行サウンドが聴けるとあって、会場には多くのファンが詰めかけていた。
今回走行したのは、2輪車が「4RC146」「RC116」「RC181」「CB500R」「RCB1000」「RS125RW-T」「NSR500(1988年式)」「RVF750(1991年式)」「RS125RW(2003年式)」の9台。4輪車は「RA301」「ロータス ホンダ 100T」「マクラーレン ホンダ MP4/6」の3台。走行するか未定だった「カーチス」のテスト走行は行われなかった。走行確認テストは午前中に2輪車、午後に4輪車が実施され、すべての車両を元ホンダワークスライダーの宮城光氏がテスト走行させる。
舞台となる南コースは全長約1kmのフラットなコース。ジムカーナやドライビングレッスンなどに使われるマルチコースとなっている。ストレート脇にはテントが用意され、テスト走行を待つ12台の車両が並べられていた。
テスト走行は、2輪車ではコース上にマシンを移動してエンジンを始動。暖気したあと宮城氏が跨がりコースを4~5周ほど、途中で方向を変えながら走行する。4輪車はコースインする前にエンジンを始動してチェック。その後、タイヤを付け替えてコースインし、宮城氏が乗ってエンジンを始動。コースを軽く1周し、各部をチェックして再スタート。4~5周を2輪車と同様に途中で方向を変えて走行する。
南コースはコンパクトながらも、2輪・4輪どちらも直線では最高150km/h以上のスピードになる。あくまで走行確認テストなので、車両の状態によっては1周で終わってしまうこともあるが、ギャラリーの人数が多い場合は周回が増えることも多いという。
2輪車
4RC146(1965年)
1963年デビューのRC146を進化させたモデル。軽量、高出力な2ストロークエンジン勢に対し、4ストローク多気筒エンジンを採用していたホンダが、1965年の世界GP 125ccクラスのシーズン途中から投入した、RC146を改良した2RC146の最高出力をさらに上げたエンジンを搭載。最高出力は28PS以上/18000rpm。
デビュー戦となる第5戦 マン島TTでの2位がシーズン最高位、第6戦 ダッチTTでは5位と勝利することができなかった。最終戦の日本グランプリからは5気筒レーサーを投入し、翌年にタイトルを得ることとなった。走行するのは、マン島TTで2位入賞を果たしたゼッケン4のルイジ・タベリが乗っていた車両。エンジンは空冷4サイクル4気筒 DOHC 4バルブギヤ駆動、排気量124.9cc。重量は87.5kg、8段変速。
RC116(1966年)
1962年に開設された世界GP 50ccクラスで争い続けていたスズキの2ストロークツインに対抗するため、1966年に投入された4ストロークツインモデル。50ccクラスにおいて6戦3勝。前年のRC115に続きタイトルを獲得している。
空冷4サイクル2気筒DOHC 4バルブギヤ駆動のエンジンは、超ショートストロークの高回転仕様が特徴。最高出力は14PS以上/21500rpm。9速トランスミッションで、排気量49.8ccながらも重量わずか50kgと軽量化を突き詰め、最高速175km/h以上のマシンだった。走行するのはマン島TT優勝車、ゼッケン1のラルフ・ブライアンズが乗っていた車両。
RC181(1967年)
1966年に投入された490ccのRC181(84PS)のボアを拡大して499.6ccに排気量を増やし、最高出力は85PS以上/12000rpm。1967年世界GP 500ccクラスの第5戦 ダッチTTで、最速ラップレコードで優勝したマシン。
エンジンは排気量499.6ccで空冷4サイクル4気筒DOHC 4バルブ ギヤ駆動、トランジスター点火。重量151kgで、6段変速。最高速は260km/h。テスト走行するのはダッチTTの優勝車でゼッケン2のマイク・ヘイルウッドが乗っていた車両。
CB500R(1974年)
当時、ホンダは世界GP参戦を休止しており、実質的なレース活動はRSC(レーシング・サービス・センター、HRCの前身)に委ねていた。そのなかで鈴鹿を舞台に活躍していたのがRSCライダーの隅谷守男だった。1974年の全日本ロードレース選手権 第6戦 鈴鹿でCB500Rが投入され、セニア750ccクラスで3位入賞を果たした。走行するのはその入賞車両。
CB500Rは4ストロークエンジンの市販車「ドリームCB500フォア」をベースに開発。OHCエンジンは排気量を749ccまで拡大し、さらに2バルブから吸気2・排気1の3バルブに変更して吸排気効率を限界まで高め、軽量・高出力の2ストローク勢に挑んだ。
今回のテスト走行ではうまくエンジンが回っていない様子で、残念ながら走行は1周で終わってしまった。
RCB1000(1976年)
ホンダは1967年に世界GPから撤退して2輪レース活動を休止しており、RCB1000は“ホンダの復帰”と大きく期待されてのデビューだった。ヨーロッパ耐久選手権に参戦していきなり勝利を勝ち取り、8戦中7勝を挙げてタイトル獲得。翌1977年はシリーズ9戦全勝を成し遂げ、その強さから「不沈艦」の異名をとった。
市販車の「ドリームCB750フォア」のOHC 2バルブエンジンをベースにDOHC 4バルブヘッドを載せ、「5000kmノーメンテナンス」を目標に開発された。全開状態のまま20時間稼動させるといった過酷なテストもクリアするほど耐久性に優れたエンジンだったという。RCBの空冷DOHC 4バルブエンジン技術は、市販車の「CB900F」に受け継がれていった。
エンジンは排気量997.48cc、空冷4サイクル4気筒DOHC 4バルブ。最高出力は120PS以上/9000rpm、最大トルク10kgm/8000rpm。重量190kgで5段変速。走行車両は1976年のボルドール24時間耐久優勝車でゼッケン5のジャン・クロード・シュマラン/アレックス・ジョージ組が乗っていたもの。
RS125RW-T(1981年)
ワークスモトクロッサーRC125Mの水冷2ストローク2気筒エンジンを搭載したマシン。1981年の全日本ロードレース選手権 125ccクラスの第4戦でデビューし、一ノ瀬憲明が乗って初勝利を挙げた。RS125RW-Tはマレーシア インターナショナルレースでも4戦全勝。翌1982年も日本とマレーシアのレースで活躍した。
エンジンは水冷2サイクル2気筒リードバルブで排気量124.89cc。最高出力は40PS以上/14000rpm、最大トルクは2kgm/13000rpm。乾燥重量は77kgでトランスミッションは6段変速。走行車両はゼッケン20の一ノ瀬憲明が乗ったマレーシアGP出場車。
NSR500(1988年)
前年の1987年に、世界GP 500ccクラスで自身初となるタイトル獲得を果たしたワイン・ガードナーが2連覇を目指して1988年に乗ったマシン。ヤマハ YZR500のエディ・ローソンと激しい争いの末、4勝を挙げたもののランキング2位に終わってしまった。
V4エンジンと車体を改良したNSR500の5年目のモデル。フレームを一新したが、最高出力が150PS以上にも達するピーキーなエンジンとのバランスがわるく、シーズン後半でさらに改良版となるフレームが投入された。エンジンは水冷2サイクル90度V型4気筒 ケースリードバルブで排気量は499cc。最高出力は150PS以上/12500rpm、最大トルクは8.8kgm/12000rpm。重量は120kg以下。走行するのは、ゼッケン1のワイン・ガードナーのマシン。
RVF750(1991年)
1991年、ワイン・ガードナーとミック・ドゥーハンのGPライダーペアが乗り、ホンダにとって鈴鹿8耐8度目となる優勝をもたらした車両。ガードナー/ドゥーハン組は前年の鈴鹿8耐の決勝を燃料系トラブルでリタイアしており、1991年モデルには燃料タンクにリザーブコックやガソリン容量の確認に使うのぞき窓が付けられている。
排気量が748.11ccで水冷4サイクルV型4気筒DOHC 4バルブギヤ駆動のエンジンは、最高出力140PS以上/13500rpm、最大トルク8.1kgm/12000rpmを発生する。乾燥重量140kg以下でトランスミッションは6段変速。走行するのはゼッケン11のガードナー/ドゥーハン組の車両。
RS125RW(2003年)
2003年の世界GP 125ccクラスで、前年3位のダニ・ペドロサが乗って第2戦 南アフリカでシーズン初勝利。第14戦 マレーシアでシーズン5勝目を挙げてチャンピオンを決定した。当時18歳のペドロサは、世界GPの参戦3年目にして初制覇を果たした。ペドロサは翌2004年から250ccクラスにステップアップして2連覇。2006年以降はMotoGPクラスに活躍の場を移し、ホンダのワークスライダーとして活躍している。
走行車両はゼッケン3のダニ・ペドロサのマシン。走行確認テストでは最初は調子よく走っていたが、ブレーキ周りのトラブルからコース途中で止まってしまった。
午前中の2輪車の走行確認テストが終わると昼休憩となり、テント前に今回テスト走行する車両が並べられた。一般来場者はテスト走行中はサーキット内に入ることができないが、この昼休みの時間に限ってオープンになり、短い時間ながらも間近で歴代マシンを見学できるようになっていた。もっとも、所蔵車両の走行確認テストなので、普段でもメンテナンスや貸し出しなどが行なわれていなければ、すぐ近くにあるホンダコレクションホールでゆっくりと眺めることも可能だ。
また、会場では多くのギャラリーが来場することを想定して、駐車場としても利用されるサーキット外周の高台で軽食のデリバリーが用意され、所蔵車両の展示なども実施されていた。
昼休みが終わると車両は再びテント内に戻され、午後からの4輪車テストに向けた準備が進められた。2輪用から4輪用のレーシングスーツに着替えた宮城氏が車両を確認し、エンジンの始動やタイヤ交換などを経て走行確認テストが進められていった。
4輪車
RA301(1968年)
1968年にF1に参戦したRA301は、RA300の発展モデル。大幅に設計変更されたエンジンは、前年のRA300に対して90度V型12気筒の吸排気レイアウトを逆転。最高出力は440PSまで引き上げられ、新設計の車体はモノコックシャシーにマグネシウムを用いることで60kg軽量化。F1グランプリの最終戦 メキシコGPに出場したマシンは、エンジンの燃焼室形状の見直しなどを行なって最高出力を450PSにアップしている。このメキシコGPを最後に、ホンダは第1期F1活動を休止した。
搭載するエンジンは水冷4サイクル90度V型12気筒DOHCで排気量は2992cc。最高出力450PS以上/11500rpm。車両重量は530kgで最高速は360km/h以上。走行車両はメキシコGP出場車でゼッケン5のジョン・サーティースが乗っていた車両。
ロータス ホンダ 100T(1988年)
1988年の“ターボエンジン最終シーズン”に投入されたマシン。前年モデルの99Tで採用した、電子制御で走行中の車高を一定に保つ「アクティブ・サスペンション」は、革新的だったが熟成不足が否めず、100Tでは従来の仕様に戻された。新規定のターボ圧2.5bar対応のRA168Eエンジンを搭載。150Lの燃料制限など各種レギュレーションに対応している。
RA168Eエンジンは、水冷4サイクル80度V型6気筒DOHC 4バルブツインターボで、1500ccの排気量で最高出力は600PS以上となる。車両重量は540kg。走行車両はゼッケン2の中嶋悟が乗っていた車両。
マクラーレン ホンダ MP4/6(1991年)
1991年シーズンを戦ったマクラーレン ホンダ MP4/6は、新開発のV型12気筒エンジンを搭載。さらなる高回転・高出力を狙って開発された新型エンジンは、それまでのV型10気筒エンジンよりも5.5kg軽く、最高出力は700PS以上のハイパワーを実現した。
アイルトン・セナは開幕戦のF1 アメリカGPでポール・トゥ・フィニッシュを達成。続くブラジル、サンマリノ、モナコと当時の新記録である4連勝を含め、シーズン7勝を遂げて自身3度目のワールドチャンピオンに輝いた。また、コンストラクターズタイトルを4年連続で獲得し、ホンダにとってウィリアムズ時代から通算して6年連続の栄冠となった。
搭載するRA121Eエンジンは、水冷4ストローク60度V型12気筒DOHC 4バルブ ギヤ駆動。排気量は3498ccで最高出力は650PS以上。500kgの車両重量は、当時のレギュレーション最低値。第11戦 ベルギーGP以降は「可変吸気管長システム(VIS)」が搭載された。走行するのはゲルハルト・ベルガーが乗っていた、ゼッケン2の日本GP優勝車。