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エプソンとモータースポーツの歴史を振り返る

エプソンに誘われてF1メルセデスチームのピットを見学

2016年10月6日 実施

F1メルセデスチームのリアウイングの翼端板にEPSONのロゴ

 10月7日~9日に鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で「2016 F1 エミレーツ 日本グランプリ」が開催された。レースイベントの始まる前日、10月6日にピットウォークやコースウォークが開催されたことは既報のとおりだが、この日の午後にメルセデスAMGペトロナスチームのピットを見学することができた。

エプソンは国内のモータースポーツでも長年に渡ってスポンサーを続けている

 ピット見学が実現したのは、メルセデスAMGペトロナスチームのスポンサー企業であるエプソンの助力によるものだ。エプソンは昔からモータースポーツのスポンサーを続けていて、モータースポーツファンにとってはお馴染みと言える存在だ。今回はエプソンとモータースポーツの歴史を振り返ってみたい。合わせてピット見学の様子もお伝えしよう。

 バブル期にはレイトンハウスのようにF1チームを買収する日本企業も複数存在したが、現在でもF1をサポートしているのはエプソン、JVCケンウッドなど限られた企業だけだ。国内のレースを見ても、自動車関連企業以外で長年にわたりモータースポーツを支えているエプソンは貴重な存在かもしれない。エプソンとモータースポーツの関わりを1980年代前半まで時計の針を戻して確認してみよう。

ホンダ、中嶋悟、エプソンの出会い

 エプソンがモータースポーツのスポンサーを始めたのは1983年。今から33年前のことだ。この年本田技研工業、中嶋悟、エプソンという3本の糸が1本にまとまり、その後F1の世界に羽ばたき、気付けばエプソンは30年を超える長きにわたりモータースポーツを支えることとなる。

 1本目の糸はホンダ。ホンダは1983年のF1復帰に向け、1980年からヨーロッパF2選手権を戦うラルトにF2用エンジンの供給を開始する。1981年にジェフ・リース、1983年にジョナサン・パーマー(ジョリオン・パーマーの父)、1984年にマイク・サックウェルがチャンピオンを獲得する。最強のF2用エンジンは国内最高峰の全日本F2選手権にも1981年から供給される。独占供給されたのは日本レース界のレジェンド、生沢徹が率いるi&iレーシング(チーム・イクザワ)。この年からホンダエンジンを搭載したマシンは1986年まで6年連続で全日本F2選手権のチャンピオンを獲得する。

若き日の中嶋悟

 2本目の糸は中嶋悟。1977年、中嶋悟は当時最強チームと呼ばれたヒーローズレーシングに加入する。このときチームのファーストドライバーは星野一義。星野一義は1977年、1978年と全日本F2選手権のチャンピオンを獲得。中嶋悟はシリーズポイントで2年連続3位となる。

 1979年、中嶋悟は生沢徹が率いるi&iレーシングに移籍。1981年にホンダエンジンの供給が開始され1981年、1982年と全日本F2選手権のチャンピオンを獲得する。1982年にはヨーロッパF2選手権にも参戦するが、資金不足により頓挫。これを機にチームを離れ1983年から中嶋企画を設立してハラダレーシングに移籍する。ホンダはチーム・イクザワに加え中嶋悟にもエンジンを供給するが、ハラダレーシングは最強チームとは言えず1983年はヨーロッパからジェフ・リースを呼んだチーム・イクザワが全日本F2選手権のチャンピオンを獲得する。

PC98互換機「PC-286 MODEL 0」

 3本目の糸はエプソン。多くの人がエプソンと聞いて思い浮かぶのはプリンターだろう。ほかにはプロジェクター、スマートグラス、時計、パソコン、産業用ロボットなども扱っている。会社名はセイコーエプソンで販売部門のエプソン販売、PCを直販するエプソンダイレクトも有名だ。年配のパソコン好きな方はハンドヘルドコンピューター「HC-20」(1982年発売)やPC98互換機(1987年発売)などを覚えているだろう。

 エプソンの歴史に関してはPC Watchで2015年に連載された【短期特集】40年目を迎えた「EPSON」ブランドの歴史を紐解くに詳しく書かれているが、要約すると1980年頃の社名は信州精器で、主力製品の時計を親会社の諏訪精工舎を通じて服部時計店に納める下請け製造会社だった。社名を信州精器からブランド名のエプソンに変更するのが1982年。諏訪精工舎と合併してセイコーエプソンとなるのは1985年だ。

EP-101

 エプソンのプリンター1号機は1968年に発売した「EP-101」。EP-101は他社の従来機に対して大幅に小型化。20分の1の省電力化を実現し大ヒット製品となった業務用の電子式卓上計算機に組み込む印字装置だ。「電子式卓上計算機って何?」と思われた方は多いだろう。現代風に置き換えるとスーパーやコンビニのPOSレジに組み込まれたレシートを印字するためのプリンター装置に近いイメージだ。

 型番のEPはElectric Printerの頭文字。このEPにSON(子供)を加え「EP-101の子ども(SON)たちが、世に多く出ていくように」という願いを込めて、1975年にEPSONというブランドが生まる。エプソンはパソコン用のドットインパクトプリンター「MP-80」を1980年、インクジェットプリンター「IP-130K」を1984年(価格は49万円)に発売しているが、日本でワープロ専用機が普及するのは1985年頃。パソコン用のプリンターが家庭に入るのはもう少し先だ。おそらく、1983年にサーキットでEPSONのロゴを見たほとんどの人は何をしている会社か知らなかったであろう。

 エプソンは1982年に信州精器からエプソンに社名変更し、ブランドイメージ向上のため1983年にハラダレーシングのスポンサーとなる。そこに2年連続で全日本F2選手権のチャンピオンを獲得した中嶋悟が最強のホンダエンジンを連れて加入。3本の糸が1本になる。

1983年、エプソンはモータースポーツのスポンサー活動を開始する

 最強のエンジン、最強のドライバー、潤沢な資金を揃え、EPSONのロゴをまとったマシンは開幕戦で優勝。このレースの表彰台には、直前に名門ヒーローズレーシングを離脱してホシノレーシングを立ち上げた星野一義と、星野の離脱で急遽ファーストドライバーに格上げされた新人の高橋徹が立つ。F2デビューレースで表彰台に立った高橋徹は大注目を浴びるが、その年の富士GCシリーズの最終戦でマシンが宙に舞い帰らぬ人となる。中嶋悟は開幕戦で優勝するも、チームは最強とは言えずシリーズ3連覇を逃す。

ヒーローズレーシングに移籍した中嶋は3年連続チャンピオンを獲得

 1984年、中嶋悟はホンダエンジンとともに空席となったヒーローズレーシングのファーストドライバーとなる。ハラダレーシングのスポンサーだったエプソンも中嶋悟のスポンサーとしてこれに加わる。ここから快進撃は始まり1984年、1985年、1986年と全日本F2選手権を3連覇。そして1987年、中嶋悟はエプソンとともにF1に羽ばたくこととなる。

 中嶋悟のスポンサーとなったエプソンにはいくつかの奇跡が訪れる。1984年、ネスカフェ ゴールドブレンドのTV-CMに“違いのわかる男”としてレーシングカーデザイナーの由良拓也が登場する。TVの影響力が強かった時代、TV-CMの中でEPSONのロゴをまとった中嶋悟のマシンが疾走するシーンが繰り返し繰り返しお茶の間に流れることになる。このTV-CMはYouTubeで「1984 Nescafe Gold Blend CM ネスカフェ」と検索すれば見ることができる。

 1987年、中嶋悟は日本人初のフルタイムF1ドライバーとなる。前年にコンストラクターズチャンピオンを獲得したウィリアムズ・ホンダに加え、中嶋が乗るロータスにもホンダエンジンは供給される。チームメイトは若き天才アイルトン・セナだ。残念ながらピケ、マンセル、セナと比べると世界中のF1ファンからは中嶋の注目度は低い。

 エプソンは中嶋の個人スポンサーでチーム・ロータスのスポンサーではない。普通であればEPSONのロゴに気付く人は極めて少なかったはずだ。ところがこの年は中嶋のマシンにだけ車載カメラが搭載される。この頃の車載カメラは今のようにスマートなものではなく大型の監視カメラに近い。空力的には不利だがエプソンにとってはこれも奇跡となる。車載カメラの映像が流れると中嶋のヘルメット横の描かれたEPSONのロゴが否が応でも世界中のF1ファンの目に入ることとなる。

中嶋のマシンにだけヘッドレストの脇に車載カメラが付けられた
YouTubeで1987 Onboard with Satoru Nakajimaと検索すると当時の車載映像が見られる

 1987年はエプソンがPC98互換機を出した年で、日本では「一太郎 Ver.3」や「ロータス 1-2-3」も販売され、パソコンやプリンターの普及期が近付いていた。エプソンにとっても世界にブランドを知らしめる絶好のタイミングだったかもしれない。

 1988年からエプソンはチームのスポンサーとなりマシンにもEPSONのロゴが貼られる。空前のF1ブームが訪れる中、1989年もロータス、1990年、1991年はティレルにスポンサードし、中嶋とともに世界のサーキットを転戦。1991年の中嶋の引退とともにF1へのスポンサー活動に区切りを付けることとなる。

1988年からマシンにもEPSONのロゴが貼られた
ティレルのマシンにはEPSONに加えPIAA、日本信販のロゴも
1991年はEPSON、PIAA、日本信販にカルビーも加わる

エプソンはナカジマレーシングをサポート、そして再びF1へ

 引退した中嶋悟は、戦いの舞台をナカジマレーシングの監督として国内に移す。全日本F3000(現在のスーパーフォーミュラ)、全日本ツーリングカー選手権、全日本GT選手権(現在のSUPER GT)などに参戦。フォーミュラ・ニッポンでは1999年にトム・コロネル、2000年に高木虎之介、2002年にラルフ・ファーマン、2009年にロイック・デュバルがチャンピオンを獲得している。エプソンはナカジマレーシングを継続的にサポート。30年を超えるスポンサー活動により、日本のレース界においてエプソンの存在は当たり前であり、なくてはならないものとなっている。

2009年はロイック・デュバルがフォーミュラ・ニッポンのチャンピオンを獲得
2009年のSUPER GTはNSXで参戦していた
2016年、中嶋大祐はスーパーフォーミュラ第6戦で2位表彰台を獲得(写真は開幕戦)
2016年、SUPER GTはNSX CONCEPT-GTで参戦中

 エプソンは2015年からフルタイムでF1へのスポンサー活動を再開する。チームはメルセデスAMGペトロナス。マシンのリアウイングの翼端板、ヘルメットのバイザー、ドライバーのレーシングスーツやチームスタッフのユニフォームにEPSONのロゴが配置されている。

リアウイングの翼端板にEPSONのロゴ
ヘルメットバイザーのPETRONASの左右にEPSONのロゴ
2015年の表彰式。レーシングスーツの袖にEPSONのロゴ
2016年の表彰式

 メルセデスは現在最強のF1チームだ。観客席からは見えないヘルメットバイザーのロゴも、ポールポジションの獲得や優勝の際はパルクフェルメでヘルメットが大映しになってEPSONのロゴを確認することができる。表彰式ではレーシングスーツの袖にロゴを見ることもできる。最強チームゆえ世界中のF1ファンがEPSONのロゴを目にしているだろう。

エプソン製品が使われるメルセデスのピットを見学

F1のパドックは国内レースより閑散としている。左側がピット、右側は各チームのホスピタリティ
ピット裏で「撮影禁止」を告げられる

 国内のレースでパドックに入った経験のある方はそこそこいると思うが、F1のパドックに入ることはかなりハードルが高い。ましてF1チームのピットに入れることは滅多にないので貴重な体験となる。メルセデスピットの裏、パドック側にメディア関係者が集合するとメルセデスチームの広報担当の説明が始まる。「ピット内は撮影禁止です。スマホやカメラを手にしないで下さい」と出鼻をくじかれた。撮影できるのはタイヤ交換を行なうピットレーンからで、パドックとピットレーンに挟まれたピット(メルセデスのエリア)内は撮影できない。チームの公式カメラマンが我々の取材風景を撮影し、その写真をドイツに送って承認された写真が約1週間後に送られてくるという機密管理の厳しさだ。

 ピット内に入るとVIP用の見学シートに案内される。メルセデスのピット作業エリアは、ピットレーンから見て左側(1コーナー側)にハミルトンのマシン、右側にロズベルグのマシンが置かれていて、見学シートはハミルトンのマシンの後方に位置する。

 見学シートは前後2列×5人、計10人分のシートが用意されている。各シートにヘッドホンとエプソンのスマートグラスが用意されている。スマートグラスは9月29日に発表され、11月30日に発売予定のMOVERIO「BT-300」、発売前の製品がいち早く鈴鹿からメルセデスピットに投入されたこととなる。

公式カメラマンが我々を撮影し、後日その写真が送られてきた
ハミルトンのマシンの後方に見学シートがある

 エプソンは今シーズンの開幕戦から「BT-200」を使ったピット見学を実施していて、鈴鹿からBT-300を投入したとのこと。BT-300は有機ELを採用することで小型・軽量化を実現し、高輝度や高コンストラスト、高色域、高解像度、高画質化により従来モデルのコントラストでは実現できなかった「スクリーン感(表示枠)を意識させない映像表現」が可能になっている。

 スマートグラスとヘッドホンを装着すると動画による解説がスマートグラスに映し出される。内容は鈴鹿サーキットの説明やメルセデスチームの歴史、モータースポーツ マネージングディレクターのトト・ヴォルフ(TV中継でニキ・ラウダと一緒にいる人)や技術部門のエグゼクティブディレクターであるパディ・ロウ(中継でピットウォールにいる人)など主要メンバーの紹介などが続く。

 映像の後半は、ピットストップは2.5秒以下という説明とともにタイヤ交換の動画が映し出される。メインスポンサーのペトロナスに配慮したガソリンの分子構造などの説明もあり、最後はエンジン効率は飛躍的に向上し、将来は市販車の燃費やCO2排出量の削減も実現することを紹介する内容だ。

 ピット見学には様々な人が参加すると思われる。メルセデス・ベンツ日本が募集した一般客100人が参加できるそうだが、想像するとメルセデスを数台保有するユーザーやその国でメルセデスを数百台販売するディーラーのVIP、BOSEやエプソン製品を販売する会社の役員もいるかもしれない。レースに詳しい人もそうでない人もいるので、パディ・ロウのピットウォールの席の位置といったマニアックな説明とサーキット初体験の人向けのライトな説明が混在していた。

 例えばタイヤ交換の映像は一般の人にはインパクトがありそうだ。一方、スカパー!で毎レース見ている人は2ピット3スティントを標準とすれば、主要チームだけで1レース20回のタイヤ交換、年間400回くらいはタイヤ交換の映像を見ているので今さら凄いとは思わない。この辺りは見学者によって印象が異なるので仕方ないと思われる。

各シートにスマートグラスとヘッドホンが用意されている
11月30日に発売予定のMOVERIO「BT-300」

 コンテンツと異なり、スマートグラスを使うプレゼンテーションはほとんどの人が未体験なので新鮮に感じられるだろう。現実的には大型モニターを設置すれば同様な映像を見ることは簡単だが、F1チームのピットという日常とは異なる空間なので、珍しさ、新鮮さ、近未来感などの演出としてスマートグラスの採用はアリだと思われる。

 見学シートを出るとロズベルグのマシンの近くに移動。数千点のパーツをレースごとに入れ替えるといったF1チームならではの話題に続き、エプソンの招待客向けにプリンターに特化した説明が続けられた。現在、メルセデスF1チームはガレージ内にビジネスインクジェットプリンター「WorkForce Pro WF-5190DW(日本相当モデル PX-S840)」「WorkForce WF-2010W(日本相当モデル PX-105)」、ラベルプリンター「ColorWorks TM-C3500」などを導入。工場には大判インクジェットプリンター「SureColor T-Series(設計図印刷)」、産業用ラベルプリンター「LabelWorks」などを導入しているとのこと。

2台のF1マシンの中央付近にWorkForce WF-2010W(日本相当モデル PX-105)が置かれていた

 ガレージで使用するプリンターはマシンなどとは異なる方法で移動させているとのこと。6セット用意されたプリンターは物流面で最適化された方法でサーキットを移動している。例えば日本GPで使用した機材をアメリカGP、メキシコGPと移動するより、カナダGPで使用した機材をそのまま数カ月現地に保管してアメリカGP、メキシコGP、ブラジルGPで使用し、最終戦のアブダビGPは別のセットを使用するといった感じだ。数カ月使用していないプリンターがトラブルなく使用できるので、エプソン製品の信頼性に満足しているとのことだ。

 F1は2014年から無線の規制が始まり、2015年から本格導入され、2016年の後半に緩和された。規制の内容は「ピットインしろ」「雨だ」「プッシュしろ」といった簡単なものはOK、パワーユニットの設定変更、ブレーキバランスの変更など具体的な指示はNGとなる。メルセデスは無線規制に対応するため、ステアリングやコックピット内にプリンターで印刷したラベルを貼り付けた。規制緩和後も便利なので継続している。

ステアリングに貼られたラベル。このステアリングは見学用のサンプル。TV映像で実際に使用されているステアリングを見るとモニターの左右にもラベルが貼られていた
ステアリングを持って説明するスタッフ。ユニフォームの袖にEPSONのロゴ

 今シーズン、無線規制とメルセデスF1チームには印象深いレースがあった。ヨーロッパGP(バクー市街地サーキット)でハミルトンがパワーユニットのモード変更ができず、12周にわたりラップタイムを落とし、イギリスGPではギヤボックストラブルが発生したロズベルグが指示を受けて10秒加算のペナルティを受けている。このときラベルは役に立ったかと質問したが明確な回答はなかった。

 実際にスタート前のグリッドの映像を見ると、複数枚のラベルがステアリンやコックピット内に貼られている。ピット見学でコックピット内もチラッと見せてもらったが、左右に数枚のラベルが貼ってあった。先端技術の集積とも言えるF1マシンだが、ラベルのようなアナログなものも必要とされているようだ。

 プロ野球やJリーグなどのプロスポーツを見ても、オリンピックに代表されるアマチュアスポーツを見てもスポンサー(=資金)の存在は重要だ。モータースポーツはその最たるものでスポンサーなしには成り立たない。エプソンのように長年にわたりサポートを続けている企業に対し、モータースポーツファンは感謝しなければならない。エプソンにはこれからもモータースポーツの支援を続けてくれることを期待したい。