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マツダ 787BなどグループCカーからスカイライン・スーパーシルエットまで鈴鹿激走
「鈴鹿サウンド・オブ・エンジン 2016」レポートその2
2016年11月22日 19:43
- 2016年11月19日~20日 開催
三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットにおいて、11月19日~11月20日の2日間にわたり「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of ENGINE 2016(鈴鹿サウンド・オブ・エンジン)」が開催された。2016年で2回目となる同イベントは、動態保存されているヒストリックカーを一堂に集め、グランプリコースでもある鈴鹿サーキットを実際に走らせてそのサウンドや走りを観客に体験してもらうイベントとなる。
フォーミュラカーについてはすでに別記事で紹介しているが、本レポートでは主にグループCカーと呼ばれる1980年~1990年代のスポーツプロトタイプカーを中心にお届けする。
1991年のル・マン24時間レース総合優勝の興奮が蘇る! マツダ 787B登場
今回のイベントでもっともファンが注目していた車両がこのマツダ 787Bだ。もはや説明するまでもないと思われるが、マツダ 787Bは1991年のル・マン24時間レースを総合優勝した車両。ロータリーエンジン車がル・マン24時間レースで総合優勝したのはこのマツダ 787Bだけだし、日本メーカーの車両が総合優勝を果たしたのもこのマツダ 787Bだけとなる。
2015年のサウンド・オブ・エンジンでもマツダ 787Bは走ったものの、その時の車両は1991年にJSPC(全日本スポーツプロトタイプカー選手権)を戦った個体。今回鈴鹿サーキットを走ったマツダ 787Bは、フォルカー・バイドラー/ジョニー・ハーバート/ベルトラン・ガショーのトリオが実際にル・マンで走り、総合優勝を果たした個体そのものだ。
この個体は元々マツダ本社内にあるマツダミュージアムで展示されていたもので、2011年に優勝から20年が経過したことを記念してレストアされ、ル・マンでパレード走行を行なったことで知られている。今回の走行でも、1991年のル・マン24時間レースでマツダチームから出走していた寺田陽次郎氏がドライブを担当しており、サーキットにロータリー特有の甲高いエンジン音を響かせていた。
今回マツダはグランドスタンド裏にブースを構えており、JSPCバージョンのマツダ 787B、ル・マン優勝の翌年となる1992年にル・マンに参戦したMX-R01、さらには2016年のIMSA(米国のスポーツカー選手権)に参戦したマツダ プロトタイプ 2016などを展示しており、こちらにも多くファンが見入っていた。
ポルシェ 962、ジャガー XJR-8など1980年代スポーツカーレースの主役達が鈴鹿に復活
現在のWEC(世界耐久選手権)に相当する、1980年代~1990年代前半に行なわれていたスポーツプロトタイプカーによる耐久レースがWEC、WSPC(世界スポーツプロタイプカー選手権)、SWC(スポーツカー世界選手権)と名前を変えていったグループCカーによるレースだ。
その主役を張っていたのは、間違いなくポルシェ 956/962だろう。1982年にポルシェが導入したポルシェ 956は、グループC規定に沿ってポルシェが開発した(というよりも、そもそもグループC規定がポルシェ 956ありきだったといっても過言ではないのだが)プロトタイプスポーツカー。1982年こそポルシェワークスのみとなっていたが、1983年からはプライベートチームにも販売され、世界中の耐久レースでポルシェ 956が活躍することになった。
その後、ポルシェ 956は新しい安全規定に合わせてモノコックがアップグレードされ、ポルシェ 962へと車名が変更されたが、基本的な構造や外見などはかなり似通っており、同一の車両として見なされることが多い。
今回のサウンド・オブ・エンジンにはポルシェ 962が3台参加している。ワークスポルシェのカラーとして知られているロスマンズカラーに塗られているのは、かつてのポルシェワークスドライバー、バーン・シュパンが作成して販売していたロードゴーイング版のポルシェ 962LM。リアウイングが“ショートテール”と呼ばれるル・マン仕様のリアウイングがファン泣かせだ。
黒のポルシェ 962CはタイサンポルシェとしてGT仕様に変更され、SUPER GTの前身となる全日本GT選手権に出走した個体。また、レイトンブルーが懐かしいレイトンハウスに塗られたポルシェ 962Cは、ポルシェの外部チューナーとして知られていたクレマーにより改造されたモデルとなる。
そのポルシェ 956/962のライバルとして、1980年代半ばのグループCカーレースをリードしたのがジャガー。イギリスの自動車メーカーであるジャガーは、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)にオペレーションなどを依頼し、1987年のWSPCのドライバーチャンピオンをラウル・ボエセルが獲得している。その年にジャガーが走らせていたのがジャガー XJR-8で、今回のサウンド・オブ・エンジンには2台のジャガー XJR-8が持ち込まれた。
当時のジャガーはSilk-Cutのスポンサーで戦っており、車体はそのイメージカラーである紫で塗られていたが、今回持ち込まれた2台もその紫で塗られていた。当時のグループCでは、タイヤのホイールハウスをふさぐホイールハウスカバーが流行しており、いずれの個体もリアタイヤのホイールハウスにカバーがされていた。
TOMICA スカイライン・スーパーシルエットが復活
日産自動車のグループCカーは、1992年のJSPC最終年にチャンピオンを獲得したニッサン R92CP、そして新しいグループCカー規定(3.5リッター自然吸気)向けに作成されたがシリーズが消滅してしまったため、実戦は1992年の最終戦を走ったのみという悲運の車両であるニッサン NP35、さらにはグループC規定以前のグループ5規定向けに日産が作成したスカイライン・スーパーシルエットがサーキットを走った。
ニッサン R92CPは、JSPC最終年(1992年)に星野一義がドライブしてチャンピオンになった個体。今回のサウンド・オブ・エンジンではそのインパルの星野一義監督自身がドライブして注目を集めた。特に日曜日の模擬レースでは、星野監督が本番のレースかと思われるぐらいの激走を見せ、なんと実戦でもないのにタイヤをバーストさせるほど攻めて多くの観客を魅了した。
ニッサン NP35は、グループCの新規定となる3.5リッター自然吸気エンジンを搭載したグループCカーとして開発されたが、シリーズが消滅してしまい、実戦に参戦したのは1992年のJSPC最終戦だけという悲劇の車両。このNP35は、2011年~2012年に2年連続でSUPER GT GT500のチャンピオンに輝いた柳田真孝選手がドライブ。練習走行でも模擬レースでもトラブルに見舞われてピットで過ごす時間が長かったものの、なんとか実走させることができた。
そして往年のレースファンにとって懐かしさ満点だったのが、スカイライン・スーパーシルエット。このスカイライン・スーパーシルエットは、当時シルエット・フォーミュラと呼ばれていたグループ5規定の車両で、ワンオフのレーシングカーながら、スカイラインやシルビアといった車両のイメージの“ガワ”を被せて市販車をイメージした車両として人気を集めた。
当時は富士スピードウェイで行なわれていたGC(グラチャン)シリーズの前座レースとして実施されていて、このスカイライン・スーパーシルエットは長谷見昌弘のドライブでシリーズを戦った。なお、スポンサーはミニカーメーカーのトミカで、その縁もありミニカーとして販売され人気を博した車両の1つだ。今回のサウンド・オブ・エンジンではその長谷見昌弘氏が自らそのスカイライン・スーパーシルエットをドライブした。50代以上の当時のファンには懐かしい組み合わせとなり、ファンの歓声を集めていた。
トヨタ 7、プリンス R380、ポルシェ 906、ローラ T70 MkIIIなど1960年代のプロトタイプスポーツカーも大集合
このほかにもグループCカーとして、GC(グラチャン)カーをベースにCカーに仕立てた国産CカーのグッピーMCS、そのGCシリーズ用の車両などが走ったほか、1960年代のレースシーンを彩る懐かしいスポーツプロトタイプカーも出走した。
トヨタ 7は、当時の日本の最高格式レースであった日本グランプリに向けてトヨタ自動車が開発したレーシングカー。当時日産が持ち込んだR380シリーズと激しく覇権を競った。
今回は当時のドライバーで、その後トムスのイギリス子会社の社長、そしてそれがアウディに買収された後はRTNと名前を変えたレーシングチームのジェネラルマネージャとして活躍し、ベントレーのル・マン24時間レース制覇などにも貢献した、現在は童夢の顧問を務めている鮒子田寛氏がドライブした。
そのトヨタ 7と何度も熱いレースを繰り広げたR380も、日産と合併する前のプリンス自動車版のプリンス R380A-1として登場。こちらも当時の日産のエースドライバーだった北野元氏がドライブした。このほかにも、トヨタ 7やニッサン R380のライバルとして日本グランプリに出走したポルシェ 906、ローラ T70 MkIIIといった1960年代の日本のモータースポーツシーンを沸かした車両が登場し、往年のファンに好評を博していた。
また、イベントの最後には走行が可能な参加全車両によるパレードランが行なわれ、Cカーなどもライトを点けながら走行した。このシーンはなかなか幻想的で、見ているだけでも十分楽しめるイベントとなっていた。
サウンド・オブ・エンジンは2年目となり、認知度も上がったこともあって参加する車両も増えつつある。このまま成長していき、日本のグッドウッド・フェスティバル(イギリスで行なわれている世界最大のヒストリックカーイベント)のようになってほしいものだ。