【特別企画】2011年の初音ミク号(GSR&Studie with Team UKYO)を振り返る 大橋逸夫監督と谷口選手、番場選手に聞く |
2011年のSUPER GT300クラスを文字どおり駆け抜けたGSR&Studie with Team UKYO(以下、GSR)の初音ミク号。参戦4年目にして悲願の初優勝から通算3勝を挙げ、シリーズ優勝という頂点まで一気に登り詰めた。11月初旬に行われた「JAF Grand Prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2011」(以下、富士スプリントカップ)を前に、チーム監督の大橋逸夫氏と、谷口信輝選手、番場琢選手の両ドライバーにお話をうかがった。
2011年SUPER GT300クラスのチャンピオンとなったGSR&Studie with Team UKYOの初音ミク号 |
GSR&Studie with Team UKYO 大橋逸夫監督 |
──悲願の初優勝からGT300クラスのシーズン優勝までを一気に駆け抜けた1年間でしたが、この1年を振り返っていただけますか?
大橋監督:このプロジェクト(SUPER GT参戦)が始まって4年目になります。2011年は、僕が徹底的に作り上げたチームです。ドライバーやガレージの選択、もちろんクルマそのものに関してもそうです。すべてゼロから組み立てさせてもらいました。もちろんそこには責任も感じていたわけですが、考えていたことがちゃんと形になり、結果が出たことが本当によかったと思います。
(結果に関しては)僕らがやっている個人スポンサー制度にも言えることです。最初からずっと応援してくださっている方もいますし、最近知って応援し始めてくれた方もいらっしゃいます。何より大事なことは、やはり『勝つこと』で、マレーシア(第3戦セパン)だけでなく、日本に帰ってきて富士スピードウェイやツインリンクもてぎで勝つシーンを(個人スポンサーをはじめとした)皆さんに見せられたこと、共有できたことが何よりでした。
──マレーシアで優勝を遂げて個人スポンサーの皆さんもさらに弾みがついたと思います。初優勝の前後で大きく変わった点は何かありますか?
大橋監督:応援をしていただいている皆さんは、サーキットに来ていただける、ニコニコ生放送などを見ていただける、いずれも一生懸命応援していただいていると思っています。初優勝後に少し変わった部分といえば親近感でしょうか。今までは(初完走、初入賞などに対して)「おめでとう!」と言っていただいた部分が、「一緒に喜んでいいんだ!」になったような気がします。もちろんスポンサーの皆さんですから大いに喜んでもらって結構なわけです。
もともと僕らのコンセプトが、「ファンと共に走ること」ですから、遠慮はしてほしくありませんでした。それでも個人スポンサーの皆さんは、サーキットでもイベントでも、いつでも礼儀正しく節度をもって接してくれます。本当に素晴らしいことだと思います。もちろん、立ち入ってもらいたくない場所、シーンなどはあります。そこを皆さんが察してくれます。僕らは一切説明しませんけど、理解していただけているのは本当にありがたいことです。
──2011年は3勝し、さらにシーズンチャンピオンまで取れるとシーズン前に予想されていましたか?
大橋監督:3勝という数字までは予測していませんでしたが「勝つためにやる」と(ワンダーフェスティバル2011[冬]で行われた)参戦発表の時に宣言しています。いいかげんなことを言ったつもりではありません。僕自身はほかのGSRのメンバーに比べると、1戦1戦の結果に対して素直には喜んでいないんですよ。常に最終的にどうなるだろうという気持ちがありました。予定どおりと言うとおこがましいかも知れませんが、あくまで勝つためにやっているから、終わった後は反省し、よかった部分は取り入れていったわけです。(ドライバーの)谷口選手、番場選手の役割配分などがそうですね。
──谷口選手が大変優秀なドライバーであることは、実績からもまた我々の目からも明らかですが、2011年の番場選手の伸びしろがすごかったというか、最終戦など鬼気迫る走りを感じることができました。2010年までの番場選手に比べて、進化した部分というのはどんなところでしょう?
大橋監督:彼(番場選手)はもともと速いドライバーであったわけです。谷口選手からドライビングテクニックやコースの勘所などのアドバイスを受けていますが、そうした部分はすぐに吸収できる要素です。大きかったのは「心を強くするきっかけ」を与えてもらったことでしょう。単純に『速い』だけではなく、『強い』ドライバーにならなきゃいけないよ、と谷口選手がずっと言ってくれていました。その点については、(ドライビングテクニックやコース攻略のように)今日言われて明日どうにかなるというものではないわけです。その点を、彼(番場選手)自身が意識するようになったという感じがします。
──チームに元F1ドライバーの片山右京氏をスポーティングディレクターとして迎えて、力になった点、変わった点などはありますか?
大橋監督:ドライバー目線でドライバーに対してアドバイスをしてくれる。そこに尽きます。番場選手の成長にも、影響は大きかったと思います。常に前向きに言ってくれます。レース前にナーバスになってるときも、勇気づけてくれて、やる気にさせてくれますね。僕も全部聞いてるわけじゃありませんけど、やはり修羅場をくぐりぬけてきた先輩ドライバーだけあって、言葉に重みがあります。
──初優勝後に開催されたワンダーフェスティバル2011[夏]では、すでにパン戦で獲得した優勝トロフィーのレプリカとなる個人スポンサー向けの特典が展示されていました。非常にスピード感のある対応だと思うのですが、そういったスピード感はチーム運営にも生かされているのでしょうか?
大橋監督:何より個人スポンサーの皆さんに喜んでいただきたいという気持ちがあります。(ホビーメーカーとしての)グッドスマイルレーシングにせよ、グッドスマイルカンパニーにせよ、その姿勢は変わりません。
(フィギュアや特典のグッズを制作するスピード感が)チームの運営に直接何か影響を与えることはありませんが、考えたことを貯めない、思ったことをすぐに実行するという部分は、グッドスマイルレーシング、グッドスマイルカンパニーともに共通しているということです。もちろん、事前に決まっていたものを提供するだけではなく、迅速に(セパン優勝トロフィーとチャンピオントロフィーのレプリカを)特典としてお渡しできたことは個人スポンサーの皆さんにも喜んでいただけたと思いますし、個人スポンサーの増加にもつながったことと思います。
──個人スポンサー制度の確立を含め、以前まではまったく接点がなかったいわゆるオタク業界とレース業界の融合という新しいビジネスモデルが結果としても完成したのが2011年だと思います。モータースポーツ業界から見ると、オタク業界のほうはどう見えているんでしょう。
大橋監督:これまでは一緒に何かやる場所がなかったというか、お互いに遠慮していた部分があったんではないでしょうか。ホビーが好きな方というのは、クルマ好きの方ともかぶる部分は多々あると思うんですよね、どちらも趣味性が高い。どちらかと言えばモータースポーツの世界が閉鎖されているのかも知れません。
実際、モータースポーツが好きな方ってのは、日常生活ではどこにいらっしゃるか分からない。サーキットに来れば、いっぱいいるんですけどね。そういう意味では誰かが入り口を開いてあげないと、本当に好きでもなかなか見に来るきっかけがない。そのきっかけ作りにはなれたかなと思います。
──2010年にはエヴァンゲリオンレーシング、そして2011年にはイカ娘、涼宮ハルヒなど、次々にいわゆる痛車チームが生まれました。後続がある、あるいは模倣があるってことは、賞賛されているということにもつながりますよね。
大橋監督:それは感じます。いろいろな人達がこういうところ(モータースポーツ業界)に入ってきてほしいけれども、特にアニメやフィギュアとか趣味性が高いものに対しては、もともとのモータースポーツが好きな方はもしかするとちょっと苦手意識を抱いてしまう場合があるかもしれませんね、そこはうまくバランスをとってほしいなと思います。
僕達も気をつけていることですが、キャラクターのイメージばかりが先行してしまわないようにする。初音ミクを応援してほしいけれど、そうじゃない人にも応援してもらえるようにする。これも言い方がわるいかも知れませんが、当初は色物的な出方だったかも知れませんが、少しずつ結果を出すことで存在感が出てきた。別に僕らは特定の方々だけに応援してもらいたいわけではなくて、皆さんに応援してほしいと考えてバランスを取っている部分があります。今後いろいろな形でチャレンジされるところは多くなるかも知れませんが、今いるファンを無視したような形にはなってほしくはありません。単に「クルマが痛車だから」というようなアプローチは残念だと思います。レースである以上、時間を掛けてでも何かしらの結果を出していきたいですよね。コンテンツを提供するだけでなく、(コンテンツとレーシングチームで)ちゃんとしたコラボレーションをできるようにしていくということです。
──個人スポンサーさんが多ければ多いほど、意見なども寄せられると思います。おめでとうメッセージも多いでしょう。ほかに印象に残ったものや、辛かったものなどはありますか?
大橋監督:基本的にネガティブなメッセージは、僕はもらったことがありません。匿名性が高い掲示板ならともかく、皆さんがから直接届くメッセージは好意的、前向きです。こうしたグッズを作ってほしいという提案はありましたね。やってよと言われてやらせてもらったのが、自分の名前が入れられるTシャツです。たくさん申し込みをいただきました。今回のスプリントカップ前には届いているはずですが、この寒さだから、着てくれてるのかはちょっと分からないですけど。
──2011年シーズンは、途中で性能調整が入るたびにツラい立場となったわけですが、レギュレーション面ではどうでしょうか?
大橋監督:なぜ2011年のシーズンチャンピオンを獲れたかというと、まだFIA GT3の車輌台数がさほど多くないという点もあります。そこはGTA(GTアソシエーション)も性能調整をする加減が分からない。僕らもどれだけの性能調整をされるとどうなるのか、ということも分からない。結果的にウエイトハンデ(車体重量)や車高などの性能調整を受けましたけど、GTAが思うほどの影響がなかった。もちろんGTAもレースを面白くしようとしてやっています。僕らが速いから下に落とすのではなく、同レベルにしようとしています。その点は理解しているから、性能調整を受けたからどうのとは思わないし、それが適正であれば、最終的に(ライバル車輌となった)11号車(JIMGAINER F458)や62号車(LEGACY B4)を応援しているような方々から見ても、ドライバーの技量やチーム力を図ることができる。結果的には正しかったのでしょう。僕らからすれば性能調整がないほうがいいのは決まっているけれども、見ている皆さんからすれば最後までちゃんと楽しむことができたはずです。
ライバルとなったJIMGAINER F458 | 1戦ごとに速さを増したLEGACY B4 |
──チームとして横浜タイヤを1年間使われてきました。結果的にライバルはダンロップだったわけですが、ダンロップと比較して横浜タイヤのアドバンテージはどこにあったのでしょう?
大橋監督:やっぱり(横浜タイヤを)使っている台数が多いことです。あとは横浜タイヤさんとしても勝ちたいという強い気持ちがあって、もちろん最終戦に限った話ではないですが4号車(初音ミク号)に対して力を入れてくれて、すごくお世話になりました。
僕らはもてぎでのテストをしていないけれど、仮にこの車輌だったらどうだろうという想定も(使っている台数が多いから)あらかじめなされていた。もちろん外れたこともあります。正直、前半のレインタイヤとかはしっくりきていない部分もありました。ツインリンクもてぎやスプリントカップ予選も雨だけれど、後半戦では、雨になると(当初言われていたように)ハンコックやダンロップが強いというわけでもなくなっていましたね。
──Car Watchでは、読者の注目が上位カテゴリーであるGT500のみから、GT300も同等にとシフトしつつあります。BMW、フェラーリ、ポルシェといった分かりやすい構図と痛車への注目もあります。2010年のポルシェから、2011年はBMWへと参戦車輌が変わりました。BMWからの働きかけなどはあるのでしょうか?
大橋監督:(車種に関してのライバル意識などは)あまりありません。車両はBMW MotorSportsからシューベルトモータースポーツ経由で購入しています。BMWジャパンさんからも少しずつご協力をいただけるようになってきています。車輌を検討する段階で、もちろん売ってくれる、売ってくれないというのもあるのですが、決定時点で買えた車輌で、日本国内のサーキットでそこそこいい成績を納めることができるだろうという想定のもとで、BMW Z4を購入しています。
ポルシェは速いです。イメージとしては常勝でしょうか。レースと言えばポルシェがいるのでチャレンジャー感は少ないですね。速くて当たり前だし、台数もたぶん多いだろう……と。チャレンジャー感のある車輌にミクを描いて……ってのは、後付けの理由になるけれど、今まで走ってないクルマで出て行くという姿勢は見せたかったですね。やっぱりクルマをポンポン変えたり、チームを変えたりするのはあまり(傍目にも)よろしくないでしょう。その点は気になっていましたが、以前とは(車輌の)クラスが違いますけど、最初からいたファンの方もBMWなら納得してくれるだろうと考えました。
──車輌番号が4号車じゃないですか。例えばヨーロッパでは13番が使えない番号になっていますが、日本で4番ってありなんだと、びっくりしました。4番を選んだ理由はあるんですか?
大橋監督:ナンバーも僕が提案させてもらったんですが、まずはZ4へのひっかけです。あとはやっぱりシングルゼッケンがいいですよね。4とか9とか使わないでしょう? 絶対に空いています(笑)。ちなみに2010年は9号車でした。ポルシェで9、Z4で4。分かりやすいですよね。縁起とかは気にしない。(無事に)終わったから、言うんですけどね(笑)。まぁクラッシュとかしてたら「ほら、やっぱり」とか言われそうだけど、もう堂々と言えます。(シーズンが)終わったからこそ言えることは沢山ありますよ。
──2012年のクルマはどうされるんでしょうか? FIA GT3車輌についてもJAF GT車両との調整は図られるようですが。
大橋監督:細かくは決まっていませんけど、もっとも単純に考えているのは2年連続でチャンピオンを獲りたいということ。そのためにどうするかです。レギュレーションは少しずつ決まっていて、基本的な方向性はすでにあります。そのうえでJAF車輌がどうなるかが、いまの議論です。たぶんJAF車輌は2011年の結果から優遇されてくる可能性はありますね。でも、そんなに心配はしていません。GSRとしては、2012年もFIA GT3車輌で臨むつもりです。
2010年も監督をやってましたが、2011年シーズンを迎えるにあたって思ったのは「(なぜか)みんな早く決めない」ということ。ギリギリまで粘る。でも、絶対に早く決めた方がいいと思います。「車輌を決めた。そして注文。到着は3月ギリギリ」そんな結果になるなら、もっと早く決めるべきですよね。あたり前なんだけど、直前で体制を決めてのエントリーでは、うまくいく気がしません。そんなわけで2011年のクルマを決めるのは早かった。正直に言うと特別戦の前。時期的には今(11月上旬)と同じ時期です(笑)。
2011年のワンフェスで発表された参戦マシン |
2012年の車輌も言えないだけで、決まっています。もしかしたら2011年の個人スポンサー向けの祝勝会でも多少情報を出すかも知れません(すでに2011年11月に実施)。祝勝会にも多くの個人スポンサーの皆さんから応募がありました。200名で申し込みを開始したら、翌朝には満員です。慌てて会場レイアウトをどうにか変えて30人を追加しました。でも、追加したらこれもあっと言う間に満員です。16,000人を超える個人スポンサーさんですから、まさにプラチナチケットなのかも知れませんが、ありがたいことです。
──2011年シーズンで、「あちゃー」と思ったことは何かありますか?
大橋監督:細かい「あちゃー」は、もちろんたくさんありました。一方、大きいほうはそれほどなくて、結果的には運に助けられたりもしています。あえて挙げるなら、車輌の電子制御の部分が厳しかった。「なんでライトがピカピカ点きながら走ってるの? で、いつの間にか直ってるけど、誰か直したの?」みたいな。電子制御系は毎回何が起こるか分からないから、ドキドキしていた。こういうのは、もう数え切れない細かい「あちゃー」。
1回ずつ起きるんじゃなくて、ずっと起きている感じです。これも終わったから言えますね。でも、わりと僕らはそういうほかのチームに知られたくないような情報も出しているほうじゃないかな。そのへんの感覚は、3年くらい前のあまり注目を集めていなかった頃と変わっていませんね。
──FIA GT3車輌としてメーカーからのサポートはどれぐらい受けられるのでしょう?
大橋監督:BMW Motor Sportのエンジニアがサポートをしてくれます。問い合わせはできるし、呼べば来てくれます。もちろん出張費も含めて別料金になりますけど。2011年は東日本大震災の影響もあって、なかなか足を運びにくいという環境が続きました。そういう意味では、電子制御系のトラブルは解決しない。解決しないことが決定しているみたいな状況です(笑)。それなら、解決しないなりに頑張ろうということになりました。結果的にレースそのものに影響するようなことはなかったのがよかったです。毎回グリッドに着いて、エンジンがかかるかどうかドキドキですよ(笑)。
──2012年シーズンのドライバー選びは大変でしょうね。2011年のチャンピオンドライバーもキープしたいと思いますが、GT500への転出も囁かれています。トップチームゆえに、売り込みも多いんじゃないでしょうか?
大橋監督:もちろん大変です。僕も勉強しないといけないので、いろいろなドライバーさんとお話をさせていただいたり、あるいは飲みに行ったりと……。そして、仲良くなる人が多ければ多いほど「来年、どうなるんですか?」と聞かれる。なぜかそういう話は飲み会で出て、冗談ぽいけど目は本気……みたいな(笑)。
──2011年のGT 300は言うなれば下克上でしたね。常勝のチームが勝てず、前シーズンの結果がまったく参考にならないほどにシャッフルされています。見ている側としてはすごく面白いシーズンでした。
大橋監督:11号車(JIMGAINER F458)と62号車(LEGACY B4)は速かったですね。それから紫電。これは特に加藤さんが速い、というかレベル違いでうまい。まぁ2011年シーズンについては、結果として上から目線になっちゃうんですけど(笑)。
■チャンピオンドライバーインタビュー
──2011年シーズンを振り返っていかがでしたか?
番場琢選手:2011年はチームの体制が大きく変わった年でした。谷口選手がGSRに来たこと、車輌が変わったこと、メンテナンスガレージが変わったことなど、いろいろなことが変わりました。そして、目標のチャンピオンに向かって戦いました。非常にドラマがあった1年です。そのドラマは、僕がほとんど発信元になっています(笑)。予期せぬ!?セパンでの初優勝。シーズン開始前から落とさないと決めていた富士でも優勝できました。
この1年、谷口選手からいろんなことを学びました。今までとはまったく異なるチームメイトです。メンタル面、戦略面、そしてサーキットに来るまでに考えておくことなど、本当に1から10までです。最初のうちは分からないことが多くて、これまで考えたことすらなかったこともあって、そこは自分なりに自問自答をして、自分なりに成長できた1年だと思います。
2011年GT300クラスチャンピオンドライバー 谷口信輝選手 |
谷口信輝選手:2010年の後半にチーム(GSR)からドライバーのオファーをいただいて僕が言ったのは「番場君を代えてくれたら乗る」です。オファーをいただいたのは嬉しいけれど、1勝したいんじゃありません。シーズンチャンピオンを獲るために乗るという点です。開幕までに、僕が乗るパッケージをどこまで強くできるか?開幕するまでがシーズンの大半を占めます。相方、チーム力、1番チャンピオンの可能性があるチームを、言うなれば査定させてもらいました。BMW Z4の採用、慣れ親しんだガレージなど希望を通してもらいました。そして安心してバトンを渡せる人と組みたかった。でも、相方はくつがえらない。番場君は速いです。でも(シーズンを通して)勝つためには、やらかすタイプではまずい。毎戦きちんとポイントを取っていかないとダメなんです。
実際に富士、岡山と初戦、2戦を戦って番場君はよく話を聞いてくれました。速く走るためのテクニック、自分の知りうる限りの戦略も教えたつもりです。過去におかしたポカの理由を僕なりに汲み取って、どうしたらいいのか考え、レクチャーしました。レースに際して、気持ちを追い込まないほうがいいのか、プレッシャーをかけたほうがいいのかも考えました。
第3戦のマレーシア(セパンサーキット)は、本当に予想外の優勝です。実際に現地に行って走ってみて、想像以上に僕らのクルマが速い。これは、狙うしかないんじゃないかと思いました。本当は、(車輌の特性から)富士、岡山でポイントを稼いで、マレーシア、菅生、鈴鹿は我慢。そして2度目の富士から結果を出すというのが年間のプランです。マレーシアは嬉しい誤算でした。でも、ぶっちぎりでいけるかと思いましたが、後半の厳しいこと。ハラハラして(番場選手のドライビングを)見守り、なんとかトップを守りきって帰ってきたと思ったら、開口一番「演出です」と言われた(笑)。そこからもう、いじり倒してやろうと決めましたね(笑)。
2011年GT300クラスチャンピオンドライバー 番場琢選手 |
──マレーシアでの優勝前後で大きな変化があったんでしょうか?
番場選手:実はマレーシアの優勝前後でそれほど大きな変化はないんです。でも、あそこから、いじられるようになりました。チーム内では2010年あたりからいじられキャラとして定着してるんですが、谷口選手が参加したのがマレーシアあたりからということになります(笑)。
実際、マレーシアはああいうレース展開なので自分では喜べませんでした。最終戦も評価していただいていますが、傍で見ているほどよくはありません。何より相方がすごいので、満足できないんですね。もしパートナーが谷口選手じゃなかったら、あの結果でも満足していたと思います。実際、谷口さんは満足しているのを見たことがないほどの向上心があります。どうにかそこまで引っ張り上げてもらったような感覚があります。
谷口選手:菅生はやばかったですね。やらかしてしまうクセが出た。そこは(番場選手に)足りない部分として指摘させてもらいました。チームとしては11号車と(トップを)行ったり来たりが続きます。まぁそれもこれも番場選手の演出なんでしょうけど(笑)。
僕のなかでは、鈴鹿はほぼ0点のレースです。今年のシリーズのなかでは一番ダメですね。たまたまうった博打があたって5番手で終われたことで傷口を最小限に留めたという感じです。レースはイメトレをしっかりやっていれば、イメージしてることをちゃんとやるだけ。何か起きたときのことも考えて、ちゃんとシミュレーションをする。その時のことをあらかじめ考えておく。慌てないことが大事。
もてぎはかなり厳しかったです。俺が頑張れば済むという話じゃありません。番場君が彼なりに頑張ってトップでバトンを渡してくれたから、あとは俺が守るだけです。実際、上り調子のままいったシーズンではありません。成績としては本当に浮いたり沈んだり。でも、昨年まではトップ争いをしていたチームではないわけですよ、僕なりにいろいろ言ってきました。そして毎戦毎戦チームがよくなってきた。結果的に、チャンピオンが獲れちゃいましたね(笑)。
──意外ですが、谷口選手がシーズンチャンピオンになったのは初めてですよね。
谷口選手:ええ、そう言ってもあまり信じてもらえない。いつチャンピオンを獲れてもおかしくないと言われつつづけて10年間です。欲しくて欲しくてしょうがなかったものが獲れた。それは目から変な汁がじゅるじゅる出てくるというもんです。
番場選手:僕も純粋にチャンピオンになったのは初めてです。S耐で影山さんの相方としてもっとも多く乗っていたからという経験はあるんですが。10年間やってきた谷口さんがチャンピオンになった時にパートナーだったことが本当に嬉しいです。
──痛車チームとしては番場選手が経験豊富で、谷口選手が初めてですよね。外から見ていたのと、内から見たのでは変わった点はありましたか?
谷口選手:最初はよく分からなかったんです。本当に(4年前は)ただ出てるようなチームだったから。そして、ニコニコ動画というものに出るために、なぜ松戸までいかなきゃならないのか? それ、本来ならギャラが出るべきだろうと(笑)。最初は画面にわけの分からない文字が流れてるのを見てイライラしてたんですよ。なかには「谷口△」みたいなのもあって、なんで俺に三角付けてるんだと思ったり(注:意味は、谷口三角形 → 谷口さんかくけい → 谷口さんカッケー → 谷口さんカッコイイ)。でも、次第にいろんな人から応援されているということが分かってきました。俺が勝てば、この画面の人達が自分のことのように喜んでくれる。もう、それがすべてですよね。
番場選手:本当に以前はとりあえずクルマを作って、なんとか走らせているような状態でした。予期せぬことが起きたときにはまったく対応ができませんでした。でも2011年は全然違う。僕がみなさんに伸びたと言ってもらえるのはすごく嬉しいです。もちろん今までも真剣にやってるつもりはあったんですが、その何十倍も真剣にやっている人がとなりにいて、どこにいても何かしら新しいことが出てくる。四六時中考えているつもりでも、もっと考えてる人がほかにいる。時間の濃さみたいな部分が、後半戦では特に変わった気がします。
谷口選手:僕としては、彼(番場選手)の評価が上がってくれないと困るわけです。いずれ僕と違うチームになった時に番場ってこんなもんだとは決して言われてほしくないんです。同じチームで走る限りはチームメイトです。2人が速くないと勝てません。
番場選手:スプリントカップでは、1人でもしっかり勝てることを谷口選手にも見てもらいたいと思います。
インタビューの翌日に行われたスプリントカップ第1レースには谷口選手が出場。前半で大きくリードを奪いながら、終盤の数周ではタイヤが厳しくじりじりと差を詰められる展開。追いつかれた最終ラップの最終コーナーでは11号車にリードを許すものの、そのままスリップストリームについてホームストレートで再び抜き返してゴール。見事な勝負師ぶりに、観戦するメディアセンター内からも大きな拍手がわきあがった。前日のイメトレ発言そのままに、勝利を飾った格好だ。
いっぽう、翌々日の第2レースでは予選でのタイヤチョイスに失敗し12番グリッドからのスタートとなった番場琢選手がラップごとに着実に順位を上げ、7周目でトップに躍り出た。そのまま安定した走りで逃げ切って優勝。これまたインタビュー時のコメントどおり、1人でもしっかり勝てることを証明してみせたと言える。
結果、シーズンチャンピオンの実力をみせつける格好で、スプリントカップは谷口選手、番場選手がそれぞれに優勝を飾り、JAFグランプリも獲得してシーズンを有終の美に締めくくった。
グッドスマイルレーシングの2012年体制は、インタビューにおける大橋逸夫監督の発言のとおり、2月12日に幕張メッセで開催される「ワンダーフェスティバル2012[冬]」で正式に発表される見通し。なお大橋氏は2011年12月31日をもって、株式会社グッドスマイルレーシングの取締役副社長を退任。経営者としてではなく、チームの総監督として2012年シーズンの指揮を執ることが表明されている。
(矢作 晃)
2012年 1月 23日