【特別企画】SUPER GTタイヤメーカー シーズンオフインタビュー【ミシュラン編】
「長期的なビジョンを持ってSUPER GTへの参戦を続ける」


 2011年シーズンのSUPER GTは、雨が絡むレースも多く、どのレースもドラマチックな展開で、見所満載のシーズンとなった。そうした中で、最も大きくクローズアップされたのが、天候変化や温度変化などに敏感に反応するコンポーネントであるタイヤだ。SUPER GTには、国内外の複数のタイヤメーカーが参戦しており、世界でも例がないほど激しいタイヤ開発競争が繰り広げられている。

 日本のトップ3のカーメーカーが参戦する上位クラスとして注目を集めるGT500だが、このクラスが始まって以来チャンピオンを獲得し続けてきた王者ブリヂストンを破るタイヤメーカーがついに登場して話題になった。それが、かつてF1でも激しくブリヂストンと競争を繰り広げたミシュランだ。ミシュランは2009年にGT500に復帰して以降、徐々に競争力をつけてきており、2011年にはS Road Mola GT-Rと共にチャンピオンを獲得した。日本ミシュランタイヤ 小田島広明氏に、2011年のSUPER GTにおける活動の総括と、2012年シーズンの展望などをうかがってきた。

日本ミシュランタイヤでSUPER GT参戦を統括する小田島広明氏ミシュランタイヤを装着し、2011年のGT500クラスチャンピオンとなったS Road Mola GT-R随所で速さを見せたDENSO SARD SC430

ブリヂストン以外で、初めてGT500王者となったミシュラン
──SUPER GTが始まって以来、初めてブリヂストン以外のタイヤメーカーがGT500のチャンピオンを獲得しました。これは非常に大きいことだと思います。その点に関する感想は?
小田島氏:
シンプルに嬉しいです。これまでGT500のプロジェクトをやってきたなかで、いくつかの課題がありました。それをきちんと解消することを目指して一歩一歩階段を登ってきました。その結果としてライバルメーカーよりも上に行けたという認識を持っているので、自分達の設定した課題をクリアできたという意味での嬉しさです。

──2011年シーズン、100点満点で何点をつけますか?
小田島氏:2011年シーズンは、結果にこだわるという姿勢を前に出して戦ってきました。その結果、チャンピオンを獲得したという意味で100点をつけたいです。2011年シーズンを振り返ってみると、8戦して90ポイントを獲得しました。1レースあたり11ポイント以上になりますので、平均すると、各レースで確実に表彰台に乗っている計算になります。そこはタイヤだけでなく、チーム、ドライバー、クルマへのタイヤのマッチングを含め、取りこぼしが少ないシーズンを過ごすことができました。この90ポイントというのは、チャンピオンを獲得したポイントとしてはかなり高いレベルにあると思いますし、シーズン中にも常にチャンピオンに近いところにいることができていました。

──ミシュランにとって、2011年のハイライトは第何戦でしたか?
小田島氏:我々にとって最も印象深かったのは、開幕戦となった第2戦富士のレースです。あのレースで我々の2台(DENSO SARD SC430とS Raod Mola GT-R)がフロントローを独占しました。我々のタイヤはこれまで温度が高くない状況が弱点だと言われてきましたが、そうした状況の中で異なるカーメーカーの車両がフロントローを獲得し、大きなインパクトを与えることができたと考えています。

 決勝レースに関しては、結果的に言えばスタート時に選択したタイヤが正しくありませんでした。レースのスタート時に、雲の切れ間から青空がのぞいている状況でしたので、乾いていく方向でも対応できるタイヤを選択しましたが、実際には雨がどんどん強くなってしまい、失敗に終わりました。スタートの時点ではチームも、ドライバーも、我々もみなその方向で一致していたので、経験不足であることは事実でしたが、誰も後悔はしていません。

 大事なことはそのタイヤ選択が失敗だと分かり、タイヤを状況にあったものを交換したあとのパフォーマンスがよかったことでした。雨の状況が刻々と変わっていく中で、コース上でタイムを更新していたので、レインタイヤの速さはあるということが確認でき、その後のレースにつなげることができました。

──第5戦の鈴鹿も印象的なレースでした。雨が降ったり止んだりという状況の中で、1度交代してから2位まで追い上げ、最後に雨が降らなければ大逆転できそうなレースでした。
小田島氏:鈴鹿のレースも、雨がレース展開に影響を与えたという意味では第2戦富士と同じなのですが、温度域は全然違っていました。レース中の雨量の変化が非常に大きく、ウエットレースというよりは、インターミディエイト(ドライとウェットの中間という意味)のレースだったのです。我々の手持ちのタイヤは普通の雨では十分に強かった。ところがだんだんと乾いてくる状況の中では、ライバルに若干劣っていました。

 3つのスティントのうち、第1スティントは十分な競争力がありましたが、徐々に乾いていっている第2スティントではちょっと厳しかった。ところが第3スティントではライバルより先にドライタイヤに交換することができ、明らかに速いスピードで追い上げていくことができました。

 ドライとウェットの切り換えポイントというのは、メーカーによってちょっとずつ違っています。このため、ライバルにとって良い谷間、我々にとって良い谷間がそれぞれ繰り返されていったレースだったんです。我々としては、もう少し早くドライタイヤに交換することも可能だったのですが、SUPER GTではドライバーの義務周回の問題がありますので、その関係で早めにピットストップすることができませんでした。それができていればもう少し優位性を出すことができたのにという思いはありましたね。

 最後の最後で雨が降り出してきてしまったのは、もう運不運の問題なので、そこまでに高いパフォーマンスを見せることができたのは、我々としても自信につながったレースでしたね。

新しいモーターホームを導入するなど、日本のモータースポーツへの投資を続ける
──201年シーズンに一緒に戦ったMola、SARDという2チームをどう評価していますか?
小田島氏:Mola様に関しては2008年のGT300時代にお付き合いがあり、その時にもチャンピオンを獲得していますし、実力があるチームであることは分かっていました。また、車両のGT-Rに関しても我々が2009年からGT500に参戦して以来ずっと一緒にやってきているので、車両側からタイヤへの合わせ込みもかなりしていただきました。この点はカーコンストラクターとしての日産/NISMO様に感謝しています。

 ドライバーの2人も、ロニー・クインタレッリ選手とは2009年に一緒にやっており、お互いの理解に問題はありませんでした。柳田選手についても2011年は非常に強いドライバーになったなという印象を受け、チャンピオンにふさわしい仕事をしていただいたなと思っています。このように、すべてが揃ったよいパッケージだったなというのが感想です。

 SARD様に関しては、2011年シーズンからチーム内体制も、ドライバーも大きく変わりました。ただ、SC430との組み合わせは2011年シーズンからですし、その点では少し時間がかかった面はありました。しかし、1年目で後半に向けてメキメキと伸びていったという印象はありましたし、富士やオートポリスのレースで惜しい展開になっていなければ、違った結果はあったのかなという印象です。ただ、我々のユーザーチームは8戦中6回ポールポジションを獲得していますが、その半分は石浦選手が獲得していることは強調しておきたいです。彼の速さには本当に関心させられました。

──2011年は、GT300への供給がありませんでした。2012年以降はいかがですか?
小田島氏:我々のほうから止めたわけではなく、もし2012年以降もGT300でよいお話があればぜひ取り組みたいです。特に我々はヨーロッパでFIA-GT3(GT300の車両として利用することができる、FIAが作成したカテゴリー)での経験がありますので、お話があれば対応可能です。ご希望のチーム様などがあればこれからお話しすることになると思いますが、出るとなれば我々も勝ちを狙っていきたいので、きちんと計画を持った形で取り組みたいと考えています。残された時間はそんなに多くないのは事実です。

──GT500の2012年以降の計画はどうなっているのでしょうか? チャンピオンを獲得され、8戦中6ポールということで、うちも使いたいという要望が現在のユーザーチーム以外にもありそうですが?
小田島氏:我々の方針としては技術的にいろいろな比較をするという意味で、1台では少なく、最低2台は必要だと考えています。そこから先は、いろいろな状況や接点があれば、可能だとは思っています。

──モーターホームを新規に購入されたそうですが、これはミシュランの日本市場への投資の証しと考えていいのでしょうか?
小田島氏:元々このモーターホームは、開幕戦から投入する予定だったのですが、東日本大震災が発生した関係があり、JAF GPのタイミングになっていました。おっしゃるとおり、我々としてはSUPER GTへの参戦は長期的なビジョンに基づいています。このSUPER GTは日本のトップカテゴリーとして、タイヤメーカー、自動車メーカーが参加しており、競争がある状態です。その状態がある限り、参戦する価値があると考えています。

ミシュランが2011年シーズンの最後に投入した2階建ての新型モーターホーム。日本のレースに、今後も積極的に関わっていくことを示しており、2012年シーズンも激しい争いが予想される

(笠原一輝)
2012年 1月 19日