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【Honda F1復活祭】ホンダ 第1期、第2期、第3期の歴代F1マシンが一堂に展示された「2015 モータースポーツファン感謝デー」
RA272、マクラーレン・ホンダ MP4/5B、スーパーアグリ SA07などなど
(2015/3/8 12:08)
- 2015年3月7日~8日開催
- Webからのプリントアウトで無料など
鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)は、3月7日~8日の2日間に渡り「モータースポーツファン感謝デー 2015」を開催した。その会場となる鈴鹿サーキットのグランドスタンド裏に位置するイベントスペース“GPスクエア”においては、歴代のホンダF1に関係する車両、そして今年からマクラーレン・ホンダとしてF1に復帰することを記念して、昨年の11月にアブダビで走ったマクラーレン・ホンダ MP4-29Hも公開されるなど、3月13日~15日に開催されるF1世界選手権 開幕戦 オーストラリアGPに向けて期待を高める内容になっている。
また、会場ではマクラーレン・ホンダのグッズが、現在のマクラーレン・ホンダだけでなく、1980~1990年代のマクラーレン・ホンダグッズも含めて販売されており、多くのファンがグッズを買い求めるなど人気を博していた。
4輪メーカーとしてスタートしたばかりのホンダがF1に挑戦した第1期
ホンダとF1の歴史は、古くは1960年代にさかのぼることになる。初参戦は、1964年のニュルブルクリンクで開催されたドイツGPで、ロニー・バックナムのドライブでRA271という車両を自社で開発して参戦した。ホンダが4輪車の販売を開始したのは、1963年に販売を開始した軽トラックT360が最初で、乗用車に至っては1966年に販売を開始したN360が最初となる。つまり、ホンダは乗用車を販売する前にすでにF1への進出を決め、実際に1964年にはF1レーシングカーを走らせてしまったのだ。もし、現代に、4輪車を発売していない2輪車のメーカーが、来年からエンジンだけでなく車両も作ってF1参戦すると言いだしたら、“冗談でしょ”と受け取られるだろうと考えれば、このことがいかに凄いことか想像できるのではないだろうか。
その後1965年の最終戦メキシコGPで、リッチー・ギンサー操るRA272が初優勝、さらに、1967年のイタリアGPでRA300を駆るジョン・サーティースが優勝するなど、合計で2勝を獲得したが、1968年を最後にF1活動は休止され、その後雌伏の時を迎えることになる。後に、この1964年~1968年までの6年間のF1活動は、“第1期”と呼ばれることになる。
今回のファン感謝デーでは、そうしたRA271、RA272、RA300の3台が展示されていた。ホンダF1の最初の車両であるRA271、初優勝のクルマとなるRA272、第1期の最後の優勝を実現したRA300と、F1初期の活躍が偲ばれる展示となっていた。
16戦15勝、無敵艦隊となったマクラーレン・ホンダが象徴する第2期
1968年を最後にF1活動を休止したホンダF1だが、F1への復活はエンジンメーカーとしての復活となった。1980年代になって、F1直下のカテゴリーであるF2へエンジンサプライヤーとして復帰し、そこでの成功をひっさげて、1983年にF1フィールドにホンダが帰って来た。その最初のマシンがイギリスのコンストラクター“スピリット”に供給したスピリット・ホンダ 201Cで、V6ターボエンジンを供給した。
翌1984年には、イギリスの強豪コンストラクター“ウィリアムズ”と契約し、ウィリアムズ・ホンダ FW09というマシンを走らせた。そのパートナーシップは早くも成功し、この年ダラスで行われたアメリカGPにおいて、第2期F1で初優勝を遂げた。その翌々年1986年にはウィリアムズ・ホンダFW10Bで初めてのコンストラクターズタイトルを獲得し、1987年にはネルソン・ピケがウィリアムズ・ホンダFW11で初めてのドライバーズタイトルをホンダにもたらした
その翌1988年には、イギリスの強豪マクラーレンと契約し、マクラーレン・ホンダMP4/4はアイルトン・セナ、アラン・プロストを要して、年間16戦中15勝という不朽の記録をもたらした。マクラーレン・ホンダのパートナーシップは1988年、1989年、1990年、1991年の4年間ドライバーチャンピオン、コンストラクターズチャンピオンを独占し、大きな成功を収め、1992年を最後に幕を閉じることになる。
今回の展示では、スピリット・ホンダ 201C、ウィリアムズ・ホンダ FW09、ウィリアムズ・ホンダ FW10、ロータス・ホンダ 99T、ロータス・ホンダ 100T、マクラーレン・ホンダ MP4/5B、マクラーレン・ホンダMP4/7、ティレル・ホンダ020、さらには第2期撤退後、その活動を受け継ぎ無限ホンダとして参戦していた時期のジョーダン・無限ホンダ 198が展示されていた。なお、マクラーレン・ホンダ MP4/4、マクラーレン・ホンダ MP4/5、マクラーレン・ホンダ MP4/6の3台はレーシングコースで実装する為、GPスクエアでは展示されていなかった。
フルコンストラクターとして参加した第3期、日本のファンに人気だったスーパーアグリも
第3期のホンダF1活動は、1999年にダラーラが設計したシャシーにホンダV10エンジンを搭載したテストに参加したRA99から始まった。RA99は結局テストを走っただけで、F1には参戦しなかったが、2000年にBARとパートナーシップを組んでBAR・ホンダ 002として参戦を開始した。その後、ジョーダンにもエンジンを供給する時期を経て、2006年からはホンダがBARを買収してフルコンストラクターとして参戦を開始し、その年のハンガリーGPで、ジェンソン・バトンのドライブで優勝した。
その後、2008年までホンダとして、そして2006年~2008年にかけてはサテライトチームのスーパーアグリ・ホンダにもエンジンを供給するなどのなどの活動をしたものの、優勝は前出の2006年のハンガリーGPの1勝に終わっており、2008年の終わりにリーマンショックの影響などを受け、活動を休止した。
今回の展示では、RA99、BAR・ホンダ 002、ジョーダン・ホンダ EJ12、BAR・ホンダ005、BAR・ホンダ 006、BAR・ホンダ 007、ホンダ RA107、スーパーアグリ SA07、ホンダ RA108が展示されていた。