パイクス・ピーク・インターナショナル・ヒルクライムレース2012(後編)
2012年のパイクス・ピーク・インターナショナル・ヒルクライムレース(以後パイクス)は私が取材してきたこの3年間で最も波乱に満ちたレースウイーク&レースとなりました。
■これまでで最も赤旗中断が多かった
我々日本人にとっては練習日初日にパリダカでも連覇を遂げたベテラン・ラリードライバーの増岡浩さん(三菱自動車)がi-MiEV Evolutionでコースアウト。「パイクス・ピークの洗礼を受けた」と言う本人は無事ながら、マシンはかなりのダメージを負い、残り2日の練習をキャンセルし、マシンを修理。レース当日に無事完走、そして素晴らしい結果を残しました。
あまりにもショッキングだったのは、山頂で練習走行を取材中、参加者の1台が観光客に向かってスピン&クラッシュし、少女がはねられた事故でした。新聞によると数時間後に病院を退院したというからよかった。事故を起してしまったドライバーはコ・ドライバーも重傷を負ってしまったようで、泣き崩れレース仲間に支えられる後ろ姿が、たとえ本人に過失があるにせよ痛々しく、周囲の空気を重くしたのは想像がつくのではないでしょうか。
他にも大小のトラブルやアクシデントは連日のように起きていたようですが、特にそれらについてアナウンスがあるわけではなく、レース当日に向かってスケジュールは淡々と進んでいきました。が、何だかアクシデントやトラブルが多いと感じる、練習日の3日間でした。
アメリカで2番目に歴史のあるこのローカルレースは、安全面をのぞいてオペレーションはやや緩い印象。しかし標高4300mという高山の、ガードレールもほとんどない山道で行われるレースゆえの過酷さが、緩さと同居するムードが独特です。しかし今年はそもそものレースの難しさに加え、山火事が起きるほどの暑さと、完全舗装路に変わった路面状況がドライバーたちを惑わせ、ドライビングを誤ることも多かったように感じます。
レース当日。スタート地点から山の中腹までは暑く、約20km(標高差1700~1800m)を走ると、4300mの山頂では朝の穏やかな天候から徐々にヒョウや雪が降る寒さ厳しい天候へと変わる、まるで真夏と真冬をわずか10数分で体験するような気象状況が、レースを苛酷にしていたはずです。
これまでで最も赤旗の回数が多く、レースの進行が遅延したため、山頂に12時間以上も居た我々メディア関係者や、自分のレースを終えても全ての参加車がやって来るまで下山を待たなければいけないドライバーやライダーたちも、進まぬレースに一層の疲労感を抱く、そんな1日となりました。
●Her-2車載映像 練習走行 ミドルセクション
■対照的な2台のEV
それでは具体的に……たび重なる赤旗中断のあと、順番がやってきた注目のEVクラス。今年は7台のマシンが参戦するうち、パイクスルーキーが5人もいました。
今年からEVマシンに乗り換え、自身が昨年更新したパイクスのコースレコードを更新し、最強クラスにも勝7連覇を狙うEVクラス予選1位のモンスター田嶋さんから走行が始まります。練習中からも速さとパワフルさが見た目からも感じられ、予選タイムのダントツのトップ。トラブルらしいものも伝わることなく、仕上がりのよさを誰もが感じ、記録に期待していました。
実は昨年までのライバルたちのトップ2が、すでに誰もが予想もつかぬカタチでクラッシュ&リタイヤをしており、田嶋さんの総合優勝の可能性がますます高まっていたのでした。ところが「モンスターのマシンは運転席のあたりから白い煙があがり、路肩にマシンを停めた」という情報が山頂に届きました。走行開始後わずか1kmの地点でのマシントラブルによるストップ。モーターのトラブルによるリタイヤということでした。
これまで続いていた連覇も完走記録さえもストップ。自分が子供の頃に憧れたクルマを絵に描きカタチにしたというEVマシンを自ら製作し、子供たちに夢を与えられたら……と臨んだパイクス。「100%完走を信じて走り、イージーなミスさえしなければ7連覇も夢じゃなかった」という田嶋さん。さらにEV開発を進めていきたいともおっしゃっていました。
●スタート地点
朝6時前ですでに道路は大渋滞。レース延期により今回はアメリカの夏休みシーズンも重なってお客さんも例年以上に多かったように感じます | スタート地点で三菱チームはメッセージ入りの横断幕を掲げて応援 | 午前中は2輪がタイムアタックしていたからか、レースを待つ間ドライバーたちはさぞや時間を持て余しているのだろうと思いきや……レッドブルガールが応援してまわっていたみたい |
塙さんのチーム関係者もご覧のとおり(笑) | スタート前、マシンの準備を進めるTMGチーム |
走行の準備を始めるチーム・ヨコハマ | 予選上位順にスタートを待つエレクトリック・クラス |
続いて走行予定だったTMG(Toyota Motorsport GmbH)の奴田原さんにも山頂ではトラブルの噂が……「スタート地点から外された(戻された)」という情報が入り、まさか奴田原さんもリタイヤか? と不安がよぎる中、予選3位のエリス・アンダーソンがやって来ました。
彼もこのレースのルーキーの1人。結果は3位。小さくて黄色い彼のマシンはライトニングという会社のマシン。この会社はEVバイクの世界ではすでに有名で、モトGPより速いEVバイクを走らせているのだとか。このマシンはそのEVバイクのユニットを搭載した、言わば“4輪版”。
ルーキーによる初参戦とは言うものの、この会社を知る者にとっては単なるルーキーではなく、モンスターをも脅かす存在(ダークホース)になると注目していました。小さく軽くバッテリー搭載量も少ないマシンは、モンスター田嶋のモンスターEVマシンとは対照的なコンセプトであり、コレはこれで魅力的なパフォーマンスを披露してくれたのは間違いありません。レース後にインタビューした中で、最もバッテリー残量が少なかったのがこのマシンでしたが、それだけシミュレーションがうまく行っていたとも言えるでしょう。来年もまたダークホースの走りが見てみたい。
●Her-2車載映像 練習走行 トップセクション
■幸運と“思い”でクラッシュから復帰
クラッシュを乗り越えスタート地点に立った、三菱i-MiEV Evolutionに乗る増岡さん。練習走行初日に大きなアクシデントにも見舞われながら臨んだ初参戦の結果は2位でした。
山頂では「とにかく完走できてよかった」と、この1週間を振り返り、涙ぐむシーンもありました。昨年の参戦が見送られ本人だけがパイクスでレースを下見していた増岡さんは、今年の出場が決まってから、車輌開発からコースの勉強を熱心に行ってきたと周囲の関係者が話してくれました。
このアクシデントからのカムバックでは、さまざまラッキーが増岡さんとi-MiEV Evolutionを山頂まで押し上げてくれたようです。後で知ったのですが、増岡さんのマシンの損傷(主にフロントのフレームまわり)は激しく、普通ならリタイヤするような状況だったそうです。ところが、たまたまチームがマシンを整備する場所として借りていたのが修理工場で、パイプフレームの溶接も行える環境だったのでした。
そして、以前にも増岡さんとパリ~ダカールラリーにエンジニアとして参加していた2名が帯同していており、突貫修理も慣れている彼らがリードして、修理にあたれたこと。日本にもたった1点しか残っていなかったパーツが見つかり、夏休みを返上してハンドキャリーしてくれた三菱の関係者がいてくれたこと。EVの走行をつかさどるパーツやシステムが無事だったこと。そしてクラッシュが金曜日(レース直前)ではなく水曜日だったこと。そういうラッキーの積み重ねと、何としてもレースで走らせたいという思いが、チームの団結力をより高めたようです。増岡さんはそうして取り組んだ1週間を思い出して、感謝と安堵に目を潤ませていたのでした。
●ゴール地点
■エコでも速い
続いてやって来たのは、自己ベスト更新を目標にかかげるチーム・ヨコハマの塙さんが駆る「Her-02」。見事、目標を達成しました。しかしながらEVに義務付けられているサイレンのピヨピヨ……という音を合図に多くのメディアがカメラを向ける中、塙さんのHer-02は何と徐行でチェッカー(ゴール)。原因は、モーター温度上昇によりゴール目前でセーフティモードが入ってしまったためでした。これがなければもっと速いタイムで自己ベストを更新できたはずです。
今年は塙さんのマシンにACプロパルジョンの最新のモーター第1号を搭載しテストしてきましたが、前回のラグナセカのレース以降、なんとなく冷却系のトラブルを抱え、その都度いろいろと試してきたものの、結果的には改善できなかったようです。
順位はクラス5位。昨年はクラス優勝を獲得しながらも、今年はより強力なパフォーマンスを持つEVマシンがいきなり続々と登場したEVクラス。まるでGT500とGT300が混合である今年のレギュレーションでは分がわるい。塙さんや横浜ゴムはそれを承知で、今年は市販版の「ブルーアース・エース」という低燃費タイヤとEVマシンで、「エコでもより速いレース」を目指していました。が、EVが今後増えることになれば、EVにもより細かなクラス分けが必要になりそうです。
●Her-2車載映像 決勝
BMW M3のコンバージョンモデル、市販車ベースのi-MiEVに続いて最後にやって来たのは、第2走者の予定だった奴田原さん。最後にまわされてしまったのは、モーターを冷やしていた氷の水が、路面を濡らすことを不安に思った後続チームに、クレームをつけられてしまったのだとか。
スタート地点は暑く路面温度も高かったようですが、途中から雨に降られるという路面コンディションの中で走った結果は、初参戦にしてクラス1位。4輪の総合でも4位(2輪も含めれば総合6位)。ご本人はラリーで経験のある峠道、実はお好きなのだとか。初めてのフォーミュラ系のモデルで、初めてのトヨタのF1チームたちとの戦い。ガッツリとプレッシャーのかかる中で走らせた10分15秒。「無事に頂上まで来られてよかった」という第一声に、私も深く頷きました。
■レーシングタイヤよりも市販エコタイヤ?
各チームともに何の問題もなく結果を出せたわけではなかった今年のパイクス。冒頭で大きな事故が多かったと書きましたが、昨年は2輪で相次いでいたアクシデントが、今年は圧倒的に4輪でたくさん発生していました。
完全舗装となったコース、テストでは早朝の5時半から9時半の走行のため、路面温度は上がらず。オール舗装路だからとレーシング系タイヤをチョイスしてきたものの、タイヤの発熱が期待通りにはいかず、グリップが足りないと感じるドライバーも多かったようです。少なくともこの2年間は4輪からレースがスタートしていたのですが、今年は2輪からに変更になりました。そこでテストしていた早朝と、お昼前後から始まるレース当日とで路面コンディションも大きく異なります。
レースのレギュレーションではスリックは禁止であるものの、溝が1本でも入っていればOK。しかしサーキットのようにこの高山を走らせるつもりが、そうはいかないクルマが多かったようです。一方でタイヤのグリップは上がりスピードは速まるが、その分コースから外れた際のリスクは高まり、その代償があまりにも大きいケースも……。
総合優勝に最も近いアンリミテッドクラス(昨年まで田嶋さんが参戦していたクラス)では、最も優勝を有望視されていたトップ2台(プロレーサー)が続けて大きなクラッシュによりリタイヤしました。特に予選2位のポール・ダレンバックは、1300馬力のオープンホイールマシンでスタート直後に180km/hものスピードでコースアウト。コースを外れ林の木々を何本もなぎ倒し、コクピットだけを残してマシンは大破。彼はコースをよく知る地元のドライバー。誰もがそんなクラッシュをするとは予想していなかったでしょう。
ダレンバックは、予選1位のダチア(ルノー・グループのルーマニアの自動車メーカーで、このマシンは日産GT-Rのエンジンを搭載)に乗るスイス人ドライバー ジーン・フィリップが「経験差でポールが有利」と言っていたほどのミスター・パイクスです。ダレンバックのコースアウトもフィリップのクラッシュの原因も、タイヤチョイスではないかと多くの関係者が推測しています。
興味深い話を聞かせてくれたのは、チーム・ヨコハマの塙さんでした。「昨年までは少しでもダートが残っていたから、バリバリのレーシングタイヤなんてチョイスはなかったはず。今年はそれでみんなタイヤチョイスを読み間違えることもあったと思う。ボクのマシンには市販車用のエコタイヤを履いていたけど、これが昨年のプロトタイプよりもできがいいから凄いんだよ。市販タイヤは雨でも冬でも誰でも同じように走れなければいけないわけで、しかもドライバーにタイヤが滑りそうな状況を、分かりやすく伝えてくれるから安心なんだ。ボクの場合は、滑り出してもその動きが自然なため、コントロールしやすいという点も嬉しい。来年からはみんなのタイヤチョイスも変わるだろうね……」。
タイヤメーカーのサポートを受けているからのリップサービスではなく、今年のマシンの仕様変更はモーターとタイヤのみ。そんな中で最高速をも更新したリザルトから、タイヤの役割やチョイスが大事なことは明らかです。
■過酷だけどフレンドリー
総合優勝を果たしたのは、ヒュンダイ・ジェネシスでタイムアタック・クラスから参戦していたリース・ミレン。昨年までの2年、田嶋さんと同じアンリミテッドクラスで総合優勝を狙っていたのですが、叶わず……しかし今回は市販車ベースのクラスから参戦し、田嶋さんが持つコースレコードも更新して総合優勝を果たすという結果に、本人も非常に喜んでおりました。
レースは大きな転落事故により長らく中断。その後、頂上付近の天候悪化に伴い、レースは走行区間を短縮して行われました。が、チームは朝の2時半にはスタート地点に向かい、今回は特にレース中断が多かったことで、表彰式が終了したのが22時。
チーム関係者は、スタートを見送った後はマシンが戻ってくるまですることもなく、帰りを待つのみ。全ての参加車が走行を終えるまで、下山できません。たった1回の、10分前後のタイムアタックをするために費やす時間が約18時間。ドライバーもチーム関係者も、ボランティアで参加しているオフィシャルも観戦者(途中下山は不可能なため)も、取材陣にとっても苛酷です。
私にとって3年目の取材となったパイクスでは、ローカルレースならではというべきフレンドリーな面々とのコミュニケーションも楽しみ。知り合いになったオフィシャルやドライバーのおじいちゃんが、異国から来た私に優しく接してくれます。
さらに今年は3年目のボーナス!? 練習日にいろいろな方にインタビューしている中で、トラックヘッドのドライバー、マイクにお話しをうかがっていたところ「(セクションの)スタート地点まで助手席に乗っていくかい?」という貴重な提案をしてくれたから大変。1950馬力のレーススペック・ディーゼルエンジンを搭載するマシンの、同乗体験までしてしまいました。パワーもさることながらトルクが凄い。
また新しい出会いや体験が増えたパイクス。平均睡眠時間2時間、寒いし空気薄いし高山病が怖いけれど、山は美しく、ローカルレースならではの人情味あふれるフレンドリーな雰囲気も独特。今はクタクタなのに、また行きたいと思う私は、「M」は「M」でも「Mountain&Motorsports@パイクス」が好きなんだと思います(笑)。
●ファンフェスタ
■飯田裕子のCar Life Diary バックナンバー
http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/cld/
(飯田裕子 )
2012年 8月 24日