オグたん式「F1の読み方」

ドライバーの安全対策について考える

レッドブルチームの「エアロスクリーン」装着車両

 F1は第4戦ロシアGPを終えて、飛行機による遠距離移動の序盤戦を終えた。そのなかでいくつか見えてきたこともあった。

ドライバーの安全対策向上のプラス

 第4戦ロシアGPでは、レッドブルチームが「エアロスクリーン」というドライバー保護装置のテストを金曜日のフリー走行で行なった。これは、3月のバルセロナテストでフェラーリによって試された「ヘイロー(Halo)」とは異なる構造だった。

 フェラーリで試されたヘイローは、まさにヘイロー(天使の輪)とも言えるようなもので、ドライバーの頭の上に環状の保護構造をつけたもの。ヘイローはシンプルな構造で、タイヤなど大型の物に対して有効で、雨やオイルによる視界への影響も少ないが、スプリングのような小型の飛散物だとドライバーを守り切れない恐れもある。

フェラーリの「ヘイロー(Halo)」装着車両

 一方、レッドブルで試されたエアロスクリーンは透明の大型ウィンドシールドで、飛んできた障害物などからドライバーの頭を守るもの。これは、FIAの研究機関であるFIA インスティテュートが2011年に実験したものをベースにしている。

 2011年当時の実験では、透明で強度が高くヘルメットのシールドや航空機の透明部分などに利用するポリカーボネイト製のウィンドシールドだった。これに約20kgのタイヤ+ホイールを225km/hの速度で衝突させたところ、シールドは割れてしまったが、なんとかドライバーの頭を守ったという結果だった。

 この実験ではさらにF16ジェット戦闘機のキャノピー(操縦席の透明風防)もテストされ、ドライバー保護という点では有効性が認められた。半面、完全に閉ざされたコクピットになることによる居住性、脱出/救出性、飛散物をさらに跳ね上げてしまうことによる2次災害への懸念、屋根のないオープンコクピットであるというフォーミュラの成り立ちというところへの影響が考えられていた。

 このFIA インスティテュートの実験映像は、インターネット上で簡単に見つけることができる。

FIA インスティテュートによる2011年の実験映像

 今回のレッドブルチームのエアロスクリーンは内部にフレームとなる構造がついていて、2011年に実験したウィンドシールドよりも強固なものになっている。レッドブルチームが衝突実験映像を公開しており、そのドライバー保護性能の高さも示している。

レッドブルチームによるエアロスクリーンの実験映像

 エアロスクリーンは、小型の飛散物からもドライバーを保護できる利点があることがこの映像からも分かるが、雨水やオイルなどの汚れによる視界への影響を懸念する声もある。

 ドライバーたちからも、必要性の有無といった根本的なことから、視界や保護性能についての具体的な意見も多数出てきた。しかし、今回はこうして最初に実証実験でできたことや、2015年のインディカーや2009年のFIA F2での飛散したタイヤの直撃を受けたことによるドライバーの死亡事故、2009年ハンガリーGPでフェリペ・マッサが前車から脱落したスプリングで頭部に重傷を負ったという記憶があったぶん、無知による的外れな意見は少なかった。これは2003年のF1へのHANS(Head and Neck Support、頭と首の保護装置)導入のときと比べたら大きな進歩だった。

 HANSは1996年から1998年に、HANSの発明者でHANSメーカーの代表であるボブ・ハバード教授(ミシガン州立大学)とFIA(後のFIA インスティテュート)、ダイムラー・クライスラー(現メルセデス・ベンツ)、マクラーレンの共同研究で開発が促進した。

当時のHANSの実験映像の一部(前方衝突時のHANSなしとHANS装着での比較)
HANS

 HANSの開発は2000年の段階でほぼ完成の域に達し、2001年にはCARTとIRLのインディカーが導入。F1は、チームが独自製造することに対応すべく強度安全検査基準を策定するために2003年導入となった。しかし、HANS導入が話題になった当初は、ひどい誤解と嫌われようだった。例えば、HANSは飛行機の中で眠るときに使う空気枕のようなものという報道もあった。情報は公開されていたのに、想像と誤解によるウソが書かれてしまっていた。あるいは、ドライバーの多くがその性能に懐疑的で、頭が動かなくなるのではないか? という不安と誤解から否定的な声が多かった。

 それらに対して、マックス・モズレーFIA会長(当時)は「シートベルトもかつては否定的な反応をされたが、今では競技でも公道でも当たり前に装着するようになっている」として、HANSを導入してそのよさが分かれば広まるはずとしていた。結果は見てのとおり。F1では導入直後にクラッシュを経験したドライバーたちからHANSへの批判や疑いの声が消えた。そして、今では多くの自動車競技でHANSが普及している。しかも、普及によってHANS量産技術も向上し、価格も大幅に下がり、バリエーションも増えている。

 安全技術の向上は、このHANSのときのように無知や誤解や先入観、あるいは変化に対して反発するという人間の心理などによって、本来の意義や性能をきちんと考えられずにただ否定的な反応をされてしまいがちだ。あるいは、1996年のドライバーの頭の後ろと両脇に大型ヘッドレストを導入したときにも、「見苦しい」といった美意識による批判もあった。だが、この大型ヘッドレストは、今ではF1だけでなく多くのフォーミュラで普通に採用され、ごく当たり前のものとなっている。新しいものが出てきたときには、かならず否定的な声が出てくるものだ。

 1996年から2000年まで、ハバード博士や現在のFIAインスティテュートの技術メンバーたちとSAE(アメリカに本部を持つ国際的な自動車技術者学会)のモータースポーツ技術学会で一緒になり、その研究発表を聞き、学会前後のオフの時間もともに語り合えた。こうした安全開発にかかわる人たちから、才能と希望に満ちた仲間を事故で失いたくないという開発への強い想いも聞いていた。HANSをあと1年早く導入していたら、CARTでのゴンサロ・ロドリゲスらもっと多くの命を救えたはずだったと、泣きながら自分を責める技術者もいたほどだった。こうした研究者や技術者たちの安全向上と命を守ることへ想いと情熱は今も変わらない。

 高速で走行する自動車レースには危険がともなう。そのリスクをいかに軽減し、より安全で楽しいレースにできるかということはとても大事なこと。今回のヘイローやエアロスクリーンについてもまずは実験し、その効果について導入にともなう今後の課題への対応を考えることが第一だろう。半面、美意識については議論するだけムダかもしれない。なぜなら、ヘイローもエアロスクリーンもまだ初期の実験段階のもので、これから手直しが加えられて、カタチも変化するかもしれないからだ。もちろん見た目も美しく、カッコイイ方がよりよいけれども。

ドライバーの安全対策向上のマイナス

 ドライバーの保護安全向上はとてもよいことだ。とくに毎年5月になると、1994年のサンマリノGPでのルーベンス・バリチェロの重症事故、ローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナの死亡事故、モナコGPでのカール・ベンドリンガーの頭部と脳への重症事故などが多くの人々に思い出され、モータースポーツでの安全向上への意識が高まる時期となる。

 実際、FIAは1994年の一連の事故の後、安全対策を強化してきた。その一部が先に書いたヘッドレスト、HANSなどで、その延長線上に現在のヘイローやエアロスクリーンもある。このほかにも、衝突時の衝撃を和らげてドライバーを守る衝撃吸収構造、コンピュータシミュレーションでサーキットの形状と安全対策を割り出すCSAS(サーキット安全評価システム)、より安全なバリアなど、安全対策は多岐にわたって研究され、実用化されてきている。おかげで現代のF1を始めとした自動車レースは、この20年間ほどで飛躍的に安全性が高まった。しかもその安全技術の恩恵は、市販車と一般道路交通にももたらされているほどだ。

 しかし安全が向上すると、ドライバーはその安全を足がかりにもっとリスクを冒すようになる。これはレーシングドライバーに限ったことではなく、一般のドライバーも同じであり、このことは全米保険業会の事故データでも明らかだとSAEの学会で聞いた。例えば、コーナリング中の安定を向上させる電子デバイスが導入されると、その車種の事故率は下がるが、しばらくすると以前よりも事故率が高くなるというものだった。どうやら人は「安全だ」と思い、それが当たり前になるとさらにその先へ進もう、無理をしようという思いになってしまうようだ。このことは、競争心が強いレーシングドライバーではなおさらだろう。

 先に書いた一連の安全対策以前にも、1981年のCFRP(炭素繊維複合材)によるモノコック導入で、従来よりもクラッシュの時の生存性が飛躍的に向上するなどもあった。だが、安全性が向上するたびに、ドライバーはより平気でリスクを冒すようになる。

 これが白熱したバトルに向けられるならとてもよいことだ。だが、それは接近戦になっても当てない、相手にラインを残し押し出さないというフェアでスポーツマンシップがあるものであるべきだ。なぜなら、モータースポーツの本来の姿は派手なショーではなく、ルールとスポーツマンシップに則った正統なスポーツだからだ。

 しかし、現実は残念なことに安全向上が悪用されることもしばしばだった。1990年の日本GPにおけるスタート直後の1コーナーでの先頭2台による故意の接触事故もその1つ。チャンピオンがかかった1戦で、セナがアラン・プロストを弾き飛ばしたのだった。当時、ジャッキー・スチュワートやジャック・ブラバムといった元チャンピオンたちに聞いた内容を以前このコラムでも記した。ブラバムは次のようなことを述べていた。

「自分たちの時代(1970年代以前)にあんなことをやれば後続は混乱して、誰かが病院送りか、植物人間か、死ぬかだった。だからどんなに激しく争い、憎い相手でも、最低限の相手のラインを残し、相手を尊重した。カーボンファイバーとかで安全は向上したかもしれないが、現代のドライバーは互いに尊重できなくなっている。不幸である」と。

 1997年のヨーロッパGPでも、ミハエル・シューマッハとジャック・ヴィルヌーヴが当たった(シューマッハが当てたと裁定され、シューマッハは1997年シーズンから除外の処分を受けた)。それでも、セナもシューマッハもチャンピオンがかかった局面でのことで、セナの場合は前年のシケインでの接触などの遺恨もあってのことだった。それでも故意に当てる、あるいは当たることを回避しないことは容認されないけれど。

 では、現代はどうだろう? 第4戦ロシアGPでもスタート直後、最初の激しいブレーキングとなるターン2に差しかかったところ、前方集団で接触事故が起き、混乱した後続でも接触事故が起きた。幸いけが人は出なかったが、チャンピオン争いがまだ逼迫していないシーズン序盤で、スタート直後にやる必要があった行為だったのだろうか? むしろ操縦の荒さと、高度なドライビングで見るものを魅了すべきプロとしての意識の粗さを見てしまったように思えた。

 このところ、F1はこうしたドライビングによるクラッシュが多くなったように思える。クラッシュもショー的要素のうちということや、若いドライバーの元気いっぱいで血気盛んな走りを全否定するものではない。だが、クラッシュが多く、それが激しいものになってくると、競技の安全とシリーズの存続への危機感を覚えてしまう。

 先にも書いたように、安全対策は多くの人たちの努力と、思い半ばに倒れていった先人たちの犠牲によって授けてもらったもの。安全対策が向上したことで、より無茶で粗野なことができると思われたのでは残念だ。F1は世界最高峰のレースであり、そこには世界でも数少ない選ばれたドライバーたちが集い、最高の技量で戦うというのが魅力の1つだからだ。

 安全対策の研究と導入はこれからも大いに進めるべきだと思う。半面、ドライバーには最高峰のプロフェッショナルとしての自覚も求めたいところ。最低限、国際モータースポーツ競技規則とF1のスポーティングレギュレーションに書かれているドライバーが守るべきことと、フェアプレーというスポーツマンシップに則ったドライビングにならないと、F1とグランプリが長年築き上げてきた格調が下がり、人気も下がってしまいかねない。

 当てる/当てられる、押し出す/押し出されるは、けがはしなくとも繊細なマシンにダメージを受けて最終的には自分が損をすることになる。当てない、押し出さない、フェアなバトルをするということを日本のトップドライバーたちが日常的にできているということを考えれば、F1ドライバーなら同様にできるはず。より華麗でカッコいいドライビングとレースになれば、最近減少傾向のF1の入場者数と視聴者数の回復への好材料になるだろう。

 このドライビングの判断と裁定にいたるプロセスと考え方について、F1日本GPの鈴木隆史競技長/副競技長がスーパーフォーミュラの常任レースディレクターとして分かりやすく説明してくれている。F1もスーパーフォーミュラもFIAの国際モータースポーツ競技規則に則っているので、ほぼ共通の基準と判断となる。

クビアトの処遇に見たドライバー育成の難しさ

ロシアGPのスタートのようす
ダニール・クビアト

 ダニール・クビアトは、第5戦スペインGPからトロロッソに移籍となり、代わりにトロロッソのマックス・フェルスタッペンがレッドブルに乗ることが正式発表された。

 クビアトは、第4戦ロシアGPスタート直後にセバスチャン・ベッテルとの追突があった。また、第3戦中国GPでもベッテルに「魚雷」と呼ばれる強引な飛込み行為があった。こうしたいくつかの問題を受けての措置だろう。だが、セカンドチームのトロロッソへの降格で済んだのはまだよかったかもしれない。なぜなら、レッドブルには才能豊かで実績のある育成ドライバーが多数いる。最悪の場合、フェルスタッペンをレッドブルに入れて、トロロッソには他の育成ドライバーが昇格、クビアトは飼い殺しという可能性もないとはいえなかったからだ。だが、レッドブル側がそこまでしなかったのは、やはりクビアトの才能を評価している証とも言える。

 ドライバー育成をしているチームやメーカーはレッドブルだけではなく、フェラーリ、メルセデス、ルノー、ホンダといった参戦メーカーに、マクラーレン、ウィリアムズなど大部分のチームも独自のシステムを持っている。

 ドライバー育成システムは、選手の成長過程で多額の費用がかかるモータースポーツでは、優秀な才能を発掘して伸ばし、夢の実現を手助けするよいシステムである。だが、これは毎年のように新たな才能ある若手を集めて、競わせ、少しでも成績が振るわないと使い捨てにする。あるいは、才能が評価されても空席ができないと「リザーブドライバー」などという肩書きで飼い殺しにされてしまうということでもある。飼い殺しにされたあと急に出場となって、本来の優れた才能を発揮できずにF1のキャリアが厳しくなったドライバーたちをこれまでも見てきた。あるいは、常に自分の地位とシートが奪われるのではないかという恐怖感とプレッシャーに苦しんでいるドライバーたちも見てきた。プロである以上、こうしたプレッシャーに負けない強い心も必要だろう。だが、現代の膨大な費用がかかるトップクラスのレースに参戦し続けるには、やはりこのプレッシャーはとても大きいのだろう。むしろ育成枠から外れてしまったドライバーたちのほうが、WECやインディカーなどで伸び伸びやっているのを見てもそう思えてしまう。

 クビアトにしても大きなプレッシャーはあっただろう。レッドブルに昇格して、周囲からの期待とともに、その期待に添えなかったときの将来への不安があったかもしれない。もう一度トロロッソに戻るのは、キャリアの自分の強さを再構築するよいチャンスになるだろう。幸い、セカンドチームのトロロッソならプレッシャーもわずかばかり少なくなるかもしれない。しかも、今年のトロロッソはよく走るマシンなので、存分にその速さを出せて、その技に磨きをかけられるかもしれない。他方、フェルスタッペンにとっては大きなチャンスとなる。この決定が双方にとってよりよい方向に結実することを期待したい。

 ドライバー育成は諸刃の剣。そんなことも思った序盤戦だった。

健闘が光るハースF1チーム

 今年の序盤戦では、ロマン・グロジャンが開幕戦で6位、第2戦で5位、第4戦で8位と着実にポイントを稼ぎ、ハースF1チームは、新規参入チームとしては目覚しい躍進を見せている。

 ハースF1チームは英国に前進基地を置いているが、本部の所在地と国籍はアメリカのチーム。アメリカのチームのF1参戦は、1986年のカール・ハースが率いたベアトリス・ローラのチーム・ハース以来。くしくも、今回のハースF1を率いるのもジーン・ハースという人物。ただし、苗字が同じでもカール・ハースとジーン・ハースは家族でも親戚でもない。興味深いことに、カール・ハースはインディカーのニューマン・ハース・レーシングのオーナーだったが、ジーン・ハースもまたアメリカでNASCARのチームも持っている。

 F1ファンの皆さんのなかには、アメリカのF1チームと聞くと「大したことない」と思うかたもいるかと思う。確かに2010年のUSF1の参戦失敗や、過去のベアトリス・ローラやペンスキーやダン・ガーニーのAAR(アングロアメリカンレーサーズ)など、アメリカのチームはF1で王座を獲ったことがなかった。また、スチュワートグランプリチームがジャガーレーシング(のちのレッドブル)になったあと、アメリカのフォード本社の影響がより強くなったことでチームが衰退したこともあった。

 アメリカのレース界の技術でF1ができるわけがないと思うかたがいるかもしれない。ハースF1の元になっているハースレーシングも参戦するNASCARは、OHVのV8エンジン、鋼鉄パイプのフレーム、4速のマニュアルトランスミッションで、きわめて古いローテクのように誤解されがちだ。でも、実態は技術的制約と規制が厳しいぶん、勝つためにはわずかな差でも見つけることが重要となる。

 結果、研究開発はとてもハイテクなことをやってきている。エンジンのパワー損失を減らすためにCFD(コンピュータによる流れの解析)でエンジンのなかの冷却水やオイルの流れを改善したり、フレーム強度の剛性の理想化にスーパーコンピューターを早くから利用したりと、まだF1ではそんなツールも十分に使っていないかった時代に、アメリカではこうしたハイテクをレースの開発で実用化していた。この激しい戦いと先鋭化した技術競争の需要に応えるように、NASCARチームが集まるノースカロライナ州シャーロットの周辺には、レース向けのハイテク企業や、研究施設が多数集まるようになった。おかげで、シャーロットはハイテクレース産業と人材が集まるエリアになっている。

 人材でもアメリカのSAEが30年以上前から実施している大学生による小型フォーミュラの設計開発技術を競うフォーミュラSAE(日本では学生フォーミュラなどと呼ばれる)で、実戦的な知識と経験を持った卒業生が多数レース界や産業界や研究開発施設で活躍している。

 さらに英国の前進基地にはF1の経験が豊富な現地スタッフたちがいる。そのなかには、グロジャンとともに移籍した小松礼雄チーフエンジニア兼ストラテジストもいて、序盤戦のグロジャンとチームの好成績の原動力にもなっている。

 チームの車体はイタリアのダラーラが製造しているが、ダラーラもHRTチームにマシンを供給してきたころよりもはるかに技術を上げている。それは、2012年のインディカーや2014年の日本のスーパーフォーミュラでの経験が大きく役立っている。とくに、スーパーフォーミュラでは設計段階でのデータをドライビングシミュレーターに入力し、それでドライバーに評価してもらう手法を初めて導入した。これによって設計はより高度なものに仕上がり、出来上がったマシンの完成度もより高いものになったと、ダラーラ側でスーパーフォーミュラを担当するルカ・ピニャカは一昨年に説明してくれた。ピニャカはハースF1も担当している。

 2010年に3チームがF1に新規参入してきたときには、F1の厳しい現実を突きつけられてばかりだった。それ以前も新規参入チームが苦戦することを多く見てきた。それだけに、アメリカ国籍の新規チームのハースF1がここまでやり、またさらに成績を伸ばしそうなのは心地よい驚きであり、F1の人気を伸ばす鍵になるかもしれない。

マクラーレン・ホンダもさらに前進

 前回、マクラーレン・ホンダは「ゲイン」があったところを見せていると書いた。それは、第2戦バーレーンGPでのストフェル・バンドーンのデビュー戦入賞でも実証できた。さらに第4戦ロシアGPではアロンソが6位、ジェンソン・バトンが10位と今季初のダブル入賞となった。上位勢のフェラーリが1台、マクラーレン・ホンダと近い中段グループからも2台が途中で消えたことを考えれば、完全に手放しでは喜べないかもしれない。それでも、2台がそろって入賞できたことは、昨年の今ごろと比べれば大きな進歩であり、ゲインだった。

 マクラーレン・ホンダはフリー走行でもトップ10圏にきている。さらに、今後ホンダがパワーユニットを、マクラーレンが車体をそれぞれ改良するという。ライバルも改良をしてくることを考えると、さらなる大躍進にはならないかもしれない。それでも、着実に技術は前に進むだろう。

 これまでホンダはパワーユニットの中のターボエンジンでも苦労していたようだったが、今年のマクラーレン・ホンダで進歩があったほか、全日本スーパーフォーミュラ選手権の開幕戦では、ホンダエンジンを搭載するチーム無限の山本尚貴がポール・トゥ・フィニッシュで圧勝した。その大差で逃げ切る勝ちかたは、F1のメルセデス勢と同様だった。このスーパーフォーミュラでは2014年のターボエンジン導入当初、ホンダはトヨタに大敗していた。だが、3シーズン目となる今年、やっとホンダはトヨタと互角かやや上回るくらいまでになった。

 これは開発に携わる技術者たちの努力の結晶だった。開幕戦で勝利したホンダの技術者たちを笑顔と握手で祝復したのはトヨタの技術者たちだった。極めて高度な燃焼技術を求める現代のターボエンジンは開発がとても難しい。それを知っているからこそ、互いに競い、互いに認め合い、互いに祝福しあえる。技術開発という知恵のスポーツでもあるところもモータースポーツの魅力だ。そのなかで、苦しみながらも少しずつ進歩を見せるホンダ技術者たちのF1での今後のさらなる挑戦も見逃せない。

盛りだくさんな5月

ストフェル・バンドーン選手は2016年のスーパーフォーミュラ開幕戦で3位に入賞した

 本当はまだいっぱいF1のことを書きたかったが、あまりにも長くなってしまったので、2017年の規定など今回ここに書けなかったことはまた次回以降により詳しいことが決まったら、ということにさせていただく。

 さて、5月はモータースポーツがとても盛りだくさんな月となる。F1はスペインGPとモナコGPが開催される。トラックで移動できるヨーロッパに戻ることで、遠距離移動の序盤4戦で見えてきた改善点を盛り込んだアップデートがいろいろ出てきて、また勢力図に動きが出そうだ。F1にはGP2も併催され、日本人ドライバーでマクラーレン・ホンダの開発ドライバーでもある松下信治が参戦する。

 モナコGPの週末には、岡山国際サーキットで全日本スーパーフォーミュラ選手権第2戦と全日本F3選手権第5・6戦が開催され、アメリカでは第100回のインディ500も開催される。この週末はフォーミュラレースが好きな人にとっては昼間、夜、深夜にレースがあり、「うれしい睡眠不足地獄」となるはず。

 スーパーフォーミュラでは、開幕戦でのホンダエンジン勢の強さが本物なのかどうかが試される。F1が好きな皆さんにとっては、開幕戦の鈴鹿で3位になったバンドーンの走りも見どころの1つ。バンドーンは、バーレーンGPに向かった3月31日の合同テストで岡山をスーパーフォーミュラマシンで走っており、コースも知っている。

 レース盛りだくさんな5月。皐月晴れのように、御覧になる皆さんにとって楽しく心地よいレースになればと思う。

小倉茂徳