日下部保雄の悠悠閑閑
スウェーデンつながりでラリーよもやま話
2018年3月19日 00:00
2017年の日本カー・オブ・ザ・イヤーでイヤーカーを獲得したボルボ「XC60」を改めて借り出してみた。今週は「T5」、続いてPHEVの「T8」をお借りする予定である。
改めてハンドルを握るXC60は相変わらず乗りやすい。新しいプラットフォームは重心位置が低く、エンジン横置き前提で4気筒以外は搭載しないと割り切ったことでサブフレーム間を狭くすることができ、ハンドルの切れ角も大きくなったため、サイズの割には小回りが利く。上下動も制振がよく効き、遮音も優れているので、素晴らしく快適だ。SUVなのでヒップポイントも高く、視認性もよい。ただ、昨今の安全対応となる太いピラーのおかげで、どうしても死角も出てしまう。また、EPS(電動パワーステアリング)はもう少し滑らかさが欲しいと思ったが、北欧の家具のように癒されるインテリアとシンプルな大画面のディスプレイ(ポンコツの頭脳では操作がすぐにできるまで少し慣れが必要だったけど)など、いずれにしても快適なクルマだ。
ボルボ XC60の話はまたPHEVに乗った後にもツラツラ書いていきたいと思うが、今日はスウェーデンつながりで、スウェーデンの名ラリードライバー、ビョルン・ワルデガルドをふと思い出したので触れてみたいと思った。いや、白い131アバルトのミニチュアを見るともなく眺めているうちに、ワルデガルドのネーミングが目に入ったのでツラツラと当時に思いを馳せてみたくなったのだ。
スウェーデンのラリードライバーではトヨタのラリー活動を黎明期から支え、チームトヨタヨーロッパ(TTE)で多くのチャンピオンを輩出したオベ・アンダーソンがいるが、ワルデガルドもまさにLegendの1人だ。ワルデガルドが活躍していた時代は1960年代~1990年代にかけて約30年にわたり第一線にとどまり、WRCになってから16回の優勝を勝ち取っている。コ・ドライバーは長年、髭のハンス・ソルツェリウスが務めていたが、彼の引退後はフレッド・ギャラガーが相棒だった。
地元のスノーラリー、スウェディッシュで優勝して頭角を現わし、その後モンテカルロやサファリ、RACなどで活躍。ワークスチームのフィアット131アバルトやフォード エスコート 1800RS、ランチア ストラトス、メルセデス・ベンツ SLCなどのグループ4時代、セリカ TCターボのグループB時代、スープラ、セリカ GT-FourなどのグループA時代を通じてとにかく手堅く強い。特にサファリでは4度の優勝を飾るアフリカマイスターでもあったことはよく知られている。
北欧人らしく大柄で、オデコの張った独特の風貌は粘り強そうで、その円熟したキャリアの後半ではアフリカで際立った強さを示していた。しかし、私がワルデガルドの名を知ったのは1970年代にモンテカルロやサンレモのようなヨーロッパタイプのラリーで隙のない速さを見せていた時代である。特にストラトスでのチームメイト、S・ムナーリとの確執は強く記憶に残っている。
写真のミニチュアは1980年のモンテカルロでの131アバルトで、ワルデガルド車はよく知られたOLIO FIATカラーではなく、モンテカルロ用にスウェーデンのナショナルカラーを纏っている。この年、まだモンテカルロに勝利していないフィアットは5台のワークスカーとサテライトチームにキラ星のごとくクルーを繰り出し、必勝態勢を敷いていた。ラリーではチームメイト、M・アレンがトップからリタイアした後はW・ロールが後を継いで優勝し、フィアットは念願を叶えた。ワルデガルドは、B・ダルニッシュのストラトスに次いで3位となっている。ついでにサテライトチームのフィアット・フランスからエントリーした職人、J-C.アンドリュー/“ビッシュ”(結構ファンだった)のミニチュアもあり、残念ながらクラッシュで後れを取ってしまった。
ま、30年近く前の話のよもやま話である。