日下部保雄の悠悠閑閑
萱場「カ号観測機」
2018年5月7日 06:00
実は飛行機が好きである。特に俄然興味を惹かれるのは1945年までの航空機。コレクションも多数あり、家人の破壊工作を阻止するのにいつも神経を使っている。
そんな中で、今回紹介するのはオートジャイロ。まったくマイナーな機体で、ほとんど知られていない。
第二次世界大戦では前線から滑走距離が短くて、簡単に離陸、着陸が可能で、偵察や連絡ができる機体が求められていた。まだヘリコプターが実用化される前のころで、高揚力機が開発され、ドイツのシュトルヒや英国のライサンダーなどが活躍した。シュトルヒは条件が合えば空中で停止することもできたという。日本でも三式指揮連絡機などが実用化されたが、もっと短距離で離陸できる機体が求められた。砲兵部隊から着弾観測をするために、滑走路のない前線から低速で浮遊できる飛行機の要求があったからだ。
そこで、すでにスペインの先駆者が開拓して、大正時代に実用化されていたオートジャイロという機種に目を付けた。オートジャイロは一見ヘリコプターに見えるがまったく違う。まずエンジンで頭上にある回転翼を回して予備回転を与え、一定の回転数に達したら、クラッチを切り替えて機体前端に付いているプロペラを回す。すると、機体は前進すると同時にその風力によって頭上の回転翼も回って浮上する。つまり低速でゆったりと飛行できるという寸法だ。ヘリコプターはエンジンで回転翼とテールローターを駆動し、ピッチを変えることでホバリングなどの自在の飛行ができるが、オートジャイロとは発想が異なる。
想像のとおり、オートジャイロはスピードは出ないし、重量物も載せられない。何しろ空中散歩したいという発想から開発されたものだから当然である。この原理的に難しそうな開発に手を挙げたのが、発明精神旺盛な萱場資郎率いる萱場製作所、現在の油圧機器大手のKYBである。太平洋戦争前夜のことだ。
萱場製作所は陸軍技術本部が研究用として輸入し、その後大破して放置されていたアメリカ ケレット社の機体を復元。見よう見まねで何とかモノにしたのが昭和19年に入ってからで、回転翼の“カ”をとって萱場「カ号観測機」という正式名称を付けられた。写真を見るとまるでナマコが飛んでいるようだ。
しかし、すでに当初の構想のような、大陸で砲兵部隊が活動するような場面はなくなっていた。低速だし、高機動もできそうにないので、敵戦闘機に見つかればイチコロだ。戦争末期にオートジャイロの低速を活かせるチャンスは、敵戦闘機がばっこしない海域での対潜攻撃しかなかった。ゆっくり飛んで潜っている潜水艦に狙いを定めて爆雷を投下するという任務だ。が、成果はあまり上がらなかったようだ。
戦後、オートジャイロはヘリコプターにとって代わられその役目を終えた。記録によると250PSの空冷倒立V8エンジンを搭載し、最高速度は165㎞/h、巡航速度120㎞/hはのんびりと飛行するにはもってこいだが、そんな空中散歩の道具も兵器として使われたのが昭和の一時期だった。
飛行機はまた取り上げます。