日下部保雄の悠悠閑閑
DAD'S CIRCUIT MEETINGとベレット 1600GTR
2018年9月24日 00:00
岡山県倉敷の友人で後輩でもある日下総一郎君がいすゞ自動車「ベレット GT」のレース仕様を持っている。
その日下君から今年も旧車レースへのお誘いがあった。レースのコンセプトは1960年代に活躍したクルマをレストアして、レースを楽しもうというものだ。最近は社会の高齢化に伴ってクルマも高齢化しており、1970年代の車両の参加もOKにしているようだが、あくまでコンセプトは1960年代だ。
ベレットは自動車御三家と言われたいすゞから1963年に発売された乗用車で、当時、注目を集めた。自動車はその時代の先端技術が盛り込まれているが、ベレットもその例にたがわず、リアのスイングアームなどの独創的な技術を織り込んで、愛好者も多かった。特に1963年に公開されたベレット GTは人気で、クーペの代表であり、ベレットの総生産台数の1割を占めているほどだ。
自分の最初の普通車もベレット 1600GTだった。何しろ日本で最初にGTを名乗ったクルマである。その開発にかける志は高く、また、先輩がいすゞスポーツカークラブに在籍していた関係もあって迷わずベレットを選んだ。
型番PR90から始まったベレット 1600GTは、マイナーチェンジしてPR91になるとヘッドライトが丸型2灯になり、エンジンもOHVながらメインベアリングが3個から5個になって振動が低減している。ボクが乗っていたのはこのPR91であり、奇しくも日下君がGTR用DOHC 1.6リッターエンジンを搭載したのも、このPR91をベースにしたものだ。
ベレット 1600GTRは鈴鹿12時間耐久レースで優勝デビューしたベレット GTXをベースに市販化したもので、丸目4灯と代表色でもあるオレンジに黒のストライプがマニアの心を捉えたものだった。こちらの型番はPR91Wである。
いすゞは英国車ヒルマンのノックダウンで乗用車技術の吸収をしてきたメーカーだけに、英国車の伝統を随所に引き継いでいた。カチリと節度あるシフトフィールを持つ直立した短いシフトレバーやドライビングポジション、正統派のセンターコンソール配置は今でも印象に残る。
ただ、ベレットはフロントにダブルウイッシュボーン、リアにスイングアームというユニークなサスペンションレイアウトのため、激しいコーナリングをすると横転する危険も持ち合わせていた。リアサスペンションが踏ん張るときはネガティブキャンバーになるのだが、最後にジャッキアップ現象を起こしてコロンと行くのだ。そのことを胸に刻んでレースやラリーに臨んだが、限界点の最後の最後の肌感覚はヒヤーっとするスリリングなものだった。
PR91改のレース仕様は、フロント、リアともに派手なネガティブキャンバーが付けられており、限界点は相変わらずつかみにくいが、はるかにレーシングカーらしい動きをする。ソレックス ツインのエンジンも好調で、回す気になると7500rpmぐらいまでグングン引っ張れる。
チューニングを担当したのはやはり倉敷にある「チェック」というガレージ。旧車のレーシングカーを作るのはなかなかの手練れで、旧車にありがちな部品の不足などは一品生産で作ってしまうし、また、現用品の置き換えなども器用にこなす技術の持ち主だ。
現在のコンピュータに囲まれた世界とは無縁だが、チェックのガレージに行くと職人が持っていた特有の雰囲気を感じことができ、ホッとする。
さて、PR91改ベレットの5速のシフトパターンは変則的である。昔のラリー屋さんなら誰でも知っているルート6の4速ギヤを使っているのだ。通常なら5速の位置に4速ギヤを入れており、ギヤのつながりをよくしている。パターンとしては1-2-3-5-4となる。ご推察の通り、こんがらがるとどこに入っているのか分からなくなる。そして、この4速目は結構使うのだ。リズムに乗ればなんということはないが、力が入ったり、5速の位置から3速へのシフトダウンは要注意だ。
このPR91改で60分耐久レースを日下君と組む予定でのこのこやってきたのだが、急遽スプリントも任されることになった。
レースは岡山のローカルサーキット、中山サーキット。メインストレートは若干の上り勾配がある。久しぶりのFR車のスタンディングスタートで、しかもキャブ車。キャブ車はバカっと踏んでしまうと燃料が出すぎてストールしがち……。いろいろと作戦を考えていたが、すべて台無しになってしまった。というのも、シグナルが赤から消灯する直前にクラッチミートを失敗してエンストしてしまったのだ。あれあれと思ってイグニッションを押しても、こんな時に限って再始動しない。やっとエンジンがかかった時はトップはすでに半周先。強敵ぞろいの上、わずか10周のスプリントではどうにもならず……。とうとうトップの姿は見えないまま4位でフィニッシュしてしまった。普通にやっていればよかったと大反省。
さて、60分耐久レースでは、スタートは日下君、途中を私が引き取り、また日下君に手渡すことになっていた。雨上がりの翌日となるこの日の気温は蒸し暑く、人もクルマもいい加減年なので結構しんどい。旧ルマン式のスタートで久しぶりに全力疾走した。コケるんじゃないかとか、遅すぎて轢かれるんじゃないかという危惧とは裏腹に、結構ソツなくこなす。スタート直後数ラップしてから引き取る。集中しているときは変則シフトパターンも気にならないものだ。
それにしても暑い。三角窓(知ってる人は知っている)から入るわずかな風が気持ちいい。そろそろトップに立っているころと思ってピットを見ると、日下君がピットインのサイン。30分ほど乗ったところなのでちょっと早いかなと思ったが、そのままピットに直行すると、日下君はキョトンとしている。もっと行けとのジェスチャーだったとか。万事休すでそのままドライバー交代。その後、日下君はレース準備の疲れもあって半分熱中症状態になりつつも、何とか完走した。まずは無事でよかった、よかった。
ピット風景は1960年代そのものだ。ファシリティもクルマも、もっと言えば当時のレースシーンに憧れて集まったドライバーたちもである。DAD'S CIRCUIT MEETINGも少しずつ新陳代謝が行なわれているが、このほのぼのとした雰囲気はなかなか得難いもの。もっと多くの人に味わってほしいと思う。
風邪に悩まされながらの休日の1日でした。