日下部保雄の悠悠閑閑

Legend of THE RALLY 2018

Legend of THE RALLY 2018のスタート前記念写真。多くのクルーが集まった

 日本のラリーの黎明期に活躍したラリー車とクルーが参加して年1回開催される「Legend of THE RALLY」。最初の開催は2012年で、途中1年の間をおいて2018年で6回目、そして最後の年となってしまった。オーガナイザーは現役、OB問わずナビゲーターが中心となって、コース作りからチェックポイントの設定などを行ない、そのクオリティはさすがというほかはない。

 コースは当時のラリーコースをトレースし、計時方式も秒チェックのタイムラリー。現代のSS(スペシャルステージ)だけで成立するラリーの原型だ。

 タイムラリーはオフィシャルが提示する指示速度で正確に走れるかという競技で計算主体だが、いくつかのチェックポイントの指示速度は到底、その速度では走れないハイアベレージ区間が設定されていた。それがSSの原型である。ナビゲーターの計算能力とドライバーのテクニック、そしてクルマのすべてがバランスしないと上位に行けないのが当時のラリーだったのだ。

 ラリーコースはすべてがダートで、いわゆるリエゾンだけが舗装路という時代。クルマは1.6リッタークラスのFR車が主流だったので、下りはともかく、上りでは今では低い指示速度に見えてもアベレージに乗せるのが大変で、それこそ全開だった。

 日程は土曜日の夜にスタートして朝にはフィニッシュするナイトラリーがスタンダード。3日間にわたるラリーはかなりのビッグイベントだった。いずれも主戦場は山の中のダートコースである。

 Legend of THE RALLYのコースは当時のラリーのメインルートだったコースを辿るという設定だが、その当時のダートはすべてが舗装され、はるかに走りやすくなっている。さらにアベレージも低く抑えられており、走るのは昼間だけだ。また、行楽客のじゃまをしないように、土日は避けて3日間で開催される。当時のラリー車で当時のドライバーが集まる同窓会のようなものだ。

 ラリー車のクラスは1971年以前に製造された「Legendクラス」、1972年~1979年に製造された「Historicクラス」、そして1997年以前に生産された「Old&devicesクラス」の3クラス。このほかドライバー、ナビゲーターの年齢でも順位が付けられる。

 ラリー機器としてはラリーコンピューターを使うことはできず、電子式のトリップメーターも禁止される。計算尺を円盤にしたラリーメイトや手動計算機のクルタ、スウェーデンのHALDA トリップメーターがナビゲーターの主な武器だった。電子式トリップを使った場合は車両の年式を問わずOld&devicesクラスに編入されることになる。

 参加クルーも60歳代は当たり前で70歳代も珍しくない。みんな意気盛んである。つまり40年前のラリーが現在に復活したというわけだが、さすがにハイスピードラリーにはクルマもクルーも追いつかないので、SSのないタイムラリーは最適のセッティングだ。

 とにかくラリー車やクルーを眺めているだけでも楽しい。

 Legend of THE RALLYではこれまで、関東圏の主だったラリーコースをほとんど網羅してきた。それぞれ舗装路とはいえ、コースマップにどこか面影を見つけては懐かしがっていたものだ。

Legend of THE RALLYを走る「ダイハツ・シャルマン」

 2018年はLegend of THE RALLYの最終年で、Day1はかつての日本アルペンラリーの舞台となった乗鞍高原を背景に、安房峠、女工哀史で有名な野麦峠、長峰峠、地蔵峠と走り、合計11か所のCP(チェックポイント)が設けられていた。わが「ダイハツ・シャルマン」のDay1の成績は17秒だったので約1.5秒/CP。ほぼ目標に近く、円盤を使ったチームの中ではまずまずだ。さすが長いコンビのナビ、田口次郎である。

ナビゲーション役の田口次郎とは長いコンビを組む

 最終チェックを終了後、オーガナイザーの粋な計らいで、中山道の宿場町の町並みを再興した奈良井宿にもラリー車で入ることができ、美しい町並みに感激した。

オーガナイザーの計らいで、美しい町並みの奈良井宿にラリー車で入ることができた

 Day2はヘッドクォーターのある安曇野から東に向けてスタートし、美ヶ原高原、和田峠を通り、毎年ドライビングスクールを行なう女神湖まで行き、また戻ってくるというルート。日本でも有数の景色の素晴らしい美ヶ原スカイラインは圧巻だ。雄大な景色を堪能し、安曇野に戻るルートのDay2にも11か所のCPが設定されていた。

 すべてのチェックを順調に進んでいると信じて、フィニッシュに向かうフリー走行区間で正解表を照らし合わせていたナビゲーターが、急に黙って機嫌がわるくなった。嫌な予感……。優しく「どうだった?」と聞いたつもりだが、声にとげがあったのかもしれない。治りきらない風邪のせいばかりではなさそうだ。

 こういう時の予感は大抵当たる。謎の大量減点が2か所もあり、あっという間に下位に沈んでしまったことは言うまでもない。安曇野までの車内の空気の重かったこと、重かったこと……。

 結果は自滅してしまったのでHistoricクラスの9位。不本意だがそれはそれ。昔のラリー仲間と昔のように同じ時間を同じ目的のために走ったことは、何物にも代えがたい貴重な時間だった。

 参加したクルーと車両では、2019年に再びアフリカに挑戦する篠塚健次郎選手が三菱ファクトリーとしてラリーデビューした時の「コルト1100F」で宮地ナビと参加したし、天才 綾部実津雄選手はTE27型「スプリンター トレノ」で登場。「フェアレディZ」の横山文一選手も繊細なドライビングテクニックが健在で懐かしい。この他、当時の大勢の仲間とクルマで再び集まれたことは何よりも嬉しい。

Legendクラスに参加した篠塚健次郎選手

 さて、ボクのクルマも少し紹介しておこう。ダイハツ・シャルマンは1975年~1977年までリッターカーの「シャレード」にスイッチするまで乗っていたFRのラリー車。「トヨタ・カローラ」のダイハツ版だが、4ドアで重量配分がよく、軽量化したので、結構ドライブしやすかった。この時のライバルはTE27型「レビン/トレノ」で、ツインカム+ソレックスキャブの「2T-G」型エンジンとはパワーでは勝負にならなかったが(こちらは改造車検で1.6リッターになっていたとはいえ、OHVのストロンバーグキャブだった)、とにかく無我夢中で走って、何回か優勝することができた懐かしいクルマだ。

 Legend of THE RALLYのために作ったのは当時のクルマそのものではないが、1976年式のシャルマンを見つけてきて、同じように改造車検を取り、ラリー車にしたものだ。カラーリングも当時のものだが、何しろ派手なのでどこにいてもすぐに分かる。先日もエンコしていたのを目ざとく発見されてしまった。

タイヤは横浜ゴムがヒストリックカー向けに復刻した「ADVAN HF TypeD」。ハイグリップでパワステなしのシャルマンには、とってもハンドルが重かった

 今後のラリー・シャルマンの使い方はおいおい考えていきたいと思うが、またLegend of THE RALLYが再開するまで温存できればいいなぁ~。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。