日下部保雄の悠悠閑閑
東京タワー
2018年12月3日 00:00
東京に生まれ育っていながら、久しく東京タワーに上っていない。隣の機械振興会館に行くことは多かったが、いつも下から見上げるばかりだ。
最近も機械振興会館に行く機会があった。出先から事務所に戻るには中途半端な時間で、開場までは約1時間以上あった。そうだ! 東京タワーに上ってみよう! 修学旅行シーズンだが、まだそれほど混んでいない時間帯である。
何も考えずに1階のチケット売り場で展望台まで上がるチケットを買ったつもりだった。2800円と結構な価格だ。確か以前はもっと安かったような……。エレベータに乗ろうとすると、このチケットはそこじゃないと言われた。実は購入したチケットは最上階のトップデッキに行くためのツアーチケットだったのだ。
もとよりそこに行くつもりだったので、手間が省けたと切り替える。まずエレベータに乗る前にスマホを渡され、以前は大展望台と言っていた地上125mにあるメインデッキに上がる。そこからさらにエレベータを乗り換えて以前の特別展望台、トップデッキに向かう。
このトップデッキ行きのエレベータに乗る前に、東京タワーのゆえんなどツアーならではのレクチャーがあった。外国からの観光客と3人だけだったが、かえって説明はありがたい。ツアー用の小部屋で説明を受けたところによると、大阪の新聞王 前田久吉氏が数々の塔を作り上げた実績のある内藤多仲氏に設計を依頼し、工期1年半で1958年に完成したとのことだ。333mの電波塔である。東京オリンピックの開催が1964年だから、その6年前に完成していたので当時の観光客も東京タワーを眺めていたわけだ。
もともと乱立の様相を呈していた電波塔を1つにまとめて遠方まで電波を届けるという構想があったところ、放送事業の将来性に着目した前田氏らの案に統一されたという経緯があったらしい。
内藤氏と前田氏の間でどんな会話がされたのか知る由もないが、日本が世界に誇れる、日本の象徴になるような鉄塔を立てようという志があったに違いない。正式名称は日本電波塔で、TV放送の普及を見越して高い鉄塔が必要とされた時代である。
電波塔としての役割は現在は東京スカイツリーに譲っており、東京タワーは補助的な役割を担っているが、やはり東京タワーには独特の威容がある。
子供の頃は周囲に高いビルがなかったため、東京タワーは一段とそびえ立っていたが、最近は高いビル群に囲まれて、かつてのような孤高の存在ではない。しかし、昔から見てきた東京タワーはやはり東京のシンボルだし、ビルの間から見えた時も、郷愁を感じると同時に元気をもらえるような気がする。
さて、いよいよトップデッキに向かうエレベータに乗り込む。意外というほど小さなエレベータだった。途中、アナウンスで揺れるところがあると言われたが、実際に中ほどでガタンと一瞬揺れた。ロープの揺れ止めの為だと聞いた。何しろ地上223mに位置するトップデッキに行く途中なので、高所恐怖症の人にとってはギョッとするポイントかもしれない。
トップデッキからは東西南北に視界が開ける絶景が広がる。ここで初めてスマホの意味が分かった。例えば東を向いてスマホを操作すると、その方向の案内が流れるのだ。こんなことになっていたとは。東西南北どこにでも向かって、その方向にある風景の説明がイヤホンを通じて流れてくるので飽きない。
残念だったのはトップデッキの外装が整備中で、金網がかけられていたこと。外観からもトップデッキで何かやっているなと思っていたが、実際に上がってみると網の中からだとクリアな景観というわけにはいかなかった。しかし、223mから見る東京の景色が素晴らしいのは変わらず、見ていて飽きない。
例えば増上寺の広大な敷地と几帳面な方形、そして大門に続く参道などの景観を俯瞰してみると、江戸時代は庶民の憩いの場だったんだろうと想像できるし、いつも通っている首都高速2号線と環状線の交差も幾何学的で美しい。普段は高い塀に隠れているロシア大使館も静かな佇まいを見せてくれる。
2011年の東日本大震災で東京タワーのアンテナが曲がってしまったのを見てショックを受けたこともあったが、60年を迎えた昭和を象徴する東京タワー。平成を越えて次の時代も変わらない、美しい姿を見せてくれるに違いない。また来ようっと。