日下部保雄の悠悠閑閑

わが家の年末とお正月

毎年恒例の餅つきを手伝ってきた

 いつの間にか平成30年も終わり、新しい年がやってきた。皆さん、お正月休みはいかがお過ごしでしたか?

 人によって休みは違うけど、12月28日~1月6日までの長い休みの人が多かったのではないだろうか? 平成31年から新しい元号に変わる4月から5月にかけては10連休になるらしいし、2019年は長期休みの多い年になりそうだ。

 私の年末とお正月はといえば、クリスマス前に親戚が毎年行なっている餅つきをペッタンペッタンと手伝ってきた。わが家にとっては餅つきがお正月への緩いアプローチである。

 親戚の餅つきはバーナーを使った特製蒸し器を使うところから始まり、蒸しあがったもち米を臼に入れて杵でこね、掛け声とともに餅つきが始まる。自分としては今回はいつもより多めについたつもりだが、家族は心配そうに「もうやめたら」とか声をかけてくる。しかし臼の端を打つこともなく、順調に餅つきは進んだ。どうだ! っていうほどのことは無論なく、主に餅つきを担当したのは若手。親戚一同総動員の作業だった。

30kgほどのもち米を臼と杵でこねるところから始まる

 とはいえ、30kgからのもち米をつくのはなかなか大変な作業で腰にくる。自分も定番どおり、翌日から腰骨の原因不明(原因は分かっているのだが、認めたくない)の痛みに閉口したのは言うまでもない。しかし餅に罪はない。大量のつきたての餅は年末からお正月にかけてわが家の食卓を賑わした。

 さて、28日は仕事納めで大掃除。各員役割分担がシッカリしており、テキパキと進む。自分は掃除機と雑巾の攻勢に遭いながらも、PCと格闘しつつ大掃除の修羅場をくぐり抜け、まんまとこの日は早めに切り上げることができた。

 翌日からわが家の大掃除をのんびりと始めたが、ここでも無理な姿勢を取りながら天井に付いた汚れをゴリゴリ擦っていたので、持病の腰痛がじりじりと頭をもたげてくる。それを口実にゆっくりと、できるだけゆっくりと掃除を進めていた(そのために大掃除は年を越しても続いた)ので、メリハリはないが比較的ノンビリした年末だった。

 大晦日、もちろん紅白を観ました。ユーミンで感激し、サザンで悶絶。特にサザンはパーカッションのケガニさんが主宰するレーシングチームでグループAのハンドルを握り、2年間全国を転戦したことがあったので感慨もひとしおだ。TVで見る変わらないケガニさんにフォーカスされると、BMWのステアリングとゲトラグのトランスミッションが思い出される。

 明けてお正月は初詣。近くの神社を巡ってお参りをするのが毎年恒例の行事である。氏神様の奥沢神社は、大蛇お練り行事で毎年楽しませてもらっている。都の無形文化財になっており、鳥居に藁で作られた大蛇が絡まったユニークなアイコンですぐに分かる。

 江戸中期にこの地域に疫病が蔓延した際、名主の夢枕に出た「藁で作った大蛇で村を練り歩け」とのお告げに従ってその通りにしたところ、疫病が収まったとされ、氏子たちの信仰が深まったとされる。

 奥沢神社は雨ごいの行事も行なっていた記録が残っており、当時はお隣の神奈川まで、水を求めて氏子が走ったといわれる。

 年に1回の大蛇お練り行事では不思議と雨が降るのも頷ける。ちなみに大蛇が練り歩いた後に落ちた藁を祀っておくと厄除けになるとされ、わが家にも藁が祀られている。

 奥沢神社ではお神楽があり、町の有志が伝承している。年末から「お正月が来るぞー」と盛り上げるように練習の笛の音や鉦の音が響いていた。

奥沢神社ではお神楽を見ることができた

 初詣に神社をぐるりと回る人の列に並び、やっとたどり着いた神殿の横で、そのお神楽を見るとお正月気分が盛り上がり、そして新しい年へのリセットを感じる。古いお札を収めたり、新しいお札をいただいたりするとなおさらだ。

 そして、さらに自由が丘の熊野神社に参拝して2019年の初詣は終わった。

 さて、会社の仕事始めは7日からで、この日は全員で初詣をする。例年、目黒不動尊にお参りに行く。目黒不動尊は風光明媚な江戸時代のワンダーランド。当時の市街地は江戸城から東側だったから、ちょっとそこまでというわけにはいかなかったと思う。しかし、そこは健脚揃いの昔の人にとっては適度な距離感だったのかもしれない。そしてあらゆる階層の人々が参拝したのは、目黒不動尊にそれだけの魅力があったということだろう。今は商店街に囲まれているが、立派な仁王門や独鈷の滝など当時の面影を辿ることができる。

会社の初詣は目黒不動尊までお参りに行った

 長々と年末の餅つきやお正月の神社仏閣の話をしてきたが、わが家の2019年も平和のうちに明けていき「こともなし」という証拠でした。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。