日下部保雄の悠悠閑閑

トルコ至宝展

国立新美術館で開催されているトルコ至宝展に行ってきた。開催期間は5月20日まで。もし興味があればぜひ足を運んでみてほしい

 長い長いと思っていたゴールデンウィーク。皆さんどうお過ごしでしたか?

 私はと言えば元号が平成から令和に代わる中、ダラダラと日々を過ごしていました。休みに入ったらまとまって本を読もうとか、片づけをしようとかいう計画ともいえない計画も、時の流れに任せることになり、あっという間に終わってしまった連休でした。

 それでも連休最後には家族でバーベキューをやったり、公園にお弁当を持って出かけたりと、お休みらしいことができたのは幸いと言うべきでしょうね。そんなわけでドラマチックなことは起きない平和な日々を過ごしていました。うちのサスケさんも日なたぼっこを楽しんでました。

家族でバーベキューをしたり、公園に出かけたり。のんびりと楽しい時間を過ごした
日なたぼっこを楽しむサスケさん。いつもと変わらぬ平和な日々を象徴するかのうよう

 連休明けには気持ちを切り替えて、国立新美術館にトルコ至宝展を見学に行った。休館日に入れ、展示品の解説会も聞くことができたので、いつもの美術館より内容に深く接することができた。

 そもそもトルコはアジアとヨーロッパの混じりあった交易の地で、古くから繁栄していた土地。そして、多様な文化の混じりあった絢爛たる美術品を育んできた地でもある。

 日本との直接的な交流は明治期に入ってからで、明治天皇への答礼の形で送られた使節団の乗った巡洋艦エルトゥールル号が、嵐の帰路和歌山県沖で座礁して使節団の9割が遭難してしまった。地元住民の献身的な努力と日本の誠意ある対応が縁となったこと、その後も義援金を送った山田寅次郎がトルコと日本の架け橋となったことで友好は急速に進んだ。

 至宝展はイスタンブルにあるトプカプ宮殿美術館が所有する日本初公開の宝飾や美術工芸品を展示したものだ。

 残念ながらほとんどの美術館は撮影が禁止だがこの国立新美術館も同様で、華麗な収集品はパンフレットから想像してもらうしかない。

 展示品は要所要所でイヤホンから木村文乃さんのガイダンスを聞くことができる。

トルコ至宝展の概要。木村文乃さんの音声ガイドも有料で借りられる

 あまり知られていないがチューリップはトルコの国花になっており、国民のだれもがチューリップを愛している。そしてチューリップの原産国はオランダではなく、トルコであることも初めて知った。チューリップの図版はあらゆるものに反映されており、これでもかというぐらい登場する。

 トルコのチューリップはわれわれがよく目にする丸い愛らしいものとは違い、花びらがとがった形状のモノが好まれ、1輪挿しの華麗な花瓶もそれに合わせるかのように細長くなっている。チューリップの色も濃いブルーが最初で、赤はなかなか色が出せず、18世紀に入ってからできるようになったと言われている。

 チューリップはトルコ語では「lale」と呼ばれ、反対から読むとアッラーとも読むこともできるので、宗教的な意味合いも持っている。

 トプカプ宮殿は美しいタイルと絵で彩られたいくつもの部屋があったが、サルタンの住むハーレムは最盛期には1000人からの美女が集められたという。彼女たちはすべて異教徒から改宗させられた奴隷。外出は禁じられていたが、ハーレム内では比較的自由に動け、しかも働きに応じて給料も出て役職も上がるというシステムが築かれていた。

 美しいダイニングルームで、サルタンはこれらの美女たちと食事を共にしたかと言えば、残念ながらそうではない。宮廷内のもめごとを抑えるために側近を含めて男女を問わず遠ざけて、常に1人で食事をしていたという。いくらおいしいものでも味気なかっただろうと思う。

 当時のオスマントルコ軍は精強を誇り、その軍隊の行軍に奏でる行軍曲は周辺の国を震え上がらせたという。確かに勇壮な行軍曲が聞こえると戦わずに降伏してしまいそうだ。

 それはベートーベンのトルコ行進曲の原型になったとも言われており、たしかにオリジナルの行軍曲のイメージがよく出ている。

 多くの地域の展示品はどれも素晴らしく見応えがあるものばかりで、イスラムの華麗な世界の一端を知るいい機会になった。

 オスマントルコ帝国はその後第一次世界大戦で枢軸国側についたことで、敗戦国となって広大な国土を失い解体の危機に面したが、独立戦争を経て、イスラム世界初の共和国が成立した。

 今回の至宝展は日本とトルコの文化的なつながりを紹介するとともに、友好を広げようと企画されたもの。知らないことばかりで大変興味深い内容でした。

 まだ少し開催期間が残っているので、興味のある方はぜひ!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。