日下部保雄の悠悠閑閑

日本アルペンラリー

先日参加したラリーのスタート地点でのワンショット。運転席からの景色はタイムスリップしたようなクルマばかり

 その昔、日本のラリーの黎明期に日本モータリストクラブ(JMC)というラリーのオーガナイズを業務とするクラブがあり、代表的なラリーとして日本アルペンラリーを開催していた。日本のラリーの黎明期は走行時間の正確さを競うタイムラリーが主体で、スペシャルステージ(SS)はチェックポイント(CP)から高い指示速度を与えるハイアベレージ区間が相当した。当時の日本のラリーはどこを走っても未舗装が多く、その中でもとびきりの悪路が乗鞍岳だったと言われる。標高も高くて当時のキャブ車では調整が大変だったようだ。「だったようだ」というのも自分では日本アルペンラリーは2回しか参加したことがなく、そのうち1回はリタイア。もう1回はダイハツチームから参加した1975年の第17回で、事故で途中打ち切りになってしまい後味のわるい優勝者の1人となったものの、やはり噂の乗鞍には行けなかった。

 乗鞍への妄想は膨らむばかりだが、大きな石をよけつつ吹けないエンジンをだましながら急坂を上っていくラリー車を想像するだけでこちらの息が苦しくなる。日本アルペンラリーはクルーにとってもクルマにとっても耐久色が強く、3日間のイベント中、ミスや車両トラブルで順位を大きく下げたり、リタイアしたりするクルーも少なくなかった。

 その日本アルペンラリーは1959年から始まり、1976年までの18年間で開催されて激戦を繰り広げた。当時は多くのメーカー系チームが参加して覇を競ったこともあったほど、ラリーストの耳目を集めたラリーだった。

 その日本アルペンラリーの名称を冠した第1回クラシックミーティングが開催されたので、2018年のレジェンド・オブ・ザ・ラリー以来のシャルマンを引っ張り出して参加した。

昔からお付き合いのあるブリッドシートを新調したところ、その進化にびっくり。今まではトラッドなシートを使っていたのでラリーが終わると腰痛が悪化したが、悪化するどころか改善したんじゃないかと思えるほどで感慨深い。ヒドイ腰痛持ちのナビゲーターも大喜びだった

 ラリーの前日は往年の名ドライバーで、残念ながら2018年に亡くなった平林武さんのお墓参り。

 平林武さん、通称ヒラさんは1972年、1973年、1974年の日本アルペンラリー3連勝が有名だが、正確に言うと途中打ち切りになった1975年も1位だったので、4年連続優勝なのだ。しかも、それぞれ異なるナビゲーターで優勝するという前人未踏の快挙を成し遂げたことで知られ、海外ラリーではケニヤのサファリラリーにダイハツ・シャレードで参戦してクラス優勝するなど活躍した。現役を引退した後はオーガナイザーとして全日本ラリー選手権のMCSCハイランドマスターなどを開催してラリー界に貢献した人物だ。私も随分とお世話になった。

スタートポイントの安曇野スイス村の前に作られていた田んぼアート。ゆかりがあるらしく、「いだてん」がテーマだった

 さて、クラシックミーティングは安曇野のスイス村をスタートし、白骨温泉を経由して乗鞍高原の国民休暇村で休息。

 完全なタイムラリーで、ドライバーはいかに正確にナビゲーターの指示に従ってオンタイム走行できるかに集中する。トリップメーターと時計、それにナビゲーターの計算能力が正確性のカギを握る。レギュレーションで遅速を自動計算するラリーコンピューターは使えないので、手動の計算器か円盤と呼ばれる計算尺、あるいはスマホにインストールできるアプリを使う。アプリを使うのが一番正確だが、ナビゲーターの田口次郎は昔流の円盤にこだわって、まったくのアナログだが老眼で数字を読み取るのが大変そうだ。

途中のレストコントロールで再スタート待ちをしていたときに撮った運転席からの1枚。梅雨なのに天候にも恵まれて、美しい景色が広がっていた。ナビゲーター側にはHALDAのツイントリップとデジタル時計が配置される。この他にもコマ地図用のHALDAとデジタル時計がセンターに装備されている

 ところが2CP直後にとんでもないことが起こった。2個ついているデジタル時計が同時に狂ってしまい、時計が1分進んでいることに気が付かなかったのだ。突然のことに面食らったのは言うまでもない。計時は秒まで計測され、そのCPのスタート分は秒を繰り上げた00秒からスタートするので、CPスタート直後は大抵数十秒の余裕があるはずだ。ところがいきなり遅れから始まったので、CPの計測ミスかとも思いながらもわれわれだけにSSが始まった! 何とかオンタイムまで復帰したが実は2CPの計測は正確で、結果的に3CPは1分も早着してしまった。秒計時のラリーでは致命的である。ラリーが始まった直後に万事窮す。

 ラリーはこの後南下して境峠などを通り、昔の宿場町が残る奈良井宿の脇を通って北上し、8つのCPを通過してアンビエント安曇野に戻る。帰り際、豪雨に見舞われエンジンが不調になり慌てたが、どうやら雨が原因で失火してしまうようだ。旧車ならではのトラブルである。

 DAY2は意気消沈したナビゲーターを激励してスタート。美ヶ原高原は曇りで残念ながら雄大な景色を見ることはできなかったが、風越峠、青木峠などの山道を緊張しながら通過して10CPをこなす。DAY2の減点は50秒なので1CPあたり5秒だ。気持ちのゆるみが減点に表れる。ちなみにDAY1は105秒で合計155秒。小田切真チームの34秒にはどこをとっても到底及ばない。惨敗です。

 ヒラさんから「また出ておいで」というサインだと感じてフィニッシュ地点の安曇野を後にしたのでした。

アンビエント安曇野にいた2匹の野良ニャンコ。かわいがられているようで人懐こく、ガックリしているわれわれを慰めてくれました

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。