日下部保雄の悠悠閑閑

スポーツの秋

「ベレット」「セリカ」「フェアレディ2000」などが並ぶ、毎年恒例の旧車レースに参加した

 毎年恒例の旧車レース、DAD'S CIRCUIT MEETING “SCENE IN THE 60’s”。倉敷に住む日下総一郎君所有のおなじみ「ベレット GTR」での参加だ。今回の開催コースは岡山の中山サーキットとなる。2019年1月の岡山国際サーキットでのレースは晴天だったが、特異なシフトパターンのギヤが入らなくなり苦戦した。今回は日下君から「エンジンもトランスミッションもオーバーホールして好調!」と声を弾ませての連絡があった。4年ほど開けていなかったベレットのエンジンはライフ終盤でも元気に回っていたものの、メタルはペラペラになっていたらしい。

 レース当日は台風の影響もあって本降り。ベレットにとって雨は苦手なのである。なぜならサスペンションは完全にドライセットになっており、前後とも極端なネガティブキャンバーがついている。バネもショックアブソーバーもドライ仕様だ。おまけに中山サーキットの舗装はウェットになると特によく滑る。

 ウェットでは荷重がかかってロールする前に滑ってしまうので、タイヤも内側しか接地しない。そして荷重が乗ってロールし始めるとフロントの接地形状が正常になってグリップし、相対的にリアが滑り出す。雨ではとってもナーバスなベレットであった。

 レースは1時間の耐久戦で2名ないし3名のドライバーで走ることになるが、スタートとフィニッシュは私、途中を日下君が受け持つことになった。

パドックは1960年代のよう

 スタートグリッドに着いた後、あまり拭けないワイパーの調整をお願いする。日下君はしばらくガチャガチャやっていたが、やおら助手席側のワイパーを外してピットに帰ってしまった。こちらは唖然とするばかり。雨は時折強くなり、おまけにドライバー側のワイパーは拭き残しが多いのだ。仕方なしにコーナーではサイドウィンドウから先を見て走ったが、雨足も遅くなって意外と走れるものだ。こんな時は淡々とラップを重ねることに徹する。途中、日下君にたすきをつなぎ、結局2位でフィニッシュすることができた。

 こうして今年のベレット GTRでのレースは終了。やはりモータースポーツは面白い!

スプリントレースはセリカがホンダ「S800」を鼻の差で競り勝った。これはスタートグリッドでの写真

 さらに9月はラグビーワールドカップ2019の開会式&日本対ロシア戦を観戦する好機を得た。開会式での平原綾香さんの国家独唱に圧倒され、国際大会特有の雰囲気に気持ちが高揚する。

ラグビーワールドカップ2019日本大会の開会式の一場面。幻想的な演出だった

 正直、ラグビーのルールはよく分かっていない。簡単なルールブックを見て、元ラガーマンからオフサイドラインとは何かなど、半ば呆れられながらもレクチャーを受けたが、やはり本番を見ないとピンとこない。

開会式ではスポンサーのランドローバーが選手を歓迎する場面も

 しかし、始まってしまうとその迫力に圧倒された。細かい所を観るならTVの方がいいだろうが、実戦はまた格別だ。ナイター照明に映し出される総勢30名の男たちの迫力あるプレイは1人1人が浮き上がるように見え、なんだか幻想的ですらある。

 自分の席は下階の中段という好席だったので、ピッチで戦うラガーマンの体と体がぶつかる音が聞こえてきたのには驚いた。ラグビー選手たちはがっちりした大男がほとんどだが、彼らが激しい肉弾戦を抜け出し、走り、そしてまた走る姿は思わず大声で応援したくなる。

これぞまさにラグビーの醍醐味ではないだろうか

 日本は試合開始直後はロシアの速い攻撃に押されるケースが多く、明らかに硬くなって体が反応していなかったが、次第に動きが滑らかになっていくのが素人目にも分かった。そして、後半戦はトライの醍醐味を味わわせてくれた。

ピッチでの激しい攻防

 試合は日本が快勝し、さらに1週間後の強豪アイルランド戦にも勝利したのはご存知の通り。ラグビーって想像以上に面白い!

試合終了後、選手たちがスタンド前まで勝利のあいさつに来てくれた

 ところで、会場に入るには厳しいセキュリティがあり、飲食物も持ち込みは禁止されていた。その結果、売店には長い列ができ、給水所はあるものの次戦の運営に教訓を残した。トイレも長蛇の列ができるので、試合中に抜け出していくほかはない。

 オリンピックを前にした国際大会のシミュレーションには格好の舞台だが、来年にはさらにスムーズにスタートが切れるように期待したい。

 旧車でのレースにラグビーワールドカップ。9月はスポーツの秋の始まりを告げる月でした。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。