日下部保雄の悠悠閑閑

2019年を振り返ってみた

会社で初詣に行く目黒不動尊

 早いもので、悠悠閑閑も100回を迎えることができた。いつも自由気ままなコラムにお付き合いいただきありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 記念すべき100回目も気ままに、備忘録代わりに2019年のいくつかのイベントを拾ってみた。

 2019年の1月は女神湖に始まり、2月にかけて北海道で雪上試乗会が行なわれた。女神湖では凍結した湖上でスタッドレスタイヤを履いた自車で練習し、インストラクターに見てもらうレッスンだが、毎年末になると氷の状態が気になってくる。朝晩で気温はグンと下がる12月の半ばから凍結が始まり、1月中旬にはクルマが乗れるほど厚い氷が張るのが常だ。しかし年々凍結するのが遅くなっているような気がしており、こんなところにも異常気象を実感している。

2019年の女神湖はカチカチに凍って分厚い氷が張った

 2月のJAIA(日本輸入車組合)試乗会では、最新のアストンマーティン「ヴァンテージ」に乗った。ボクが2008年ごろに乗っていたのは、1世代前のアストンマーティン V8 ヴァンテージだったが、その当時は手作り感満載でそれがワクワクしたものだった。現在のアストンマーティンは量産車としてのクオリティが上がっており隔世の感だった。企業としての成長は喜ばしいが、古きよき時代が過ぎてゆくようでちょっと寂しい。

JAIA試乗会で乗ったアストンマーティン「ヴァンテージ」。凄いクルマで乗りやすかったが、手作り感が薄くなってチョット寂しい

 そして、3月はモータースポーツ記者会の取材に便乗させてもらって、香港までフォーミュラEの取材に出かけた。ご存知のようにフォーミュラEは全く無音だ。そのため、ほとんどのコースは市街地に設定される。モータースポーツに無縁の人の目にも触れやすく、違ったファン層が広がっている。今年からメーカーが介在する余地が少し生まれるので、競争が激化するはずだ。エネルギーマネージメントが大きな要素だが、パドックではハイテク技術とは裏腹に少しノンビリとした雰囲気もある。日本ではハードルが高いが開催してほしいイベントだ。

フォーミュラEは面白いレースだった

 5月には初めて静岡ホビーショーにお邪魔した。青島文化教材社が出した1984年のRACランサーのプラモデルを見に行ったのだ。ディテールにもこだわった精密なモデルで、さすがにプロの手による作品は素晴らしい。コ・ドライバーとしての参加だったが、現在のWRCと違って距離も日数も長く、ラリーのロマンに溢れていた時代だ。大きな舞台で入賞でき、解放感で爆発したのが懐かしい。

プラモデルになったアドバンカラーの三菱 ランサーターボ '84 RACラリー仕様

 それに触発されたわけではないが、自分のラリー車、ダイハツ「シャルマン」でクラシックアルペンに参加した。相変わらず計算が合わなくなって結果は伴わなかったが、当時のナビゲーターの田口次郎君と1970年代の雰囲気に浸ることができた。もっとチューニングしたいという欲望は、今のところ理性が打ち勝っている。

「シャルマン」で2019年のアルペンラリーに参戦。活用していたのは1976年ごろ

 夏には家族と墓参り旅行や家人とのノンビリとした北海道が印象に残る。特に北海道ではインバウンドを目の当たりにした。アジアの人々が多かったが、エネルギッシュに観光地を回る旅が多いようで、かつての日本の団体旅行を思い出した。とても今のボクたちにはできないだろう。

北海道の青い池

 その反動か、9月はレースを2つこなした。1つはND型「ロードスター」によるメディア対抗の4時間耐久レース、もう1つは「ベレット GTR」の旧車レースだ。ロードスターでのレースは女性ジャーナリストチームの応援ドライバーだったが、いつものことで燃費が厳しく、最後まで燃料を持たせるためにいろいろ頭を使う。これもレースの1つのあり方で、燃費を考えた走らせ方の勉強になる。一方のベレット GTRは燃費を気にすることなく全開だが、ウェットレースでのコントロールはまだまだ改善の余地が大きい。いずれもドライビングテクニックに終点はない。

旧車レースでの相棒「ベレット GTR」のコクピット

 さて、10月にはとんでもないことが起きた。咳が止まらなくなり診察に行ったら緊急入院を申し渡された。え、え、えと言う間である。約4日間の絶食、絶飲で点滴のみは初めての経験だ。2週間病院でジッとしていたがほぼ回復。退院直後に行った東京モーターショーでは、入院とはこれほど体力を奪うものかと感じた。疲れ果ててしまったのだ。

東京モーターショー 2019。トヨタのEV先陣はレクサス「LF-30 Electrified」から

 翌月、2020年のWRCラリー・ジャパンに向けてのテストラリーとなるセントラルラリーを取材した。躍動するWRカーを見るのは実は初めて。勝田貴元選手はワークスのヤリスWRCをそつなく走らせていた。彼の乗るWRカーと新井大輝選手らのWRC2プロでは車両性能の違いは歴然。車両区分の違いを知ることができたのは大きな収穫だ。

セントラルラリー。勝田貴元選手のヤリスWRC

 それにしても、ボクがラリーを走っていたころは、ターマックではなくグラベルがほとんどだったので時代の流れを感じた。細い舗装路を全開で走る現代のラリークルーには敬意しかない。当時のラリーではクルマをダートに合わせてアンダーステアにセッティングするので、曲げるのはドライバーという感じだった。数少なかったターマックラリーは、タイヤのグリップに身を任せて走るので気持ちわるかったからだ。

これから約5か月間お世話になるスタッドレスタイヤ

 さて、12月にはスタッドレスタイヤに履き替えて凍結路面に備える。ほぼ5か月間はスタッドレスと共に過ごすことになる。スタッドレスタイヤが登場してから約30年。将来はオールシーズンで使えるのでは、というのが私の夢である。

 今年もツラツラと書き連ねていきますので、お付き合いのほどをよろしくお願いいたします。

普段は次男の家にいるウメちゃん。おとなしくてかわいい奴です
わが家に新たにやってきたムク。ウチジュウ暴れまわって大騒ぎ!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。