日下部保雄の悠悠閑閑
2020年。訃報と希望
2020年1月20日 00:00
年明けの仕事始めの日に1本の電話が鳴った。高校時代からの学友でインポーター広報室長を務めた後、自分と同業者になった森川修君からだった。
しばし雑談の後、なんとなく言いにくそうに電話口から流れてきたのは、旧友、今宮純君の訃報だった。しばし声が出なかった。今宮君は大学の同窓で、学部は違っても校舎でたまに顔を合わせることがあった。彼は自動車研究会に入っており、自分とはクラブは違うものの何かと交流があった。その後、われわれのクラブ(KRCC)にも合流し、合宿などで一緒に走り回ったのが懐かしい。
KRCCはラリーやジムカーナに積極的に参加するクラブ員が多く、クラブ自体も“走れ走れ”の体育会系だったので、合宿となると夜はラリーの練習、昼間はジムカーナの練習と、ズーっと走ってばかりいた。クルマはラリー車が多かったので、ラリーの練習も可能だったのだ。ダートを走れるクルマを持っていない人は計測の手伝いをしてくれた。
今宮君はさすがにラリーの練習会に来た記憶はないのだが、愛用していたMINIに乗ってジムカーナの練習会にやってきた。F1解説者としての今宮君と一致しないかもしれないが、ジムカーナをやりながら、走行ラインやブレーキングポイントなどをみんなとワイワイと研究して楽しそうだった。
今宮君は大学時代から、モータースポーツ専門誌のオートテクニックで、ボクはラリー、今宮君はレースでお互いフリーランスのライターとして活動した。今宮君はF1を追ってヨーロッパにも熱心に行き、徐々に頭角を現わしていく。圧巻だったのは、オートテクニック時代の400字詰め原稿用紙にして100枚になろうかという「F1世界選手権・イン・ジャパン」のF1レポートだった。内容の濃いレポートで、当時のオートテクニック編集部がちょっとザワついたのを覚えている。
さらにフジテレビのレポーターとして国内のレースで知名度を上げ、その後、F1の名解説者として押しも押されもせぬ第一人者となったのはよく知られている。レースを愛し、F1を心から愛していたのは彼のレポートからもすごく伝わってきた。今宮君のレポートはいつも暖かい目線で、人間模様も彼の手にかかると不思議と優しい思いで見ていられた。
たまに顔を合わせると、昔と変わらない黒目がちで温和な笑顔が返ってきたのが懐かしく、またどこかで会いたいな、と思っていた矢先の出来事だった。あの笑顔に会えないと思うと悲しい。
言葉はむなしいが、今宮純君のご冥福を心からお祈りします。
一方でモータースポーツの時間の流れは早い。8日には恒例の日本モータースポーツ記者会主催のモータースポーツナイトが開催された。ここでは昨年大活躍し、今年本拠地をドイツに移した山下健太選手や、WECで優勝を何度も手にした中島一貴選手、WRCとWECでタイトルを獲得したTOYOTA GAZOO Racingがアワードを獲得した。
さらに、今年注目の若手ドライバーも紹介された。F4で11勝を挙げた佐藤蓮(さとうれん)選手と、今年からホンダの育成プログラムの一員となった岩佐歩夢(いわさあゆむ)選手、そして澤龍之介(さわりゅうのすけ)選手だ。いずれも21世紀になって生を受けた将来有望なドライバー。まだ今年のサポート計画が決まっていない選手もいるが、もしチャンスがあったら応援してあげてほしい。将来のF1ドライバーかもしれませんよ。
レースには、日本のモータースポーツを引っ張ってきた功績にふさわしい場があるが、一方、ラリーは過去に実際のラリールートを辿るLegend of the RALLYや昔懐かしいメンバーが集まる日本アルペンラリーの会などがあったが、労力や予算などの壁があり、なかなか継続的な開催は難しい。WRCのラリー・ジャパンも復活し、ラリーファンも多いので、日本にも記念碑的なイベントがあってもよいと思うのだが……。