日下部保雄の悠悠閑閑
“積ん読”消化のゴールデンウィーク(希望)
2020年5月4日 00:00
自粛要請が続き、さらに延長されそうな気配。素人考えでもいきなり解除したら第2波の感染拡大が始まるのは目に見えている。できても段階的解除しかないだろうな、と長期戦を半ば覚悟した今日このごろ。皆さんはどうお過ごしですか?
ところで以前新型コロナウイルスの再生産数が話題になり、つまり1人が何人に感染させるかの指標で、1を割り込めば終息に向かうと説明だった。その時点で東京は1.7と拡大傾向にあると示され、現在東京がどういう状態にあるか分かりやすかった。しかしその後、公表された形跡はない。なにをすればどんな結果が生まれるのか分かりにくくなってしまったが、そんなところに日本経済新聞から問題提起の記事が掲載されていた。どうやら検査数やその数式が考えていたよりもはるかに複雑な上に、日本はPCR検査へのアプローチが異なり、簡単ではないようだ。それにしても、日報のごとく上がってくる感染者数の報告だけでよいのだろうか?
また、国や治自体からは多くの助成金や融資が出ており、それも日々更新されるなど、懸命に努力している様子がうかがえる。ただ使い勝手のわるさは相変わらずで、個人では諦める人もいると聞く。物事を決めるのに短期に決まらないのは日本型システムの特徴だが、もう少しシンプルな形にならないだろうか。
かといって私個人にできるができることはあまりない。せいぜい手洗い、消毒、外出しない、室内で運動をするぐらいだ。
在宅でできる仕事は粛々と進めるにしても、せめてゴールデンウィークの休みは机の上に積みあがった未読の本を手に取ってみようと思った。
本を購入する場合は、タイトルが分かっているものはAmazonで購入するけれど、本屋さんを徘徊するのも好きなので、つい好奇心で手が伸びてしまう本も少なくない。今は読まなくてもいつかは読むだろうと思う本もレジに持って行ってしまうのだ。心が貧乏性なんだと思う。
さて、積みあがっている本の中で、まず手ごわいのは人類歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」。随分前に上巻だけ読んであまりに壮大な人類史に挫折して、下巻はそのまま机の片隅に置かれてホコリを被っていた。今となっては上巻の内容もおぼろげだが、パラパラとめくってみると、記憶の片隅にかすのように残っていたものがわずかに蘇ってくる。しかし、多くのページは新鮮だ。つまり忘れているのだ。理解力があって1冊が2度楽しめるなら素晴らしいが、自分の場合はそんな上等なものではないのが残念だ。まずは上巻を斜め読みしてから、下巻に辿り着きたい。
もう1つ分厚い上下巻があるのが、半藤一利さんの大長編「昭和史」。こちらは1926年~1945年までの上巻と、1945年~1989年までの下巻で構成され、60年間の日本の昭和史が語られている。上巻は満州事変前夜から太平洋戦争終結までの戦争に突き進んだ歴史、そして下巻は東京裁判、戦後復興、55年体制から高度成長期が描かれている。上下巻合わせて軽く1000ページを超える長編なので、いつ結びの一文を読めるのか見当がつかない。しかし、歴史を振り返ることは将来同じ過ちを繰り返さないことにつながる。今の排他的な社会を見るにつけ危うさを感じる人は少なくないだろう。
岡本裕一朗教授の「いま世界の哲学者が考えていること」もつい手を出してしまったものだ。哲学的な考察だが、むしろAIや格差社会、経済、宗教対立についての考察が面白そうだった。今から4年ほど前に出版されたもので、その立場で現在の新型コロナウイルスについてどのように語られるのかも興味深い。
その他にも多くの本が待っている。が、こうして眺めると自分には連チャンで読むには荷が重い。こんな時は浅田次郎さんの短編などでスッキリしたいのだが、「流人道中記」なんて、涙なくしては読めなさそうな長編に手を出すと間違いなく夢中になりそうで……。はて、ボクのゴールデンウィークはどうなるのだろう?