日下部保雄の悠悠閑閑

ブルーインパルスの舞う空

北の空に向かう、雲下のブルーインパルス

 いよいよ6月から東京もステップ2に入り、感染症に用心しながら少しずつ前に向かって進んでいる感じだ。

 話は少し戻って5月29日、ブルーインパルスが東京の空を舞った。医療従事者への感謝を込めて航空自衛隊の粋な計らいだ。Car Watch元編集長の谷川さんのFacebookで、およその経路と時間が記載されているトラベルWatchの記事がシェアされていたので眺めていたら、わが家の上空を飛ぶではないか!

 当日、ほぼ予定の時間どおりに、北から6機編隊のT-4が飛んできた。だいぶ前に百里基地での航空祭以来の再会だ。6機編隊はスモークを出しながら川崎方面に向かい、すぐに旋回して再度南から北に向かって飛び去った。さらに、時間をおいてもう1回やってきた。

 白いスモークを流しながら大空に広がるブルーインパルスの編隊飛行は、自粛生活の中、ちょっとこみ上げるものがあった。医療関係者ではないが元気のお裾分けをいただいた感じだ。

 少し雲が出ていたが青空も広がり、コントラストが素晴らしかったし、雲下を飛ぶブルーインパルスのくっきりとした機影も印象的だった。飛行機とは縁遠い日常になってしまったが、また移動の自由が戻ってきてほしい。そしてまた航空祭に行きたいと心から思った。

 T-4は航空自衛隊の中等練習機。翼面荷重が大きそうな小さな翼(に見える)でよくアクロバット飛行ができるなと思うが、大きな推力と航空技術の進化で可能にしているのだろう。川崎重工製の純国産練習機はどこかイルカに似ていることから“ドルフィン”のニックネームもあるそうで、全長13m、翼幅約10mのコンパクトな機体はいかにも敏捷に見える。

 1機だけ編隊から離れて飛んでいた7番目の機体もあったが、確認用、あるいは記録用の任務があったのだろうか。

 この空中撮影の映像はすぐにYouTubeにアップされていたので、余韻に浸ることができた。ホントに現在は粗素材ならアップされるのが早くて驚いてしまう。

 飛行機つながりでもう一機を思い出した。航空自衛隊ではないが海上自衛隊の所属機である。海上自衛隊には海難救援機があり、純国産の新明和製の飛行艇だ。水上飛行機は今ではニーズが減ってしまったが、水上から飛び立て、着水できる機能性はどこかロマンチックで憧れる。

 だいぶ前のことだが、海上自衛隊の救難機、US-2が横浜沖(だと思う)の海上を滑水してくるのを見たことがある。4発エンジンの大型水上飛行艇が海を切り裂くように進むさまは感動もの!

 軍用機らしくテキパキとした動きで、たちまち沖に向かって去ってしまったが、随分と大きく見えたものだ。

 US-2海難救助飛行艇はその性格上、低速飛行が可能で波高3mの中でも着水でき、さらに短距離で離水できると本で読んだことがある。大型のサイドハッチから救出用にゴムボートを下ろせるようになっており、荒天の中、このドアから何人の命が救い出されたのだろう。海上救難機として世界に誇る性能を持っている。

 このときは残念ながら見とれてしまい、写真を撮るのを忘れてしまった。

こちらはUS-1の模型。US-2のベースになった機体で、外観はよく似ている。水陸両用飛行艇で、1975年に納入された。飛行機は息が長い

 以前「船の科学館」に展示されていた太平洋戦争で活躍した二式飛行艇は全長28.13m、翼幅38mの巨大なもので、こんな大きなものが水から飛び立つのか! と艇体の下から眺めていたものだが、その二式飛行艇の送りだした川西航空機の流れを持つ新明和のUS-2も全長33.25m、翼幅33.15mと、それに匹敵するサイズがあり、間近で滑水する姿は圧倒的だった。

二式飛行艇(二式大艇)。垂直尾翼の赤線は電波探知機搭載機を示すもの

 ブルーインパルスの飛行を眺めながら、同じく人に元気と希望を与える海難救援機の思い出に浸っていた5月の金曜日でした。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。