日下部保雄の悠悠閑閑

久しぶりの「アコード」

久しぶりに青山のホンダ本社で「アコード」を試乗した

 久しぶりに青山のホンダ本社に行った。リニューアルされてさらに親しみやすくなった本社ビルだが、新型コロナウイルス禍で人はまばらだ。早く元の活気を取り戻せればよい。青山本社を訪れたのは新型アコードに試乗するためだ。

 アコードの初代は1976年まで遡ることができ、シビックの上級モデルとして3ドアハッチバックでデビューしたのが最初だ。ミドルクラスのファストバック3ドアだったので、どうやって競争の厳しい市場で戦うんだろうと不思議だったのを覚えている。もっとも翌年には4ドアノッチバックセダンが投入され、やがてシビックと並んで北米市場のエースとなっていった。

 アコードとの縁は半トラクタブルヘッドライトの3代目アコード、その姉妹車であるビガーに乗っていたことがある。当時は車種別に販売店が決まっていたので、近くにあったベルノ店で購入したためビガーになった。北に西に走り回っていたので、年間3万kmぐらいは走っていた。1.8リッターのシングルカムだったがよく走ったし、乗り心地も快適でとても満足したクルマだった。

 そのアコードは、最近日本ではあまり名前を聞かなくなってしまって寂しい限りだったが、海外では人気車種であることに変わりはなく、北米では2017年に10代目のアコードに進化していた。1年半遅れて日本でもやっと登場となったのだ。実は2月には発表されていたが、この新型コロナウイルス禍で試乗が延期となっており、やっとチャンスを作ってもらったという次第である。

 ルーフを低くしたファストバック風のスタイルは、初代を思い出したほどスリークだ。ちなみにルーフが低いクーペ形状とはいっても、後席はヘッドクリアランスも十分で閉塞感は感じなかった。

アコードのCピラー。スッとすぼまっていくさまが、なんとも特徴的なデザインだと思う

 実はこのアコード、それまでの購買年齢層を一気に引き下げるほど、デザインが好まれているという。

 すでに販売されている海外では、日本にはないコンベンショナルエンジンがあり、価格が安いこともあるが、平均購買年齢は北米では40代、そして中国では何と20代になったというからアッパーミドルセダンとしては驚き。ホンダではDセグメントとしているので、競合はメルセデスのCクラスやBMWの3シリーズになると思うが、販売台数もグンと跳ね上がっており、あっぱれな健闘ぶりである。

 日本仕様はタイのアユタヤ工場生産の逆輸入車。そしてハイブリッドのみの1グレードとなる。価格は465万円だ。

 ホンダのハイブリッドは2モーター式に統一され、ネーミングもe:HEVになってなじみやすくなった。基本的にはモーター走行、エンジン直結モードも持つ、フィットなどにも展開されている。

 アコードの素晴らしさはこのモーター走行にある。振動を感じない滑らかな走りはEV走行ならでは。バッテリー容量に余裕がある限りはモーター走行なので、エンジン車では音や振動を感じやすい低中速時には、溜息が出るほどの上質感だ。日本仕様のアコードにはさらに遮音に気を配ったとされるが、あまりに無音なので逆にリアから入ってくるロードノイズが目立ってしまうほどだ。気になる音の遮断は難しい。

 走行中はEVモードとハイブリッドモード、そして高速道路などではエンジンモードなどを小まめに切り替え、回生を頻繁に行なっているのがモニターで分かる。大きな出力が必要な場面ではエンジン音が大きくなるが、こちらは少し割れた音が気になる。

 また、ドライブモードは日本仕様のみに設定されるコンフォートモードがあり、可変ダンパーはソフト志向になる。都市部と高速を走った限りでは、コンフォートモードでもダンピング不足を感じることはなかったが、モード切り替えで場面に応じたダンピングやレスポンスが期待できる。

 新しいプラットフォームは高剛性であるだけでなく、パワーユニットなど低重心化が可能で、これまでのアコードに感じた腰高感がない。Aピラーが後方に下がっていることもあり、前方視界も明るい。それだけでなく、ステアリングフィールも滑らかになって、何気ない街角を曲がる場面でもあまりストレスを感じない。

 ただ、事務所そばの細い路地に入った時に、4900mmの全長と1860mmの全幅に気付かされた。また、フロントのオーバーハングも長いので、狭い道ではちょっと注意が必要だ。

 ミドルクラスのセダンにあって、e:HEVは乗り心地に新風を吹き込んだような新鮮さがあった。快適なひと時のドライブだった。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。