日下部保雄の悠悠閑閑
R360クーペとキャロル360の思い出
2020年6月22日 00:00
マツダが今年創立100周年を迎えた。山あり、谷ありの100年だった。戦後は物流の主力だったオート3輪の復活を経て、最初に乗用車に進出したのは軽自動車のR360クーペ。その後マツダは本格的な4人乗りのキャロル360で、各社が凌ぎを削る軽自動車業界に進出した。そして自分自身の最初のクルマはこのキャロル360だった。
軽免許が取れてから、洗足池近くのマツダディーラーにキャロル360を見に行った。ショールームに置いてあるキャロル360とは別に、すでに販売の第一線を退いた小さなR360クーペも裏の駐車場に置いてあった。興味津々で覗いたり、座ったりしたが、いたってシンプルな作り。一応リアシートはあるが、ほぼ2人で移動する目的のためのクルマだ。時代は軽自動車にも装備の整ったファミリーカーを求めていたので、R360クーペは時代にマッチしなくなっていた。
R360クーペはマツダらしい独創的で合理的な軽自動車だったと思う。マツダの乗用車へのファーストステップだ。今回展開される100周年記念車は、このR360クーペからイメージされたカラーをベースとしている。あえて若手のデザイナーが中心となって、R360クーペを今の時代に投影した記念車がラインアップされている。この2~3年、マツダ社員はマツダ100年の歴史を学び、そのアイデンティティを問う活動を行なっているが、R360クーペをそのモチーフに選んだのは、マツダ乗用車の原点としてふさわしい。
さて、軽自動車の世界ではスバル360が全盛だったが、自分がキャロル360を選んだのは自動車部の先輩の影響だった。キャロル360もマツダらしく技術を重視して、最新技術のてんこ盛りだった。何しろオールアルミエンジン、たった360ccでOHV4気筒、憧れの半球形燃焼、4速トランスミッション、4輪独懸架。雑誌の知識で頭でっかちの高校生には、どれをとってもキャロル360はスーパーカーのように映った。
話が前後するが、なんで高校生が自動車免許を持っていたかといえば、当時は軽自動車に限って16歳から取得できたのだ。もちろん高校に入った直後に体育会自動車部へ直行した。毎日腕立てとフィギュアに明け暮れていたが、誕生日近くになると、先輩や友人からいろいろ教えてもらって府中の試験場に出向いた。きっと緊張しまくっていたんだろう。どうやって教官と対していたのか全く記憶にないが、ともかく免許は取れた。
しかし、頭でっかちの高校生は肝心なことを理解していなかった。クルマの重量が運動性能に与える影響は計り知れなかったのだ。今と違ってターボなどは影も形もなく、軽量部材もなかった。スバル360が確か300kg台だったのに対してキャロル360は500kg台とあって、多少出力はあっても、スバルには敵わなかった。キャロル360は安定性も高く快適なファミリーカーだったと思うが、モータースポーツには向いていなかったと思う。
しかしキャロル360は楽しかった。リアサスペンションはトーションバーで、大きなスパナで回せば簡単に車高が下がった。合わせホイールを裏返しに組めば、トレッドが広がり、1年もしないうちに見た目は街道レーサーである。
そしてこの“シャコタン・キャロル”で最初に走ったサーキットは、できたばかりの船橋サーキット。コース図でコースをしっかり覚えていたつもりだったが、実際に走ってみると全然感じが違う。長いストレートの後に待っているソックスカーブなど、「あれ、どこ走ってるんだろ?」てな調子で無我夢中。
長い直線だと思っていたが、自分のクルマが超遅かったから長く感じただけで、その横を同じ自動車部員のスバル360がスイスイと抜いていった。重量が大事だということはこのときに身に染みて理解した。
ではキャロル360は退屈だったかと言えばその逆で、青春時代にクルマのイロハを教えてくれた大切なクルマだった。
そのキャロル360を見に行った販売店は健在で、今はブランディングされたオシャレな販売店に変身し、ND ロードスターがお世話になっている。このオシャレなお店の前を通るたびに、R360クーペとキャロル360を思い出す。