日下部保雄の悠悠閑閑
コロナ禍のオートモビル カウンシル
2020年8月31日 00:00
新型コロナウイルス禍で多くのコンファレンスが開催できない中、厳重な管理の元でオートモビル カウンシルは開催された。いささか旧聞に属するが、名車は色褪せない、と取り上げておきたいと思った。
古の名車が主役のオートモビル カウンシルは、かなりコンパクトに収まっており、エントランスから全部見えてしまうほどだ。人酔いする自分としてはノンビリ見ることができるのも嬉しい。
最初に目に入ったのは赤いクルマと青いクルマ。今回の目玉でもあるイソ・グリフォとアルピーヌM63だ。
イソを見るのは初めてだと思う。イソが活躍した1960年代、コストのかかるエンジンを自社開発せずに他社製を使うコーチビルダーが少なからずあり、イソの場合はGMの大排気量エンジンを使ってスーパーカーを作っていた。ベルトーネデザインの高級グランドツアラーは、フェラーリやランボルギーニより少し下のポジションにあり、4シーターグランドツアラーとして認知度もあった。
その中でもリヴォルタ・グリフォA3/Cは2シータークーペ。エンジンはリヴォルタに搭載されていたコルベット用の5.4リッター V8 OHVの圧縮比を上げて、4個のウェーバーキャブで405PSをひねり出していた。
目的はレース。すでにレーシングカーはミッドシップが当たり前になっていた時代にFRだったのは理由がある。設計者の1人、ビッザリーニは最高のFRフェラーリと言われるGTOの設計者であり、エンツォ・フェラーリと喧嘩別れをした後、イソで4座のリヴォルタをベースに作り上げたレーシングクーペだからだ。
デビューしたのは1963年のトリノショーだったが、直前に完成したために塗装する暇がなくアルミの地肌のまま展示され、そのままA3/Cの標準カラーとなったと言われる。
展示されていたのはまさにレーシングカーで、写真で見たよりもはるかに獰猛だ。それもルーフが低く、フロントフェンダーもダイナミックに盛り上がり、大きなエアインテークも実戦を潜り抜けてきた歴史を感じさせる。ほぼ手作りだけに1台ずつ違ったディテールを持っていたと思われ、展示車両も実戦的にモディファイされたと思われる。
もう1台のアルピーヌはM63で、アルピーヌ最初のレーシングスポーツカーだ。風の魔術師と言われたマルセル・ユベール(日本でいえば由良さんかな)の手による、ル・マンの超高速サーキットに合わせたロングテールボディを被っており、重量はたった600kg。わずか1.0リッターのエンジンはゴルディーニによって95PSを出したというが、最高速は240km/hをマークしたというから驚きだ。ル・マン24時間に向けて製作された1台である。大物食いと同時に熱効率指数賞も目指していた。この賞の詳しい規定は忘れてしまったが、排気量と走行距離を組み合わせた複座な規定があって、小排気量車にとって名誉ある賞だった。ルネ・ボネ、パナール、DBなどのフランス車をはじめとした多くの小型車が挑んだ。小排気量レーシングスポーツはこの時代の一方の華だった。残念ながら1963年のル・マンでは全滅してしまったが、デビュー戦のニュルブルクリンク1000kmではクラス優勝している。
トヨタからはセリカ50周年にちなんで1988年に米国IMSAレースにチャレンジしたセリカターボや、1990年にサファリで優勝したST165型セリカ GT-Four(ワルデガルド/ギャラガー組)が展示されており、モータースポーツでのセリカの足跡をたどった。トヨタ博物館には動態保存された名車が何台も存されているはずで、まだまだ名車たちに出会うチャンスはあると思う。
ホンダは3.0リッターF1の芸術的なV12を搭載したRA300と、2輪レーサーのRC166が展示されていた。ホンダレーシング黎明期のチャレンジャーたちだ。こちらは茂木のホンダコレクションホールで見ることができるが、動態保存されたマシンはやはり迫力がある。
ランチア・フルヴィア 1.6HFにも感激した。ランチアのラリー活動はヨーロッパが中心だと思っていたが、フルヴィアも雄大で過酷な東アフリカ・サファリラリーにチャレンジしていた。ハイパワーFFに強力なLSD、果てしない悪路、いつまでも続くラリー、パワステのない時代、どれだけハンドルが重くて、疲れたんだろうと思わず腕をさする。サファリの英雄、S・メッタ/M・ドウティで確かに腕っぷしは強そうだった。1974年に11位で完走しており、同じチームのムナーリは3位で入賞していた。
他にもたくさんの懐かしいクルマや憧れの名車の中を散策して満足したが、今年はミニカーショップが少ないのがちょっと残念だったなぁ。