日下部保雄の悠悠閑閑
昔のスノーラリーのお話
2021年1月11日 00:00
お正月に古いアルバムを整理していたら、その昔のDCCSウィンターラリー(多分1983年だと思う)でG11 シャレードと格闘している写真を発見した。前回の悠悠閑閑で触れた赤城小沼の氷上SSでスパイクが飛んでしまい、SS後半で苦戦していた姿だった。写真を見ていたら我が事ながら「こんなにハンドルを切ったら曲らないだろう!」と思わず突っ込みを入れたくなった。頭に血が上っている時はこんなものかもしれない。
いつも女神湖の氷上レッスンで「そんなにハンドルを切っては曲がりません。進入速度が速すぎます!」と説明しているが、人のことは言えない。フェンダーミラー付きのような古い時代の事なので大目に見てほしい。
頭に血が上ったと言えば、こんな写真も出てきた。そのもっと前(1978年ごろ)のG10 シャレードでのDCCSウィンターラリー、浅間園でのSSだ。別荘地に作られたコースは新雪の轍だらけ。何とか上位に進出したい一心で、とにかくアクセルを踏み続け、コース上にいることだけを考えていた。軽いクルマでFFなので何とかなったんだと思う。写真から見るとこの直後、縁石にあたっている感じだ。思い起こせばそんな記憶もあり、運よく跳ね返されてラリーを続けられた。こんなこと平気でやってたんだな。
SSでもレースでも少し冷めた部分がないとタイムを出すことは難しいが、熱くなっているとこうなる見本みたいなものだ。
それでも雪のラリーは好きだった。滑りやすく刻々と変わる路面はスリリングで、当時一般的なラリーコースだったダートとは違った面白みがあった。
今ではラリーと言えば4WDだが、1980年代はまだスバルだけだった。以前にも紹介したと思うが、そんな時代に三菱自動車はコルディアで参入した。4WDシステムはパートタイムで、パワートレーンの関係で変速レバーは正副の2本。計8速になる。2本のシフトレバーを前後に別々に動かすのは忙しいと言うか、途中でどこに入っているのか分からなくなる。自分の能力では限界だ。
FFで同じシステムの初代ミラージュでラリー活動を開始したADVANラリーチームの山内伸弥選手と大庭先生はどうやって料理していたんだろうと改めて感心する。
そのコルディア4WDでのラリー初戦は北海道のスノーラリーだったと思う。スパイクの時代だったがほぼすべてがスノーコース。北海道はハイスピードコースが多くAE86などのFRも速かった。さすが道産子だ!
快調にCPを通過していたが好事魔多し、中速コーナーで路面を見誤り派手にスピンして今来た方向に向いてしまった。道幅が狭かったので簡単にはUターンもできず、大幅なタイムロス。コルディア4WDは上位を独占したが、自分は残念ながら4位か5位だったと思うが、本州のコースと違って中高速コーナーの多いスノーラリーは爽快だった。
この後ラリー界は急速に4WD化が進む。
本格的な4WDは自分が大庭先生のナビゲーターで英国RACラリーに参加した時だった。RACラリーには1982年から1989年まで最初はランサーターボ、そしてスタリオン、1988年と1989年は4WDのギャランVR4で参加した。ギャランでの1988年は路面コンディションがわるいこともあって、何回もコースアウトしたが、2輪駆動と違ってその度に脱出して、サービス隊のお世話になりながらガムテープの補修だらけになって完走できた。三菱らしい丈夫なクルマだったのだ。
ギャランVR4は、RAC独特のウェットでとんでもなく滑りやすい霜混じり/雪混じりのダートコースの中でもFRと違った安心感があり速かった。翌年、大庭先生は並みいるワークス勢に混じって総合16位で帰ってきた。
RACでは完全なスノーラリーではないが、路面はウェットの関東ローム層を3速~5速で走るような難しさがあって得難い体験だった。こちらはナビシートで楽をさせてもらったけど。