日下部保雄の悠悠閑閑

スノードライブ

新雪の雪道。雪が降って視界がわるい。使っている偏光サングラスではしっかりと路肩が見えます

 新しい年、明けましておめでとうございます。早くコロナ禍が終息して、心から「おめでとう!」と言えることを切に願っています。

 そんな中で悠悠閑閑も153回を迎えることができました。好き勝手なことをツラツラと連ねたにもかかわらず、お付き合いいただいて本当に感謝です。マイペースでボチボチ進めていきますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、今シーズンは寒波が押し寄せて都心でも寒くなると言われている。先日の関越自動車道のひどい渋滞でスタッドレスタイヤの需要が一気に高まっており、東京に雪が降ったら在庫不足になりそうな気配である。

 東京の積雪は自分が子供の頃は毎冬3~5回ぐらいあったと記憶する。隣接していた、というかその敷地に住んでいたタクシー会社では、運転手が手際よくチェーンを巻いて次々とカシャカシャシャリシャリと街に出て行った音を覚えている。

 自分で運転するようになってからは梯子型チェーンを携行して雪が出てくると路肩で巻いたが、これが緩すぎてすぐに切れたりで最後までチェーンは苦手だった。装着しやすい販売されたばかりのプラスチックチェーンも切れてしまうなどで(要は舗装路で速度を出すからいけないのだ)、チェーンにはあまりいい思い出はない。全く自分の技術不足のせいなのだが苦手意識が今もついて回る。

 ラリーでは深雪が予想されるSSの前にチェーンを巻いたタイヤと交換したぐらいだ。しっかり巻いた後に空気圧を上げてタイヤにチェーンが食い込むぐらいにしたチェーン付きタイヤだ。しかしどうやら昔の常識は今の常識ではないらしい。ラリーチャレンジにヴィッツで参戦している清水和夫君からちょっと前に聞いた話だが、最近のスノーラリーでチェーンの必要な時は普通に巻いているそうだ。確かにチェーン本来の雪を叩いて崩しながら走る理にかなっている。どの程度の巻き方がいいんだろうか?

舗装面が出た、よくあるパターンの轍路。雪が多いとハンドルとられの原因にもなる

 まだラリー車が普段使いだった頃、ラリー仲間とスキーをしに志賀高原の山小屋に行ったことがある。クルマは510やギャランなどの今では歴史的なラリー車だった。すっかり暗くなってから山小屋の付近まで到着したものの、メイン道路から外れた先は新雪で道がよく分からない。しばらく立ち止まっていたが、スキーの得意な先輩の駆る510が先陣を切って新雪に乗り出した。キャレロの白い光が雪煙を照らしだす。510はまるで彼のスキースタイルのように右に左にメリハリよく、しかもかなりのペースで消えていく。1人ではスタックしそうで自信がなかったが自分も轍を辿って乗り出した。先を行く510はストックをつきながらウェーデルンで滑り降りるスキーヤーそのものに見え、そこからドライビングのヒントをもらい、夢中で滑り降りた。そう、山小屋までは下りが多かったのだ。その長いようで短い山小屋までの新雪走破の時間は後で考えると至福のひと時でもあった。

 気温の低い志賀高原の新雪は軽く、クルマにまとわりつくことはない。ラッセル車のように雪をかき分けながら走り、アクセルのON/OFFとステアリングワークのスピードを連動させることでリズミカルにターンさせることができたように思う。後にも先にもこれほどの新雪、深雪のコースを走ったことはない。

 で、楽しかったはずのスキーのことはまるで覚えていない……。

ギャランA II GSでの志賀高原ラリー。11月の志賀草津高原ルートが閉鎖される直前に開催されていた。まだヘルメットも被っていない時代だ

 また、真冬の群馬を舞台に繰り広げられたDCCSウィンターラリーでは赤城・小沼の氷上でのSSから始まった。円筒形のマカロニピンや先のとがったピンもまだ許されていた時代で、平坦な氷上をスパイクで走るのは大好きだった。

 1.0リッターカー・シャレードでのこと。軽量FFのシャレードはこのSSで少しでも差を付けられれば上位に進出できる。SSは同じコースを確か3周するものだったと思う。最初の周回は調子よかった。ところが徐々にグリップが落ち、最終ラップでは曲がらないしトラクションも掛からない。何が起こったんだと1人で大騒ぎだ。コースを見ると何やらキラキラ光るモノが散乱している。フィニッシュしてからタイヤを見るとスパイクの数がやけに少ない。澄み切った快晴の下でキラキラ光ったのは抜け落ちたスパイクピンで、スパイク保持のノウハウ不足だった。もちろんこのラリーは最初のSSで勝負権がなくなった……。

 東京に住むドライバーの雪体験は刺激的である。

シャレードでの赤城・小沼の氷上SS。この時はスパイクピンは抜けなかった。多分クラス優勝したような

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。