日下部保雄の悠悠閑閑

ボルボ V60と巡る福井県ショートトリップ

旅の友はV60 Recharge Plug-in hybrid T6 AWD。一乗谷遺跡の前で

 VOLVO V60 Recharge Plug-in hybrid T6 AWD(つまりPHEV)で北陸路のショートトリップをするチャンスに恵まれた。

 プランは能登半島金沢駅を起点に1日借りられたので、能登半島をグルリと回って立山連峰を眺めるのも魅力的だったが、あえて隣の福井県に足を伸ばした。

 前から行ってみたかった永平寺、そしてかつて栄華を極めた一乗谷の史跡も見たいという誘惑が勝ったのだ。まずナビに永平寺を入れてみた。1時間15分ぐらい到着できそうで意外と近い。これなら一乗谷にも行けそうだ。

 Hybridモードでは市街地ではほとんどEV走行になる。65km/h以上ではエンジンをかけるが電気に依存する部分は多く、北陸道に入ってもアクセルオフに近い状態になるとすぐに回生を行なう。

 すでに北陸も雪は溶けて、春はすぐそこまで来ている。今日のタイヤはミシュランのプライマシー 4。つまり夏タイヤである。

 HybridモードではFF走行となる。AWDモードを選ぶと常に充電しながら後輪モーターを回すAWDとなる。通常でも4輪駆動が必要な場合では自動的に後輪モーターを回すので、それほど神経質にAWDモードを選択する必要はない。総重量2050kgのPHEVは粛々と西に向けて走り出す。

 34Ahの出力を持つリチウムイオンバッテリーはセンタートンネルに収まっており、ラゲージルームやキャビンはコンベエンジンのV60と共通だ。兄貴分のV90よりもラッゲージルームが四角いので、実質容積は大きいかもしれない。

 ボタン1つで作動するACCをセットしてのんびりとクルージングしているうちに永平寺に到着した。北陸道から枝分かれした中部縦貫自動車道の永平寺参道ICで降りて10分ほど走るだけで、下道はあっけないほど短かった。

 永平寺は歴史の舞台に何回も登場していたのに何も予備知識がない。パンフレットによると道元禅師によって1244年に開山された禅の修行所が始まりという。

吉祥山 永平寺

 まだ10時前だったこともあり参拝客もまばら。永平寺川という小川から山に向かって大きな寺が出城のように建立されている。室町時代から何回も戦乱に巻き込まれて焼失し、目の前に広がっている荘厳な寺は江戸時代以降の近世に建てられたものという。

永平寺 中雀門。階段が多くてまるで登山でした

 山を上るように建てられているので、説法が行われる法堂や道元法師を祀る承陽殿まで長い階段を上っていく。朝晩に修行僧は何回もここを行き来するのだろう。大きな浴室があることも驚いたが、大勢の修行僧が寝泊まりする中で湯を大切にし、他人を思いやるためにあるのだという。

 帰路で鐘楼を見つけた。「行く年くる年」の映像の中で暗く静まり返っている厳しく凛としている鐘楼に違いないが、春の陽の中では全く別の穏かな表情を見せていた。

 静かな日常を映し出した参詣は気持ちをシャンとさせてくれた。

 さて永平寺から一乗谷を調べるとこれも意外なほど近い。一乗谷は朝倉氏の栄華をしのぶ遺跡が近年発掘され、中世日本を知る大きな手掛かりになっている。北の京と言われていたが織田信長との戦いで朝倉氏の滅亡とともに灰燼に帰し、さらにそれに続く一揆で完全に消滅してしまった。それ以降、忘れられた存在になったのだ。

 しかし田畑の下に埋まったことで、当時の町並みや水路の礎石が残っており、昭和になって発掘調査が進むとにわかに脚光を浴びた。日本のポンペイ遺跡みたいなものだ。

 ちなみに現在の朝倉氏一乗谷資料館は手狭になったのか、隣に新しく大きな資料館が建設中だった。それほど多くの発見があるということだろう。

 資料館から2kmほど離れたところに復元された町並みや朝倉氏の住居跡がある。運よくガイドツアーがスタートするところで、それにくっついていくことにした。ガイドツアーは自分のような素人には本当にありがたい。

朝倉氏住居跡の遺跡。荒れ果てた名庭園が4つ発掘されています。戦争は何でも破壊してしまう

 九頭竜川の支流にあたる一乗谷川に沿って広がるわずかな平地に、なぜ北の京と呼ばれるほど繁栄したのか現在の風景からは想像もできないが、当時は東西南北に走る交通の要所のそばにあり、かつ山に囲まれた要塞の地ですぐに兵を出せる利便性の高い土地だったという。

 またこの城下町は一乗谷川の水を巧みに使い、上下水道の完備した最先端を行く町作りが進んでいた。

 町並みのメインストリートは途中L字型を組み合わせた作りになっており、外敵を待ち伏せしやすい構造で一乗谷ならではという。下流に向かって右側に町並が復元されており、1460年代頃の人々の暮らしを知ることができる。どの家にも家屋の中に井戸があり、寒い地でも水を汲むことができるようになっていた。トイレは隣接した外にあり、衛星的な生活で疫病を防いでたことが分かる。

 一軒一軒の家は小さく、土間と居間、そして納戸で構成されているのが普通なようだ。なかには瀬戸物屋と思しき家は実は商店で、家人は通いで生活していたのではないかなど推察もされている。

一乗谷の住人達。瀬戸物屋さんです

 町並のところどころに商店とは比べ物にならないサイズの武家屋敷があり、中規模武家屋敷では家人が客をもてなしている風景が復元されていた。鴨居には長大な刀がかけられており、実際に戦闘に使われていたらしい。

中級武家屋敷の中では客人をもてなす武士が。上にかかっている薙刀のような刀は実戦で使われたようで、血糊の跡があるそうです。怖いです
客人をもてなす家人が一生懸命働いてます

 周囲が緊張した世相の戦国時代とはいえ、一乗谷の人々は豊かで平和な生活を満喫していたに違いない。そんな感慨を持った復元町並みだった。

 戦乱の中で町の人々は、また戻ってくるつもりで銭の束を井戸に投げ込んで逃げた跡があるという。この豊かな地がわずか1~2年で消滅するなんて、当時の人々の悲しみが伝わってくる。

 帰りはボンヤリ考えていたのでV60 Recharge Plug-in hybridのもう1つの楽しみを忘れてしまった。インフォテイメントシステムのセンサスの画面を左にスライドさせるとバッテリーのチャージモードやキープモードがあり、いろいろ使い分けながら市街地はEV走行をする、なんてのがプランだったけど思い出した時は遅く、すでにバッテリーは空っぽ。

 いろいろな意味でショックが大きいタイムスリップでした。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。