日下部保雄の悠悠閑閑
オートモビルカウンシルのフィアット/ランチアラリーカー
2021年4月19日 00:00
オートモビルカウンシルは例年この季節に開催されている。華のあるヘリテージカーを展示するもので思いもかけない名車や懐かしいクルマに出会うことができる。
今年のお目当てはラリーカー。会場のセンターに置かれたのは4台のFIATグループのラリーカー、そして日産、スバルの往年の名車達だ。
中でも会場中央に展示された1970年代~80年代にかけての4台のラリーカーは感動ものだ。ランチア・フルビアHF、ランチア・ストラトス、フィアット 131 アバルトラリー、そしてランチア・037 ラリーだ。
ランチア・フラビア・クーペ 1.6 HFは磨き込まれて往年の輝きを取り戻していた。1974年のサファリでS・メッタが11位で完走したマシンそのもの。メッタと言えばサファリのようなタフなラリーのスペシャリスト。日産での大活躍が記憶に残る。狭角V4の1.6リッターFFという特異なマシンでサファリを走り切ったのはさすがだ。パワーステアリングのない時代、しかもLSD付きハイパワーFFのハンドルは相当重かったに違いない。当時の記事にメッタさんが疲労困憊でゴールに帰ってきたとあったから大変さは想像がつく。
ランチアが準備したフルビアに続くラリーカーはあのストラトス。多くのストーリーが語られているのでここで触れることはないが、ラリー専用にショートホイールベース+ミッドシップ横置きV6を選んだイタリア人の発想の豊かさに驚く。ターマックラリーだけではなくサファリにも挑戦し、リアカウルが吹っ飛んだスタイルでも挑戦し続ける姿に感動した。ストラトスはトップドライバーの誰もがその素晴らしいハンドリングに惚れ込むほどのマシンだった。
以前にも取り上げたがストラトスは一度だけハンドルを握ったことがあり、回頭性のよさとコマのようにコーナーを回る旋回力、出口でアクセルを踏むとぐんとトラクションがかかるラリーのためのマシンだったと実感した。1970年代を代表する最高のラリーマシンだったのだと思う。ロスマンズカラーのストラトスは初めて見るが、マルボロやアリタリアカラーとも違って新鮮だ。
FIAのレギュレーションの挟間をかいくぐって世にでた名車ストラトスだったが、フィアットの営業戦略に則って131 ミラフィオーリをベースにした131 アバルトラリーに引き継がれた。FRの3ボックスセダンとラリー専用に開発されたストラトスでは根底からして違うが、フィアットの総力を挙げた開発で次第に実力を発揮し始める。それでも当面のライバルは身内のストラトスだった時代がしばらく続く。
マニュファクチャラーでは131 アバルトは好敵手フォード・エスコトートMk.IIと世界各地で激闘を繰り広げた。131 アバルトの時代は今でいうCセグメントに相当するFRの3ボックスセダンに2.0リッター4気筒自然吸気DOHCを積むのがラリー車の常套だった。オペル・アスコナや日産・PA10型バイオレット、セリカの覇権を競った時代だ。
エスコトートMk.IIはオーソドックスなレイアウトと使い慣れたコスワースエンジンでプライベートにも多く使われていたの対し、131 アバルトはワークスチームが主体でセンスのよいカラーリングで統一されていたのがイタリアっぽくてカッコよかった。
実車は取材に行った1978年のアクロポリスと、竹平元信さんと参加した1977年の英国RACでしか見たことはなかったが、RACでは自分達のことで精一杯でまわりを見る余裕なんてまったくなかった。
アクロポリスではW・ロールの131 アバルトが優勝したが、こんなわるい路をあんな繊細なクルマが走るんだ! と別の意味で感動した。アクロポリスは下見がてら取材に行ったが、残念ながら実戦に参加する機会はまわってこなかった。
さてグループBの時代になり、ランチアは再び037 ラリーを投入する。すでにアウディが雪のモンテカルロでクワトロをデビューさせており、その衝撃は凄まじく4WD時代の到来をどのメーカーも予感していた頃だ。037 ラリーはミッドシップに2.0リッター4気筒スーパーチャジャーを縦置きにした、ストラトスを1980年代に蘇らせたようなマシンだった。軽量で運動性能のよさを武器に、クワトロ優勢の中でチーム力を総動員して1983年のマニュファクチャラータイトルを獲得したのはラリー巧者のフィオリオ監督らしい。4WD+ターボの優位は覆らない中、1982年にイギリスで見た037 ラリーの金属的な吸気音を響かせながらコーナーに飛び込んでいく姿はヒロイックでもあった。
展示車両は1984年のアクロポリスで4位に入ったEvoIIのベッテガ車ということなので排気量は2.1リッターになったモデルだ。