日下部保雄の悠悠閑閑

1993年の香港北京ラリー その3

SSのタイムコントロールに入る前の時間調整。人員整理してもどこからともなく人が湧いてくる

 さて、香港北京ラリーの続きである。変わりゆく中国をこの目で見てみたいという夢は叶えられた。まだまだ人民服も多く見かけ、ラリールートでは近代的な都市と中国の原風景が混在する体験ができた。ラリーの醍醐味の1つである。

 DAY4は長沙から武漢への約500km。SSは5つ設けられている。いつものように早朝にスタートしたが最初のSSはオフィシャルの準備が整わずキャンセルになった。夜中からラリーを見るためにはるばるやって来る観客の整理がつかなかったのかもしれない。

山水画のような景色に見とれてしまった。どこも美しかった

 われわれは公式通知に従って次のSSに向かう。このルートのSSはとにかく速い。永遠に続くんじゃないかと思う長いグラベルストレート。これだけ長いと飛びたくなくてもジャンプもする。ラリーに慣れてきたとはいえ三好さんはレーシングドライバー。飛んだり跳ねたりするのは本意ではないはずだ。思わずアクセルを抜こうとするのは本能だろう。こちらはナビシートから「まだまだ行ける!」とか「踏め! まだストレート!」など冷たく指示を出す。速い! 180km/hは超えているはずだ。両側の並木が壁のように見える。ちょっとミスしたら一巻の終わりである。こちらも怖い。とうとう三好さん、音を上げて「もう駄目! ごめんブレーキ踏む!」と言って減速した。その声を聞いて実はこちらもホッとした。このSS13は総合7番手でワークス勢に続いた。三好さんもキャロッセのGr.Nランサーも凄いのである。

 そして好事魔多し、SS13には運命の右コーナーが待っていた。三好さん、SS12で気力と体力を使い果たしていないか心配した。とにかく45kmのロングである。ペース配分を考えてゆっくり走り出した。なんとなくリズムに乗りにくそうだ。

 われわれは予算がなくレッキをしていないが、コース図にはペースノート並みの情報が記載されており十分役に立つ。「左緩いコーナー、次右、さらに右にきつい」と伝えた。「アレ、減速感がない……」右に曲がり込む手前で速度が落ちないのだ。慌てて「きつい……」と言う前にランサーは田んぼめがけてジャンプした! コーナーは見た目よりタイトでしかも下りになっていたのだ。

 さすがのランサーEvoでも田んぼの中では動かない。大勢詰めかけている観客に助けを求める。ようやく何人かが意を決して押してくれたが、少し動いたと思った瞬間、四方から叫び声がして後続車が飛び込んできた。大きな衝撃があり、ランサーを再び田んぼの奥に押し込んでしまった。さらにまた1台落ちてきてもっと奥に……。、その繰り返しで6台ものラリー車がこのトリッキーなコーナーの餌食になった。最後に落ちてきたラリー車は先に田んぼにいたラリー車をツッカエ棒にしてすぐに戻ることができたが、こちらはズンズン入っていくばかりだ。

 結局、ランサーが引き出されたのは、追い上げ車が来てからだ。最後に田んぼから引き出されたわれわれだけがタイムアウトで失格になってしまった。ハエがブンブン飛び交う田んぼの中で無為な時間が過ぎて行っただけだった。

SS13のあとのランサー。後ろをしこたまぶつけられたランサーだが、クルマは元気だ

 その後のSSをスキップして武漢に直行する車内は何ともやりきれない空気が漂っていた。長い街道もそんな空気を重ねるようにかすんでいる。それでも脇で見ている人はポツポツおり、その人数は武漢に近づくにつれて増えていく。

傷心の武漢への道、延々と続くストレート。並木には白いペインティングがされているが、コースから外れようものならひどいことになる

 そうこうしているうちに、ランサーの前に突然“黄河6号”が割って入ってきた。日産パトロールを使った公安警察である。ついてこいという意味らしい。後ろにつくと全開で飛ばし始めてギャップではジャンプすらしている。こちらは満身創痍とは言えバリバリのラリー車。ついていくのは簡単だが厚くなっていく人壁の間を全開で飛ばすのは別の勇気がいる。しかし離れるとよくないことが起こりそうだ。三好さんも以心伝心、覚悟を決めてついていく。

突然現れた黄河6号。ついてこいと言わんばかりにかっ飛ばす

 今は1200万都市の武漢は当時から近代的な大都会だった。黄河6号はその市内に入っていく。人の波はさらに厚くなり、さすがに黄河6号の速度も落ちてくる。最前列の観客は後ろから押されてラリー車のサイドウィンドウには手やら顔やらが押し付けられてくる。もはや止まってしまうのかと恐怖がよぎった瞬間、黄河6号の4枚の窓が開いて警官が身を乗り出した途端、裏拳で押し寄せる人民を排除しだした。こちらは「ヒエー」と声もなく、バンパー・ツウ・バンパーでついていくだけである。永遠に続くかと思われたこんなグチャグチャな状態も、そのうち人波は急に薄くなり、気が付けばHQのホテルにいた。

武漢市内で人に囲まれた中を走る黄河6号とランサー。この後、人の波が押し寄せて止まりそうになったとき、さらに警官が身を乗り出して裏拳が始まりました

 このホテルでもさらに事件が発生。一斗缶から給油しようとした途端、小指をスパッと深く切ってしまい血が止まらなくなり、大騒ぎとなったのだ。ガソリン消毒になったのか、ホテルの医者が凄かったのか、処置した途端ピタリと止血された。中国4000年の歴史は素晴らしい。ラリーも続けていいと言った……ように聞こえた。そう、主催者は最後尾でラリーコースを走る許可を出すという粋な計らいをしてくれ、SSのタイムも計ってくれるという。順位はつかないがまだ冒険を続けることができたのだ。嬉しかった!

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。