日下部保雄の悠悠閑閑

1993年の香港北京ラリー その2

サービスで。一番左は隊長の元日産のワークスメカニックの早津さん、ボランティアで付き合ってくれた内山さん、そしてラリー車の前の私と石垣君

 その1で香港をスタートしてズーハイに入ったのは記憶違いで、渡ったのは隣の深センでした。サービスをやってくれた石垣君が連絡をくれ、記憶の底を洗い出すことができた。もう1つ勘違いだったのはその夜だと思ったバスルーム騒ぎだ。実際はDAY1終了後は深センの近代的なホテルに宿泊した。まだサービスという概念がないホテルのコンシェルジェに案内された部屋のTVからはCNNや株式市況が流れていた。株式市況は資本主義の象徴だと思いこんでいた。中国という国が変わっていく様子を目の当たりにした瞬間だった。

 バスルームのお湯がリビングまで溢れてきたのはDAY2終了後の丹霞のホテルでの出来事でした。

 さてDAY2から一路北京に向けて3700kmのラリーが始まった。中国本土を走ったのは初めてだ。中国は急速に変革している最中で、いたるところで工事をやっていた。なかには北と南からの高速道路がうまく接続せず、クランクになって降ろされるところがあって仰天した。しかし都会と違って郊外に出ると乗用車はほとんど見ることはなく、荷物を満載してノロノロ走るトラックか三輪車ばかりなのでそれほど問題は起きなかったのだろう。中国は大きい。今同じ道を辿れば全く違う光景を見るに違いない。

 この日は5つのSSが設定され、すべてグラベルである。三好さんは徐々に4WDラリーカーに慣れてきてリズムに乗ってきた。しかし問題は車内に入ってくる大量の埃。そういえば加勢さん「ちょっと埃が入って来るけど……」と言っていたけど、中国の埃は半端じゃない。オープンカーで走ってるんじゃないかと思うほどラリー車の中は埃が舞う。涙が止まらない。たった2週間で練習車をGr.N仕様に仕上げてくれた加勢さん、さすがに床の穴まで手が回らなかったのだろう。ここまで来れただけでも感謝しかないけど目がかすむ。後で見たらフロアに亀裂が入っており、そこから悪名高い黄砂が侵入したのだった。

侵入する黄砂に閉口してこんな姿になりました。ちなみにバラクラバではなくただのタオルです

 それでも快調に丹霞まで来てDAY2は終了。そこでバスルーム事件が起こったが、サービスチームはもっと悲惨で部屋の外にバケツが置いてあり、それで体を洗えということだったらしい。シャワーを浴びられただけでも僥倖だ。

 そしてラリー前に散々脅かされていた食事はヘビやカエルが食卓に上がることはなく、普通のビュッフェだった。ほんのコンマ数%だけ期待もあったけど。

 ここまでは出走32台のうち総合12位だったから、純粋のプライベートとしては上出来の成績だ。三好さんもラリーに慣れてくる。

 大変なのはサービス。香港から北京まで一直線に北上するルートなので先回りできるところは限られている。我々のように1台のサービスカーでは本来無謀というもので全開あるのみだったらしい。

 サービスと言えばやむにやまれず、篠塚建次郎選手をサポートするTUSK Engineeringのサービスに駆け込んだこともある。燃料を分けてもらい、インカムを修理してもらい、挙句は軽整備までしてもらった。旧知とは言え、とんだ押しかけだが「ヤッサン、頑張れよ」と快く送り出してくれたのである。ラリー仲間はありがたい。

路上サービス。何気なく人がわんさか集まってくる。ラリーカーの後ろで三好さんと私が何やら相談、多分メシの話でもしてるんでしょう

 DAY3は丹霞から長沙まで4つのSSがある。どのSSもものすごい観客だ。公安警察、日本でいうところの警察が観客を整理をしているが、中国人民はなかなかしたたか。SSのスタート待ちをしていた我々の横から入ろうとして警官に追っ払らわれた女性がいた。彼女、スゴスゴと戻った振りをしながら我がランサーの後ろでUターン。警官の背を見ながらまんまとコースに入り込んでしまった。

 各SSではコースは警官が警備している。しかしその脇を抜けて横断しようとする人もいる、というか行儀よく待っている方が少ない。そのうち警官は警棒で観客を殴り始めた! 少しおとなしくなったかと思うと再び同じことが繰り返される。圧倒的に数で勝る人民の勝利である。

SSのスタート待ちで。左からまだ元気な三好さん、西山さんのナビの満年さん、篠塚建次郎さん
左はワークスレガシーの中国人ドライバーのニンジュン選手。右は三好さん。ラリーではすぐに友達になれます

 コースはミスコースすることはない。人の壁がズーッとあり間違えようがないのだ。海外ラリーは観客が多いが中国は極めつきだった。挙句に観客が多すぎてSSがキャンセルされる事態もあった。待ち時間に彼方のナガ~イ土手を見たらすべて人で埋め尽くされギョっとした。

延々と続く大観衆。このSSはキャンセルになったと思います

 そしていよいよ運命のDAY4、我が香港-北京ラリーは長沙~武漢のルートに入る。

 なかなか話が終わらなくて申し訳ありません、この続きはまたの機会に。

 ところでコロナワクチン、立派な高齢者なので2回の接種は終わった。予約はネットも電話もつながりにくかったが、日を改めたらすんなり予約できた。筋肉注射なので後で痛くなることを覚悟していたが1回目の接種は何ともなく、このまま終わればいいと思いながら3週間置いた2回目。注射の直後から「あれ」と少しフワフワした気分になり、翌日は軽い二日酔いのような状態で注射痕も痛んだ。ようやくスッキリしたの4日目からだった。自分は副作用だと信じている。決して飲みすぎではないと思う……。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。