日下部保雄の悠悠閑閑
ラリーのふるさとタスカエンジニアリング訪問
2021年8月2日 00:00
ラリーの現役時代にさんざん通ったTUSK Engineering(タスカエンジニアリング)を訪ねたのは何年ぶりだろうか。逗子市池子にあるTUSKは1980年ADVAN RALLY TEAMが発足したときから、車両制作、メンテナンス、運営まですべてを行なっていた。自分はADVAN RALLY TEAMでハンドルを握ったことはないが、ナビゲーター(ドライバーは大庭誠介先生)でWRCの最終戦、英国RACラリーに8年続けて遠征することができたし、国内ではTUSKメンテ、マネジメントによるAE86やランサーターボ、コルディアなどでKYB ADVAN RALLY TEAMとしてTUSKと転戦した。TUSKにはお世話になりっぱなしだが、現役から離れてしまっても交流は続いている。このコラムで香港-北京ラリーで走る編集長、三好正巳さんとプライベートエントリーした話しを続けたが、ガス欠しそうになった時に気安くTUSKに助けてもらったのも、こんなお付き合いから甘えさせてもらった。
ボスの石黒邦夫さんは豪快で繊細、太っ腹で親分肌。そのサービススケジュールは驚くほど精密でビックリした。ホントにラリーが好きなのだ。おかげでサービスもクルーもラリーに専念することができた。
ヨコハマ関係者を集めて恒例だった夏のBBQで「ヤス、お前~嫁を逃がすんじゃねーぞ」と言われたが、親分の言いつけは固く守って現在に至っている。
TUSKの活動は国内にとどまらず、海外ではWRCのRACやサファリ、アイボリーコースト、そしてアジアパシフィックラリー選手権から香港-北京ラリーなどのアジアなど、世界を駆け巡った活動は途方もない数になる。WRCのアイボリーコーストでの篠塚健次郎選手の優勝も輝かしい。
ラリー活動は常に三菱自動車とヨコハマと共にあったが、ドライバー、ナビゲーターにかかわらずメカニックやマネージメントでTUSKに世話になった人は数知れない。それほど多彩なスタッフをうまく組んでまとめていたのは石黒親分だ。
最近では三菱自動車がラリーアートを解散し、モータースポーツ活動を大幅に縮小した影響もあり、TUSKのグリーンステッカーは全日本ラリー選手権でしか見ることはなくなってしまい寂しい限りだったが、ランサーEvoXの生産終了後も奴田原選手がADVAN カラーで大活躍したのは心強かった。
昨年末についに40年以上続いたラリー活動を終了し、今は広大なガレージにランサーEvoXが保管されて静かな時が流れている。
そんな石黒さんとTUSKに感謝の気持ちをホンの少しでも伝えようと青森の突撃隊長、大西康弘君の発案でドライバーとナビゲーターの有志からシルバープレートに感謝の言葉を刻んで手渡すことになり、冒頭のように久しぶりにTUSKを訪れることになった。やたら飛ばす京急も懐かしく、夏の緑が深くなっていくのも心がウキウキする。
TUSKのある神武寺駅はTUSKのために作られたような駅で、改札から直行できる。ちなみに神武寺から分かれた京急の支線は米軍施設につながり、当然入れないように鍵がかけられている。
懐かしい母屋では石黒さんと奥さんが昔と変わらず心地よく迎えてくれた。実は長年の不義理を怒られるかと少しビクビクしていたので嬉しかった。大庭先生も浜松から駆け付け、何年ぶりかで会うこともできたが、コロナ禍ですぐに帰っていった。
さて伝統のADVANカラーのラリー車は奴田原君のGRヤリスに引き継がれ、まだ実力を発揮できずにいるものの、TUSKが築き上げたラリーチームの伝統が受け継がれているのは嬉しい限りだ。頑張れ、奴田原!