日下部保雄の悠悠閑閑
一式戦闘機「隼」II型
2021年8月16日 00:00
子供のころから飛行機が好きだった。僕らの世代の読む漫画は戦争漫画ばかりで、それも戦闘機の戦記物がほとんどだ。「紫電改のタカ」なんて代表的な作品だ。そんな環境で子供のころは飛行機のプラモデルばかり作っていたが、風防のフレームに塗料がうまく乗せられずに何回も挫折した。失敗作の多い中でうまくできたのが一式戦だった。単純にフレームが少ないだけだったのだが。
戦闘機に限らず軍用機はその当時の軍が何を求めているかによって性格が決まる。艦上戦闘機の零戦は航続距離が長く、当時主流だった格闘戦に強い。陸軍の一式戦「隼」は名機九七戦の後継機だが当初は軍の要求があまりに無理難題でお蔵入りになっていた。それが作戦上長距離進行できる戦闘機が必要とされ復活した経緯があり、案の定ドタバタの中で太平洋戦争に突入した時にはわずか2個戦隊、50機程度しか配備されていなかった。主力だった九七戦では連合軍相手に大苦戦した。やっと一式戦が充足し始めると彼我の差は逆転し、ビルマ戦線では終戦まで連合軍相手に互角以上の戦いを続けた。
隼には大きく分けて3タイプあり、I型は2枚プロペラで角張った風防が特徴だ。発動機を換装したII型になったのは開戦から1年以上経過した1943年初めだった。II型の発動機は零戦と同じ2段過給の栄21型、陸軍呼称ハ115になったが、海軍の91オクタン価に比べて陸軍の87オクタンでは実際の出力は劣っていたようだ。それでも隼は稼働率が高く、陸軍の主力戦闘機としてIII型まで改良が行なわれ戦い続けた。
その一式戦II型に河口湖自動車博物館・飛行舘で対面できたのには驚いた。一式戦自体、存在機が世界中にほとんどない。II型はこの1機だけだろう。
以前ニュージーランドに出張した時、立ち寄った航空博物館で偶然I型の実機があったが、翌年見に行ったらビル・ゲイツが持ち帰ってしまった後だった。がっかりだ。もう一式戦には会えないと思っていたが、3年前だと思うが、河口湖飛行館でI型がレストアされて展示されていた。オリジナルだけあって背の高い外国人にあわせて風防が大きくされていたニュージーランドのI型とは違う。
そして今回訪問したら何とII型も展示されていたのだ。機首からするとII型の後期型だ。II型は3枚プロペラになり、風防も整形されたことですぐに分かる。いろいろなタイプが存在するがII型後期はI型から使っていた環状オイルクーラーを機種下面のハニカム型オイルクーラーに変更して、集合排気管も推力タイプとなっている。
東部ニューギニアで捕獲され連合軍のテストを受け、その後河口湖自動車博物館・飛行舘が回収した機体だという。ニューギニア派遣部隊の隼装備は飛行1,11、13、24、59戦隊のようだが、展示されている機体はどの部隊でどんなストーリーを持っているのだろう。そして激戦のニューギニア戦線で戦っていた空中勤務者が無事に内地に帰れたことを祈るばかりだ。