日下部保雄の悠悠閑閑

ミニチュア飛行機たちのゆくえ

戦い済んで日が暮れて……棚に押し込まれた飛行機たち。整理は当分後になりそう

 事務所に備品置き場を設けることになった。前からの懸案だったがコロナ禍で後押しされる格好だ。やって来る備品は大量で、当然、事務所のレイアウトも変えなければならない。自分のデスクの移動はもちろん、古くなった収納棚の廃棄もあって、その上に置いてあった事務所の皆にとって“どうでもいいもの”も移動させなければならなくなった。これまで野放図に置いてきたツケが回ってきたのだ。

 その“どうでもいいもの”(自分にとっては大切なモノ)の大部分は第二次大戦機のミニチュアである。このミニチュアは約2年に渡って販売されたアシェットの日本陸海軍機大百科の付録だ。付録と言ってもダイキャスト製のほぼ完成品で1号に1機がついており、簡単に組み立てられるのがミソだった。

 刊行物は200号を超える長期に渡ったものなので飛行機の数は膨大だ。これだけの部数になると日本機だけでなく、その時代を飛んだ米軍、英軍、ドイツのメジャーな飛行機の解説もあり、また同じ陸海軍の機体でも部隊ごとにカラーリングされて何回も登場したりする。確かにケースに入れて眺めると見応えがある。それでも行き場を失った飛行機は箱のまま我が家の屋根裏にしまい込まれた。

 問題は今回のように、いったん組み立てられた飛行機だ。いざ収納しようとなっても垂直尾翼や主翼、さらに脚やアンテナ、ピトー管、機銃などは乱雑に扱うと簡単に取れてしまう。これまでも何度、瞬間接着剤のお世話になったことか……。

 どうしたもんか、と悩みつつ一部は別の棚に緊急避難。棚の中はもうゴチャゴチャだ。事務所の皆にとっては“どうでもいいもの”(自分にとっては大切なもの)はだいぶ整理されたが、それでもさらに行き場のなくなった機体が多数あり、いったんはウチに持ち帰ったものの我が家にスペースの余裕はなく、もっと言えば家人がいい顔をするわけもなく、泣く泣く一部は処分することにした。

ドサクサに紛れてラリーカーやレーシングカーのミニチュアの隙間に置かれた隼と飛燕。これはプラモデル

 廃棄するのはなかなか勇気がいる。箱に押し込まれた飛行機は無残で、終戦直後の厚木や横須賀に集められた飛行機を連想する。集められた機体はブルドーザでつぶされていったようだが、箱の中で脚が取れた機体を見るとその写真とダブってしまう。

 それでも表に出してある飛行機は100機を越えており、これを機に減らしていこうとボンヤリ考えている晩夏。同じ悩みを持っている人がいると思うのだが、どうしているのだろうか。

処分をどうするかとムクに相談しても答えるはずもなく……。虫を追いかけるのに夢中です
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。