日下部保雄の悠悠閑閑

ダートトライアル

久々に訪れたオートランド千葉。最後に来たのはダイハツX4(ノーマル)の取材だったと思います。その時もリム落ちして走れなくなったなぁ。ミスしないで秒を削るダートトライアルの選手は素晴らしい

 モータースポーツにギラギラしていた頃、走れればなんでもよかった。

 よく「バイクは乗らないの?」と言われたが、残念ながら免許すら持ってない。その後自分のクルマの乗り方を鑑みるに多分無事では済まなかったような気がする。実際バイクが流行った頃、2ストロークの原付に乗ったことがあるが、自分に危険を感じてすぐにやめた。その原付は現JMSの会長、高橋二郎君の手に渡り、何事もなく乗っていた……。

 最初から脱線してしまった。レースはお金がかかり、必然的に長く走れるラリーに傾倒した。やっぱり当時大ヒットした映画「栄光への5000キロ」の影響が強かったんだと思う。

 その後ラリーは自分の人生に大きな影響を与えたが、なぜか同じダートでもダートトライアルの本番に出ようという気は起こらなかった。どちらかと言うと学生時代にジムカーナを得意としていた先輩がいたのでこちらの方が手軽で親近感があったのかもしれない。

 当時はダートがそこら中にあって、それに比例してダートライアル場も沢山あった。東京近郊でも読売ランド、サマーランド、東北ではエビスサーキットもダートだったし、羽鳥もよく通った。浜松の伊佐見橋も有名だ。何しろダートラコースがたくさんあったのだ。

 もちろんこれらのコースもテストならそれこそ何日も走ったけども競技に出たことはない。もしかしたら7度の全日本タイトルホルダーで、僚友の山内伸弥君が前転7回転横ひねりをやってのけ「フルハーネスしてても首がAピラーまで伸びるんですよ」とこともなげに言い放っていたのがトラウマになっていたのかもしれない。

 ダートラでも自分はクラッシュするはずはないという妙な自信があったので、転倒なんて……、と思いながら遠い過去の記憶を呼び覚ますと、なぜからランサーや86、コルディア4WDの窓から出た時のシーンがフラッシュバックのように蘇ってきた。ほらほらそうじゃないだろ?

 そう、いずれもテスト中にインカットしすぎて何かに乗り上げた結果だ。やっぱりダートラ場とは相性が悪いのだ。

 こんなことを思い出したのは実に久しぶりにオートランド千葉を訪ねたからだ。ここも何度もテストをしたが、雨上がりの泥濘地をスタック寸前で(いや埋まってしまったのかも知れず)、靴底にべったりと貼り付いた粘土のような土で背が高くなったのを覚えている。

 車両はFRだったので、路面を選んで動いているだけでも偉かったのだ。もっともコンディションが良ければ林間コースも取れたし、速度も乗って面白かった。

 そうあのスタックの名所もちゃんと残っていた。そしてオートランド千葉が残っていてくれてよかった。

 当時、オートランド千葉近郊で泊めてもらった宿屋から早朝に出かけようとした際、おばさんから「朝から行商かね、頑張んなさいよ」と励ましてもらったのは私ではありません。ま、近いかもしれないけど。

久々に会った長男家のマルちゃん。ヌイグルミのようで大きくて重い、そして動かない。ブリティッシュショートヘアという高貴な種らしく優雅で堂々としてます
日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/2020-2021年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。